第3話 クイの子供達
文字数 3,078文字
「…と、いう訳で棟梁のカチは、見つからずじまいでして、大変申し訳ありませんでした。」
「その事は、もうよい。大儀であった。」
「は。」
報告を聞いていたカミルは、なぜか機嫌が良さそうだった。オングは不審には思ったが、あえて触れずに、もう一つカミルに確認をとった。
「それから、トヌマよりお聞き及びかもしれませぬが、クイの教官の件を…。」
「おお、そう言えばそんな事話しておったな。オングなら申し分ない。明日からでも、訓練所で教鞭をとってもらおう。」
「は。」
「…ところでオング、最近トヌマとは連絡を取っているか?」
「いえ、ずっと北におりましたゆえ…何かあったのでございますか?」
カミルはオングの様子を見て、本当にトヌマの事を知らないのだと確信すると、話を切り出した。
「実は、トヌマが妃マルナを連れて行方をくらましてな…。」
「え?」
「あまり、考えたくはないのだが『駆け落ち』ではないかと噂されておるのじゃ。」
「駆け落ち…。」
そんなはずは無いと、オングは思った。トヌマはミツを心から愛していた。『世界が美しいと教えてくれた』とまで言っていたのだ。
「お前が北に向かってすぐの事だ。妃が行方不明になってな。その一ヶ月後じゃ、マルナの行方を掴んで追いかけていたドグの報告では、マルナと共に追い詰められたトヌマは、ドグにケガを負わせた後、手に手を取って逃げて行ったそうじゃ。いまだにその行方は掴めておらぬ。」
確かに、その状況であれば『駆け落ち』と見なされても仕方がない。オングは疑問を持ちつつもトヌマが本気で逃げようとするならば、いかなるクイでも、見つけることは困難だろうという事は分かっていた。今更、確かめることも出来ない。
「トヌマの処置はいかがするおつもりですか?」
「現在、そのような事に構っている暇はない。それよりも新しい妃も迎えねばならぬ。ようやくスミナル様もマルナ様への想いを断ち切られたようだ。それに戦も始まる。これ以上ケガ人も増えてもらっては困るしな。」
カミルは、マルナもトヌマも殺すつもりでいたが、ドグが手負いで帰還した時に考えを変えた。そのまま駆け落ちしたことにすれば、無理をして二人を追いかける必要もない。トヌマは腕が立つ、クイを送ってもドグのように返り討ちにあう可能性がある。春の戦に向け、駒は多いに越したことはないのだ。『妃マルナが兵士と駆け落ちをした。』という噂は、既に首都カナンの町に広まりつつあった。今更、二人が顔を出すことはないだろうと考えていたのである。
そして、『駆け落ち』という事に誰よりも腹を立てていたのは、天子スミナルだった。これがカミルにとって一番好都合だったのだ。『もう、あの女の言った事など信じない。』と言って、ナッカへの総攻撃というカミルの提案を簡単に了承した。可愛さ余って憎さ百倍…と言ったところだろうか、スミナルはマルナへの怒りのあまり、優しかったそれまでのスミナルの気性が、どこかへ消え去ってしまったのである。
全ては、カミルの望む方へ事は向かっていた。
「では、明日よりクイの訓練教官として参ります。」
「おお、頼んだぞ。春の大戦へ向け、一人でも多くの駒を育ててくれ。」
「…は。」
オングは、この国の行く末を想像し、自分の行動を思案していた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
次の日、オングはクイの屋内訓練所を訪れた。普段クイの訓練所は、コルナス山脈近くの北の地にあるのだが、昨今の情勢を鑑みて皇室近くに移転していた。すぐにでも兵士として、またクイとして実践で使えるようにと、カミルがとった策である事は言うまでもない。
訓練所では、まだ木刀だったが、その木刀自体に振り回されているような子供達が十名近く、傷だらけで立ち合いの訓練を行っていた。訓練所には子供達を指導している教官が一人いたが、どうやらその教官は今度神官として就任する事が決まっていたようだった。彼はオングに手早く引き継ぎを済ますと、さっさと出ていこうとした。その姿に疑問を感じたオングは、教官を引き留めて質問する。
「何故に、そのように急いでいるのです?」
「…いや、何…俺は子供が苦手でな。特に今年の子供は…ま、頼んだよ。」
困ったようにそう言うと、教官は子供達に挨拶をするでもなく出て行った。
オングは、とりあえず挨拶でもするかと立ち上がり、全員に号令をかける。
「集まれ!」
しかし、子供達はチラッとオングを見ただけで誰も言う事を聞かなかった。オングは少し苛つき、もう一度号令する。
「集まれ!」
すると、子供達の一人が立ち合いを止め、オングに反論した。
「俺達は、今訓練中なんだよ。途中でやめるなんて出来ねえな。」
オングはニヤリと笑った。こういう子は嫌いじゃない。恐らく、ここでは兄貴的な存在なんだろう。他の子供達も、その子を慕っているだろう事は察しがついた。
「ほう。教官の命令は絶対だと教わっていないのか?坊主。」
「…うるせえな。俺より、弱い教官の言う事なんて聞けねえよ。」
なるほど、とオングは思った。確かに先程の教官は年のせいもあるだろうが、強い者に感じられる気配はあまりなかった。この子の方が、年令よりも幾分しっかりとした、強い気配が感じられる。オングは、コルナスに行く前から、人の気配を感じる能力は長けていたが、帰ってきてからは、人が発する振動・波動のようなものも感じられるようになった。それにより、一度会った事がある人間であれば、かなりの距離があっても集中さえすればどこにいるか感じられる。初めて会った人間でも、その個性や強さを以前より明確に感じられるようになっていたのである。
「なら、手合わせ願おう。私の方が強ければ今後一切、口答えは許さん。」
そう言うと、オングは素手で構えの姿勢を見せた。
「へん、馬鹿にするな。剣を使えよ。」
「お前ごときに剣などいらん。」
「!…そうかよ!」
少年はカッとなって、オング目掛け容赦なく木刀を振るった。確かにいい筋だったが、オングはサッと交わすと、手首を叩く。いとも簡単に木刀を落とされた少年は、明らかに驚いた顔をしていた。
「もう一度来い。冷静に、相手の呼吸を読め。」
「…はぁ!」
「冷静にと言ったであろう!もう一度!」
「はぁ!」
「もう忘れたか!呼吸だ!」
「はぁ!」
二人の立ち合いに、周りの子供達もただ茫然と見ていた。オングの強さは、子供達が知っているどの大人よりも強かったのだ。
暫く経つと、オングと立ち会った少年は、息も絶え絶えで、木刀を持つ手も痺れて震えていた。そして、遂には木刀すら持てなくなっていた。
「よし、そこまで。」
オングが、終わりを宣言したが、少年はまだ木刀を拾おうとする。
「…ふざけんな。まだ負けてねえ…。」
そう言うと、震えた両手で木刀を持つと、その木刀を落とさないように木刀の先を歯で加えたのだった。その眼を見て、オングはなぜかカチを思い出していた。火のような力を持った眼…カチと同じ眼を持つ少年にオングは尋ねる。
「いい根性だ。名前は?」
「モルだ…。畜生…。」
少年は、その場で崩れ落ちた。
オングは、モルを抱き上げると、訓練所の隅に寝かせて、濡らした布を額に置いてやった。
モルの寝顔には、まだ少年のあどけなさが残っていた。