第5話 ミツの決断
文字数 2,487文字
ある日、ミツは川では「流し」が上手くいかないので、桶に水をため着物を洗い、水を変えては着物の糊や余分な染料を落としていた。冬の冷たい水を使い、何度も井戸から水を汲んできては洗うといった重労働だったが、汚れた川で流しをするよりかはましだったのである。そんな様子をトヌマは近くで見ていた。いや、見ていたというよりは、目線はその作業を見ていたのだが、心はどこか遠くにあるようだった。
「トヌマさん、何かあったんかい?」
ミツが手を休め、トヌマを見る。ミツはようやく「トヌマ
さん
」と呼ぶようになっていた。トヌマは暫く何も言わなかったが、やがて決心したようにミツに答えた。「…ミツさん、これから水麗宮に行く、一緒に来てはくれないか?」
「勿論。…だば、マルナ様になんかあったんかい?」
「私は、選択を迫られている。…これから言う事を他言しないで欲しい。約束してくれるか?」
「はあ…。」
「…私は、クイだ。」
「は?」
「クイは存じているか?」
「は、はあ…。」
「私は、隠密部隊のクイで、表向きマルナ様の護衛をしているが、大神官カミル様の命で実際はマルナ様の監視をしている。そして…。」
「ちょ、ちょっと、待ってくだせえ。」
ミツは混乱していた。トヌマが隠密部隊クイである事にまずは驚いたが、それをバラしても良いものなのだろうか?
「トヌマさん…それは、あたいのような者が、聞いてはなんねえ事なんじゃねえべか?」
「本来はな。だが、協力してほしいのだ。マルナ様の考えを変えられるのはミツさんしかいない。マルナ様はそなたを友として見ておられる。」
「だども…あたいが何をすれば…。」
トヌマは、天子スミナルと大神官カミルの事を話し、マルナが戦に対して反対している事を丁寧に説明した。そして、そのマルナの考えがスミナルの停戦への気持ちに及んでいる事、スミナルの考えが変わらなければマルナに対して暗殺指令が出ている事も全て話して聞かせた。
「お話は、だいたい分かりました…。」
「では、マルナ様を説得してもらえるか?」
ミツは、極力冷静に考えた。そして、浮かんできたのはミツの村での川の光景…赤く染まった川に死体が流れている光景だった。
「嫌です。」
「え?」
「あたいも、戦には反対だで。」
「でも、それではマルナ様を殺さなくてはならなくなる。」
「トヌマさんは、その代わり大勢の人が殺されてもええがか?」
ミツの言葉にトヌマは返す言葉を失った。
「あたいは…トヌマさんの考えを知りてえ。」
「私の?」
「トヌマさんは、どうしたいんだべ?」
トヌマは幼い頃からクイとして育てられた。クイにとって大神官の命令は絶対だったのである。だが、トヌマを拾ってくれたのは妃マルナの父君で、今はもう亡くなってしまったが、その父君が「マルナを頼む」と言って亡くなったのだ。マルナの護衛に着いたのはそういう背景があったからこそで、勿論マルナも信頼していたのだが、大神官カミルはそれを逆手に取りトヌマを利用していたのである。
トヌマは、ミツの言葉に暫く考え、本心を答えた。
「私はマルナ様を守りたい…だが、この国を戦火に巻き込みたくはない。」
「トヌマさん…。」
「マルナ様を…逃がそう。」
「え?」
「スミナル様はお考えを変えずとも殺されることはない。だがマルナ様は確実に消される。ならばマルナ様を逃がし、その事だけは私の口からスミナル様に伝えよう。」
「トヌマさん、そんな大それたこと…。大丈夫がか?」
「カミル様には、マルナ様が戦に嫌気がさして逃げたとでも何とでも言っておけばいい。それを私が見て見ぬふりをしたとでも…。カミル様にとってみれば、マルナ様は目の上のたんこぶの様なものだ。居ないにこしたことはないのだからな。特に詮索もしないだろう。」
「…はあ、さすがトヌマさんだべなあ。」
「フフッ。護衛としては、落第だが…それしかない。問題はどこに逃がすかだ。」
二人はしばらく考え込んでいたが、ミツがふと思いついたように顔を上げた。
「ミズノイシ!ミズノイシ!」
突然、声を上げたミツにトヌマはビックリしたが、更にビックリしたのは、水を汲んだ桶の中から女性の姿が現れた事だ。水の女性とでも言えばいいだろうか、透明の女はミツに答えているようだったが、トヌマには聞こえなかった。
「あたい、コルナスへ行くべ。」
『やっと決心してくれたのね。急いで。センゴクまでは馬で行きなさい。』
そう言うと、ミズノイシは姿を消した。
「ミツさん、これは一体…。」
「信じてくれるかどうかは分からんけんど…。」
そう言うと、ミツはミズノイシとの出会いを話し、これから自分がコルナス山脈に行かなければ人間が滅びる事を簡単に話した。そして、提案をする。
「あたいの代わりにこの職場にいるっつうのは、どうだが?」
「ミツさんの代わりにマルナ様を?」
「この職場の人間なら大丈夫だあ。皆分かってくれるべ。トヌマさんもここに出入りしとるで、疑われずにそのまま護衛が出来るだよ。」
トヌマはミツの提案に驚きつつも、受け入れる事にした。それしかないとトヌマも考えたからである。そして、改めてミツに尋ねた。
「ミツさんの話なら、私は信じる。…だが一つ確かめたい事がある。」
「なんだべ?」
「人の神…つまりヒトノイシと言うのは存在しないのか?」
「ミズノイシは創造の神「アマノイシ」の他に、火・水・風・土の四神がおるっつう事は言っとっただども…。」
「そうか。やはりいないのか…。」
トヌマは、予想していた事とは言え、事実を知ってため息をついた。トステという国は今まで何を信じて来たのだろう…。だが、事実を知ったところで、トヌマのやる事は変わらなかった。
「…だば、行くべ。」
「そうだな。」
二人は水麗宮に向かった。それぞれの思いを信じて…。