第5話 トステ国のミツ②
文字数 3,013文字
皇室の使者であるトヌマは、往復するわけにもいかなかったので、着物が出来るまでの一ヶ月をミツの家で過ごし、ミツと共に皇室に向かう事となった。
皇室へ出発する日、村はミツを乗せる馬と荷馬車を用意し(勿論支払いはトヌマが法外な金額を渡したのだが)まるでお祭り騒ぎのように、ミツを送り出した。
皇室までのトヌマとの道中はミツにとって夢のような時間だった。トヌマの後ろから馬でついていくだけなのだが、その凛とした後姿を見るだけでも幸せだったし、時折馬を横に着けて、ミツが初めて見る光景を詳しく説明してくれる事もあり、美しい横顔と優しい声は、長くて辛いはずの道中を、ミツにとって幸せな時間に変えてくれたのだ。勿論、宿に着いた時は別々の部屋だったが、一日だけどうしても部屋が足りず一緒に過ごした時は、ミツの心臓が跳ね上がりそうだった。その日、二つ布団を並べて敷き、二人は手の届く距離で横になっていた。そんな状況にミツが緊張していると、それを察してかトヌマは自分の事を少しだけ話してくれた。
「ミツさん、私はね
「そうだったべか。」
ミツも横になりながら、トヌマの話を聞いていた。ミツはそれまで、トヌマを高貴な生まれだとばかり思っていたので少し驚いたが、同時に親近感を持つことが出来た。
「私は、その方に恩がある。その方の為なら、私は命だって惜しくはないと思っている。」
「んだば、あたいもその方に感謝します。」
「ん?なぜ?」
「その方がおらんかったら、こうしてトヌマ様にお会いできんかったで。」
「ハハハ、そうだな。だがミツさん。そういう言葉は好いた方に言っておあげなさい。私などではなく。」
そう言うと、トヌマはミツの方に体を向けた。
ミツは自分の発した言葉に、急に恥ずかしくなりトヌマに背中を向けてしまった。
トヌマはミツの背中に向けて寂しそうに呟く。
「戦いに行く男は、好きにならない方が良い。悲しむだけだ…。」
ミツはトヌマの言葉を背中で聞き、自分の気持ちに気がついた。『私はこの人が好きなのだ』と。そして、それと同時にトヌマからの拒絶も感じたのである。ミツは身分が違う事に改めて釘を刺されたと理解していたが、トヌマの言葉は本心だった。トヌマもまた、ミツに安らぎを覚えていたのである。でも、それを伝える事はトヌマの立場からは許されなかったのだ。
その後どちらも一言も発せず、眠れぬ夜は更けていった…。
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首都カナンは、皇室を中心に作られていて、中央には皇室に続く大通りがあり、そこから碁盤の目のように張り巡らされた通りがいくつもあった。道によって作られた区画ごとに商店街や飲食店街、居住地などが綺麗に分かれていて、とても整備された町だった。
ミツ達は大通りを真っすぐ皇室へと進んだ。皇室に着くとその巨大さにミツは圧倒された。皇室だけでもミツのいた村ぐらいの広さはあるのではないかと思えるほどで、入り口である大門から妃のいる宮殿・水麗宮までは半日もかかったのだ。
ミツは、水麗宮の応接間に通された。そこは青を基調とした部屋で、石壁は流形の彫りが成されており、薄い水色で塗られていた。床も石材だったが、二重床になっていて、少し上げられた床には畳が敷き詰められていた。部屋の奥には
ミツは粗相の無いよう緊張しながらマルナにお辞儀をする。あまりの広さにミツの場所からマルナの声は聞こえなかったのだが、そもそも直接の会話ではなく、マルナの言葉を侍女が受け、その言葉をミツに伝えるといった会話のようだった。
「マルナ様は、そなたの着物を高く評価した。今後、皇室に納めるようにとの仰せです。」
侍女が大声で、マルナの言葉を伝える。
「身に余る名誉、光栄でごぜえ…ございます。」
どうしても出てしまう訛りを気にしながらお礼を言うと、簾の奥でマルナが笑ったように見えた。そしてマルナが侍女に耳打ちすると、侍女は少し慌てた様子だったが、妃の言葉を伝えた。
「マルナ様が近うよれと、仰ってます。」
ミツはビックリして、近くに控えていたトヌマを見ると、トヌマは頷き、近くに寄るように目で合図を送ってきた。仕方なくミツは立ち上がり、十歩ほど近づいて座ろうとしたが、侍女がもっと近くと言うので、結果的には簾のすぐそばまで来ることになってしまった。すると、マルナは簾を上げるように侍女に指示し、その高貴な姿を見せたのだ。
年の頃はミツと同じ位だろうが、同じ人間とは思えなかった。色は白く儚げで、切れ長の目と小さな鼻、柔らかそうな唇。女でも惚れてしまいそうな顔立ちに加え、漆黒の髪の半分は高く結い上げてあり、桃色の髪飾りが良く似合う。着物も赤を基調としていたが、それだけがこのお方には強すぎるような色合いで、惜しい感じがした。
「ミツと申したな。とても素敵な着物の数々、いたみいる。」
そう言うと、マルナが少し会釈する。
「勿体ないお言葉、あたいのような者には大したもんは作れんで…作れませぬで…作れません。」
もはや、何を言ってるかわからなくなってしまったミツだったが、マルナはクスクスと笑い、ミツに優しく語りかけた。
「ミツや、そなたの喋りやすいように喋ればよい。私は、気にしませぬ。私と年も近かろう、もっと気軽に話しておくれ。」
ミツは『そう言われても…』と思ったが、その後染め師の仕事の事や、村での生活などを聞かれ答えるうちに、マルナの人柄に好感を持ち、ミツは徐々に打ち解けていった。着物の色についての話などは、ミツの感性と近いところもあり、かなり舞い上がって話し込んでしまったほどだ。そして、思わず言ってはならない事を言ってしまった。
「マルナ様の今のお召し物は、ちぃっとばかり、キツい感じがするでなあ。もう少し柔らかい方が…」
ミツがそう言った瞬間に、侍女たちがハッとしてミツを睨んだ。ミツはすぐに自分の言ったことに気づき口を押え、2、3歩後ずさりして慌てて畳にひれ伏した。
「申し訳ねえです。恐れ多い事を…。」
すると、マルナは笑って、ミツの傍まで歩み寄り目の前に座った。そしてミツの肩に手を置く。そしていたずらっぽく、ミツに耳打ちした。
「良いのじゃ。実は、私も同じように思っていた。」
そう言うとミツに目配せをし、マルナは元の位置に戻り座りなおした。
「ところで、そなたの村はかなり遠い。これは相談なのじゃが…そなたの工房をここカナンに作ることは出来ぬかのう?さすれば、そなたの着物も、すぐに手に入れることが出来る。それに、私と会いやすくなるであろう?」
『相談』と言われたが、ミツに選択の余地など無かった。皇室の要望を断れるはずもない。
マルナの『命令』を受け、ミツは首都カナンへ移住する事を前提に、一旦村へ帰る事を許されたのだった。