第2話 カチとオング
文字数 2,676文字
トステ軍は、オングの力によりケルト川を進行し、ナッカ領に入った。トステ軍にはトステの兵士達と主だったクイ、それから参謀として元クイである神官達…つまり、現在トステが持ちうる最大の兵力がその軍に投入されていた。だが、その軍に大神官のカミル、天使スミナルの姿は無かった。二人は首都カナンにて、必ずもたされるであろう朗報を待っていたのである。
川を渡ったところで、オングはトステ軍から離れることにした。トステ軍には「川を渡る為に作った地面を戻してから、軍に合流する」とだけ言ってあった。勿論それは口実だったが、誰も疑う者はいなかった。それほどオングは信頼されていたともいえる。
オングがトステ軍から離れたのは、カチの気配に気づいたからだった。オングはカチがケルト川の上流に向かってきている事を、かなり前から知っていた。もっと言えば、更に下流のアスナ峰でフーナやミツが合流している事も分かっていた。オングは地面を通して、どんなに距離が遠かろうが何の問題も無く、知りたいと思う人間の位置を知ることが出来るようになっていたのだ。オングはフーナと同じように、徐々に自分が
人間ではなくなっていく
ような感覚を抱き始めていた…。川の中央で自らが隆起させた地面にオングは座っていた。すると、予想通りカチが現れる。
ゆっくりとオングは立ち上がった。
「待っていた、カチ。」
「…お前が待っている事を、なぜか嬉しく思ったよ。」
「約束だからな。」
「お前の言いたい事は分かってるつもりだ。国とは関係なく、俺達の決着をつけたいって事だろ?」
「そうだ。俺はお前の友人を殺した。俺自身も、その事に決着を付けなければいけない。」
「火は使わねえ。剣で勝負だ。」
「同感だ!」
両者が同時に剣を振るった。
オングがカチの剣を跳ね上げたかと思うと、カチは後ろに一回転して、反動をつけてオングの懐に入ろうとする、オングが半回転してカチの後ろに回ろうとするが、後ろ手でカチは剣を振り上げた。剣はオングの肩をかすめその肩から出血したが、オングは少しもひるまず、カチの背中に体当たりして体制を崩させた。そうしておいて剣を振り下ろすと、今度はカチの肩から血がにじんでいた…。
二人とも息つく暇も無い攻防戦を繰り広げていた。一瞬でも油断したらどちらかが死ぬという状況の中で、二人はお互いを認め合っていた。だからこそ手を抜かなかったのだ。だがカチは気づいていた。オングの優しさを…。カチは右目が見えない。カチの右側は間違いなく死角なのだ。だが、オングは決してそちら側に回りこまなかった。戦いながら、カチはオングが自分より数段上の実力者である事を認めざるを得なかったのだ…。
オングが、右に回り込まない事で、オングの実力は出し切れてはいなかった。オングの攻め手が単調になって行く…それが勝負を決した。闘いの中で次の一手を読んだカチは、オングが剣を出すだろう方向に剣を合わせ、オングの手から剣を弾いたのだった。
オングはその手から剣を失い、覚悟を決めて仁王立ちで目をつぶる。その姿を見てカチは剣を降ろした。
「負けたよ…オング。俺の負けだ。」
カチはそう言うと笑った。
「カチ…本当に、それでいいのか?」
「ああ、俺の復讐する相手は、抵抗できない人間を後ろから切り殺すような奴だ。お前じゃない。俺の死角を知っていながら、そこを攻めない…少なくともそんな人間に復讐する気はないよ。」
「…そうか。」
「強いな…オング。」
「カチ…お前もな。」
二人は、笑い合った。そしてすぐに、お互いに真剣な表情に戻った。
「で、オング。お前はどうする気だ。ナッカを滅ぼす気か?」
「ああ、そうだ。だがそれはお前が止めるだろう?」
「そうだな。例えお前でもな。」
「そうだと思ったよ。だが、俺はトステ軍とは行動を共にはしない。これからトステに戻って、
トステを滅ぼす
。」「両方滅ぼす気か?トステもナッカも。」
「そうだ。だが、お前が阻止できれば、ナッカは救われるかもな。俺はそれでも構わない。」
「フッ、なるほど…お前らしい。てめえの国はてめえでどうにかしろって事か。」
「そう言う事だ。守るべきは国ではない。そこで生きる人間だ。」
カチはオングの考えが良く分かった。トステ軍をナッカに送りはするが、それをどうにか出来ないような国であれば、力を重視するナッカとしては終わりだ。そう言っているのだ。トステ全軍をナッカの首都メッキに向かわせたのは、戦を早く終結させる為であろう。また、カチがナッカを救うために戦えばトステ軍は全滅する。オングとしてはそれでも構わなかった。それすらも見越してのオングの行動だったのだ。大胆なオングの作戦にカチは苦笑した。
そしてオングは、カチにもう一つ情報を与える。
「どうやら、ミツとフーナは合流しているようだ。アスナ峰付近で。」
「あいつら、あそこに行ったのか。しかしオングそんな事まで分かるのか?あんな遠い所…それが土の力でもあるのか?」
「ああ、どんどん研ぎ澄まされている。知ろうと思えば地面から人間の鼓動まで伝わってくる。俺はだんだん恐ろしいと感じているよ。この力を…。」
「実は俺もだ…。」
カチは、ふっと火の玉を手の上に出して見せた。そして空に投げる。するとその火の玉を追いかけるようにして黒い雲が空に立ち込め、一瞬にして雨雲となり大粒の雨が降り出した。
「…こんな事まで出来ちまう。前は感情を調節しなけりゃ出来なかった事も、今じゃそんな事も必要ねえ。考えたことが全て出来ちまうよ。」
「…お前もか…。」
「どうなっちまうのかな俺達…いや、まずこの世界がどうなるかだな。」
「…そうだな。」
「俺はナッカに戻るよ。トステ軍を何とかしなきゃな。ミツやフーナがどう動くのかは分からんが、奴らも何かしら考えがあるんだろう。それぞれが動くことは、やっぱり意味があるんだろうよ。」
「俺もそう思う。俺はトステに戻って、国を腐らせた元凶を潰しに行く。」
「怖い怖い、俺もオングを怒らせないようにしなきゃな。」
カチがそう言うと、二人は笑った。
「…じゃあな、オング。」
「…ああ、またな。」
二人は、もう振り返らなかった。それぞれの思いを胸に、それぞれのやるべき事に向かって…。