第8話 トステの砦(アスナ峰)
文字数 3,059文字
「ミツ、強くなったなあ。」
トヌマは、ミツを優し気に見つめながらそう言うと、ミツは恥ずかしさのあまり、目を合わすことが出来なかった。
「会えてよかったべ…本当に。」
「ただ、何だか強くなりすぎて、寂しくもあるかな…。」
「何言ってるだ…強くなんかねえべよ。」
「ミツは、気づいていないんだな…。君は変わったよ。だが、これ以上は変わって欲しくない。俺の我がままかもしれないが…。」
「トヌマ…。」
「戦を止める、国を滅ぼす…確かにそれは必要なことかもしれない。でも、俺は着物を染めたり絵付けをしたり、綺麗なものをただ綺麗と言って喜ぶミツが大好きだ…。」
「だども、あたいは…。」
「分かってる。君はミズノイシと共にある。だから、やらなければならない事もあるのだろう。だが、覚えておいてくれ。俺も君と共にいるという事を…。」
トヌマは、ミツを抱き寄せた。そうしていないと、ミツが遠くに行ってしまいそうな気がしていた…。
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数日後。
ミツとトヌマとマルナはミツの力によって船で川を逆流し、アスナ峰に着いていた。だが、着いた時には、今まさにナッカ軍がアスナ峰の山側からトステ国側に攻め込もうとする寸前だった。気配から察するに、恐らく半時(1時間)もしないうちに戦が始まるとミツは感じていた。
トステ側の砦は、まだナッカ軍の動きに気づいていないようで、早く伝えなければと思ったミツは、砦に着くと兵舎の入り口に立っていた門番に懇願する。
「あたいはトステ国のミツというもんです!お願いです!これからナッカ軍が攻めてくるけんど、砦の外には出ないでけれ。そう皆に伝えて欲しいだよ!」
「何だお前、突然何を言っている?ナッカが攻めてくる?」
門番は、怪しい三人組に明らかに疑いの目を向けていた。
「本当だ!私は皇室から来た者だが、もう時間が無い。彼女の言う通りにしてくれ!もし信じられないなら、ここにいる兵士の誰でもいい、アスナ峰に偵察に行ってはくれないか?今すぐに!」
トヌマもミツに加勢すると、その勢いに押された兵士は「少し待て。」と言って、もう一人の門番と何やら話し始める。ミツはじりじりしていた。
「…時間が無いだよ。アスナ峰に大勢の気配を感じるだ。間違いなくナッカ軍だべ。」
「ミツ、この際です。私の威光を使いなさい。」
そう言うと、マルナは家紋が入った櫛をミツに渡した。
「だけんど、今は良くても後で命を狙われるかもしれねえだ。」
「承知しています。ですが、今はそんな場合ではない。」
ミツは少し考えたが、確かに偵察に行っている暇など無い。
「…分かっただ。使わせてもらうべ。」
そう言うと、話し合いをしている門番の方へ櫛を持っていき、兵士に話しかけた。
「あのお方は、スミナル様の妃マルナ様だで。極秘でアスナ峰で戦が始まる事を、伝えに来て下さっただよ。」
ある意味、嘘をついたミツだったが、今までの経緯を話している暇も無い以上、これが最善策だと考えた。ミツに櫛を見せられた兵士は、慌ててマルナの下に跪く。
「申し訳ありません!マルナ様とは知らずに、失礼をいたしました。」
幸いな事に、マルナが行方不明である事は、ここアスナ峰までは伝わっていなかったようだった。マルナは、兵士達に命令をする。
「時は、一刻を要しています。すぐに、ミツの言う通りになさい。お前達は兵舎に戻り、出て来てはならぬと伝えるのです。」
「は。…しかし…ナッカが攻めてくるにも関わらず、応戦しなくてもよろしいのでしょうか?」
「理由は、後で話します。急ぎなさい!」
「は!」
門番達は、マルナの言葉に飛び跳ねるように、兵舎へと走って行く。マルナの妃としての貫禄は、流石と言う他なかった。
「ミツ、これからどうするのだ?」
トヌマの問いにミツは冷静だった。
「アスナ峰を下ると、目の前は川だべ。あたいはその川の水を増やすだけだで。トステ軍には、川が氾濫するから外に出るなと伝えてけれ。あたいが水を操れる事は、ややこしくなるから言わない方がいいだよ。」
「そうね。でも、この川は普段は簡単に人が歩ける…深くても膝位までの深さしかないわよ。」
マルナもミツの能力をアスナ峰までの道中見て来た為、ミツの持つ水を操る力を確信はしていたが、この水量の少ない川をナッカ軍を溺れさせるほどに増やす事など、本当に出来るのか不安ではあった。
「問題ないだ。ケルト川の水をこちらに流せばいいだけの事だで、皆が溺れ死にしない程度に…それよりも…。」
「どうした?」
トヌマが、不安そうにアスナ峰を見上げるミツに尋ねた。
「多分、フーナが来てる…カゼノイシと共にいる人間だべ…。」
「風が操れるっていう事か?」
「…んだ。ナッカ軍にフーナがいるとなると、そっちの方が危険かもしんねえ…。あたいと同じように戦を止めてくれると信じたいけんど…。」
ミツがそう言った瞬間だった。アスナ峰の方角から、ナッカ軍の鬨の声があがった。
「始まっただ!二人は砦にいてくんろ!早く!」
ミツの言葉に、トヌマはマルナを連れ、砦の宿舎に向かった。
ミツは手を広げ、大きく息を吸った。ケルト川の水をこちらへ向かわせようと集中した時、ミツはフーナの気配が大きくなるのを感じた。ナッカ軍の主力とは違う場所で、突然竜巻が起こったのだ。
「フーナ!何をするつもりだが?」
竜巻は、ナッカの別動隊だと思われる弓兵達を高く巻き上げた。そして投げ捨てられたかのように地面や岩に勢いよくぶつかる。ある者は木に串刺しになり、ある者は岩でつぶれ、その状況はまるで地獄絵図のようだった。ミツは何が起きたのかは分からなかったが、主力がトステの砦めざし川を渡り始めている以上、ミツのやるべき事は変わらない。ミツは改めて集中した。
『ドドドド…。』
轟音が辺りに鳴り響くと、ナッカ軍はその異変に一瞬たじろいたが、すぐにその異変は彼らの身に降りかかった。上流からものすごい勢いで水が押し寄せて来ると、ナッカ軍の殆どがその水に飲みこまれる。命を落とす者は幸いにもいなかったが、兵士達はほうほうの体で川から這い上がると、ナッカ軍は既に戦意を無くしていた。暫くすると川の水は元通りになったが、誰も川を渡ろうとはしなかった。
川の勢いが収まった時、トヌマがマルナを伴いミツの下へとやって来た。トヌマはミツの肩に手を置くと、ナッカ軍に向かって叫ぶ。
「こちらは、戦をする気はない!そちらで指揮をとっている者と話がしたい!我々は停戦を望んでいる!この川はいつ氾濫するか分からない!今見た通りだ!」
暫くすると、ナッカ側からも声が上がった。
「そちらの言い分は分かった!だが、指揮をとっておられたクナル元帥が、何者かに連れ去られてしまった!そちらの手の者ではないのか?!」
トヌマはクナル元帥自ら戦に来ている事に驚いたが、行方不明と聞いて更に驚いた。だが、この場は納めなければならないと判断し答える。
「我々の仕業ではないが、そのような状況であれば尚の事!お互いにとっても停戦が最善ではないのか?!」
「…承知した!停戦を受け入れる!」
アスナ峰の戦は、歴史上最短で終結したのだった。