第11話 オングの旅立ち
文字数 2,576文字
「ああ、それがどうした?」
「棟梁のカチが生きているらしい。」
「え?」
トヌマの話によると、ナッカの首都メッキに密偵として入り込んでいたクイの情報では、火事に難を逃れた棟梁のカチは、元いた集落を去り、首都メッキで鍛冶職人として、つい先日まで仕事をしていたらしい。だが今は行方不明で、正確な場所は定かではないが、北に向かったとの報告があったという。
「それでお前さんに、その後始末をして来いって話だ。」
「何故、今頃になって?もう一年近く前の話だろう?メッキにいた時に、始末できなかったのか?」
「それが、そのカチって職人は左手の指を何本か無くしていてな。職人としてはその腕が落ちていて、自分で刀を鍛える事は出来なかったらしい。専ら下働きをしていたそうだ。」
「だから、放っておいた…。」
「だが、どうやらそいつは、今度ドガの大将に就任したゴンガと懇意にしていた節があってな。調べると、カチは昔ドガになる寸前まで出世していたが、そのゴンガを庇って負傷したそうだ。その後鍛冶職人になったみたいだが、それなりに腕も立つ。今回の行方不明は職人としてではなく、ゴンガの指示なんじゃないかって話だ…まあ、あくまで憶測だがな。」
「疑わしきは、切れって事か。その動きの怪しさと、新しい大将の右腕になるかもしれないって理由で。」
「そういう事だ。」
オングは、火の中で対峙したカチの姿を思い出していた。確かに、眼帯をしたその男のもう一つの目には力があった。ナッカの男達は血気盛んな者が多いが、カチも例にもれず絶体絶命の場面でも、決して諦めずに戦おうとしていた。オングはその仲間達を無残にも虐殺したわけだが…。もともと右目を失っていた上に指を失い、鍛冶職人としての仕事も奪われ、それでも力強く生きようとしている者を、オングはもう一度殺しに行かなくてはならないのかと思うと、ため息しか出なかった。
「分かった。ちょうど北に行こうと思っていたところだ。見つかるかは分からんが…カミル様にはそう伝えておいてくれ…。」
トヌマは、煮え切らないオングの態度に、嫌な予感がしていた。そして気分を変えるために話を変えた。
「そう言えば、クイに新しい子供達が、入って来たんだ。俺達みたいな
ノアの事は、その死を含め当然トヌマも知っていた。だが、クイは普段何をやっていようが問題ではない。結婚している者さえいる。だが、当然独り者が多かった。突然命を落とす事は、クイとしての宿命のようなものだからだ。
クイは四十才以上の者は殆どいない。それは引退するのではなく、衰えて任務中に命を落とす。もしくは逃げようとして仲間に殺されるからだ。クイとして一番長生きしているのはクイを訓練する教官で、上手くいけば神官となり更に長生きする者もいる。大神官カミルもまた、もともとクイであった。カミル以外にもクイ出身の神官は多くいて、「クイ→神官」という流れを作ったのもまたカミルである。だからこそ戦の参謀として神官が力を発揮してきたという経緯もあるが、もともと「神に仕える者」として崇められていた神官達の多くは、国民が知らないうちに「殺人者」にすり替わってきたのであった。
「そうだな…それもいいかもな。別に、長生きしたいわけじゃないが…。出来れば訓練中に命を落としそうな子供を、俺は救いたい。」
「オング…お前らしいが、それは難しい事だぞ。今のトステの政治は戦を欲している。」
「そうかもしれない。だが、どこかで誰かが変えなければ…いつまで経っても何も変わらない。」
「…ノアの死が、お前の考えをそうさせたのか?」
「…かもな。」
人は強い者もいれば弱い者もいる。だが、弱い者が生きられない世界は、どこか違うと思っていた。そう思わせたのは、ノアの死だったのは間違いがなかった。
「とりあえず、教官の件は俺からカミル大神官に伝えておくよ。それでいいな。」
「分かった。北へ行ってけりがつけば、この町も復活するだろうしな。俺も戻ってこなくてもいいだろう。」
「ん?どういう意味だ?」
「ん?いや、大したことじゃない。ツチノイシが俺のせいだって言うからな…フッ。いや、何でもない。」
オングは、当然トヌマには伝わらない事を察して、笑い話で収めようとしたが、トヌマが真剣に聞き返してきた言葉に、オングは驚いた。
「…もしかして、北へ行く用事って…コルナスに行くのか?」
「え?…なぜ…?」
「今、ツチノイシと言ったな。俺はミズノイシと共にいる女を知っている。」
「何だって?」
「お前がツチノイシの目だったのか…。」
「ちょっと待て、詳しく話せ。」
トヌマはミツという着物の染め師がいる事、その女はミズノイシからの啓示で人間を救うため、先日コルナスに向け出立したことを話した。
「オング、すぐに向かってくれないか?ミツは、旅自体に慣れていない、只の着物の染め師だ。本当は俺がついて行きたかったが、俺の立場では行くことが出来ない。皇室でもいざこざが起きていてな。実はすぐにでも戻らなければならない。」
「皇室でいざこざ?」
「それは…まあ、今はいい。お前が帰ってきたら話そう。」
妃マルナの行方不明の事を話そうかとも思ったトヌマだったが、マルナは今のところ安全なのは分かっていた為、特に問題ではなかった。それよりもトヌマにとっては、一人北に向かったミツの方が心配だったのだ。しかし、この判断が後にトヌマにとって後悔する事になろうとは、この時は、思いもしなかった…。
「先程のカチの件は、適当にカミル大神官には伝えておく。それよりも一刻も早く、ミツを追いかけてくれ。」
「…お前にとって大切な女なのだな。前に話してくれた、澄んだ心を持った女とは、そのミツとか言う女なのか?」
「…そうだ。俺に世界は美しいと教えてくれた女だ。」
「…分かった。」
もう、それ以上聞く必要は無かった。オングはトヌマに目で別れを告げると、すぐさま家に戻り旅支度を整えた。そして、馬に乗り一目散に北を目指したのだった。