第2話 マルナの行方
文字数 2,235文字
染め師のミツに扮して、始めは見つからないように身を隠していたが、一緒に働く職人達とも仲良くなると、マルナは染め師の仕事を徐々に手伝い始めた。最初、マルナが仕事をすることに「お妃さまに仕事だなんて、とんでもない。」と言っていた職人達も根負けし、少しずつマルナに手伝わせると、もともと好奇心旺盛で、着物にも興味を持っていたマルナは、どんどん上達した。職人達からも「一人前になるのも時間の問題だ」と言われるほどに腕を上げ、行方不明から一ヶ月も立つと他の職人達と同様に仕事をこなしていたのである。おかげで、マルナが普通に暮らしていても、誰からも疑われないようになっていったが、トヌマは気が気ではなかった。
「お願いですから、一人でどこかに行かないでくださいよ。」
「川辺に赤しそがあったのよ。どうしても欲しくって…。」
「全く…。」
トヌマは時が経つほど、不安になっていった。スミナルの意向を受け、トステはすぐにでも停戦に舵を切るかと思われていたが、カミルはのらりくらりと、決定を先延ばしにしていたのだった。マルナの場所を知られないように、自分すら分からないとカミルに嘘をついたが、時が経てば経つほど、捜索で見つからない事を不審に思うだろう。カミルも馬鹿ではない。捜索隊とは別に、クイを放っている可能性がある。だが、クイの動きはトヌマですら察知出来ない。気配を消すなど、クイにとってみれば基本である。気づくのはオング位だ。
『そう言えば、オングにはいつも気配を察知されてたなあ…あれも土の力なのか?』
トヌマはオングにマルナの行方不明の理由を話さなかった事を、今になって後悔していた。オングもまたクイではあるが、マルナの暗殺には反対するであろう。何かあれば味方になってくれるかもしれない。オングはミツと会えただろうか…ミツは無事だろうか…。そんな事を考えていると、マルナが絵付けの仕事をしながら、トヌマに声をかける。
「何、難しい顔をしているの?そんなにミツに会いたいなら、行ってらっしゃいよ。」
「な、何を仰います。」
「その言葉遣いも、いい加減直しなさいよ。バレるわよ。」
マルナはすっかり、町の人間の言葉に慣れ親しんでいた。トヌマはため息をつく。
「マル…ミツ様、本当に気を付けてくださいませ。時が経てば経つほど、カミルは疑いを持ちます。クイをも放つことも考えられるのです。」
「
様
を付けたら同じでしょ?全く…今の私はミツ
。」トヌマの言葉にマルナは苦笑したが、やがて決心したように話し始めた。
「…トヌマ、実は考えていた事があります。」
「何でしょう?」
「…スミナル様は、カミルを抑えられるほど強くはありません。いまだ停戦に持ち込めぬのは、その証。待っていても状況は変わらないように思うのです。」
「しかし…。」
「私は、この暮らしが実は気に入ってます。」
マルナは天井から何本も吊るして干してある反物を見上げて、笑顔を見せた。
「スミナル様は、このまま私が見つからなければ、新しい妃を迎えるでしょう。それだけの事。であれば、私はこのまま居なくなればいいのではないですか?」
「そんな…何を言っておられるのですか?!」
「いいのです。実は皇室を出た時から、覚悟をしていました。スミナル様には申し訳ないと思いますが…私はこのままでいようと思います。あなたも、カミルに言い訳をせねばならないのでしょう?私の死体を見つけたと言って、私の髪でも持っていきなさい。そうすれば言い訳も出来るでしょう。」
「マルナ様…。」
「だから、ミツだって言ってるでしょう。」
「すみません…。」
「フフッ…トヌマ、そろそろ決断しましょう…。さて、今日はもう遅いわ。詳しくは明日話し合いましょう。トヌマも良く考えておいて下さい。」
マルナはそう言うと、帰り支度をした。
事件が起きたのはその帰り道だった。
トヌマは、マルナの後から歩いていたが、人気のない路地に入った瞬間、目の端でキラリと光る物に気がつく。その瞬間、その光はマルナ目指して飛んで来たのである。
「伏せろ!短剣だ!」
トヌマは光に気づくや否や、咄嗟にマルナを地面に伏せさせた。そうしておいて、周りを見るともう次の短剣がトヌマ目掛けて飛んで来る。
『短剣使い…ドグか…。』
そう思いながら、トヌマも持っていた剣でその短剣を弾いた。次々と飛んでくる短剣を全てはじき返すと、一瞬あいた隙に、トヌマは飛んできた方向に向けて短剣を投げ返す。
「ウッ」
うめき声と共に、その声の主は姿をくらましたようだった。致命傷ではないにしろ、これ以上は不利だと判断してその場を去ったのであろう。暫く、辺りを警戒していたトヌマだったが、ドグがいなくなった事を確信すると、マルナを立たせた。
「マルナ様、少し決断が遅かったようです。既にマルナ様の場所も、私の裏切りもバレました。このまま家に戻る事も出来ないでしょう。」
「トヌマ…。」
マルナは震えていた。初めて死を意識したマルナは、普段の気丈さを失っていた。
「しっかりなさい。逃げるのです。出来るだけ遠くへ。」
「どこへ…。」
マルナが力なく聞くと、トヌマは暫く考えたが、やがてしっかりとした口調で答える。
「私の愛する人の故郷です。」
トヌマは、マルナと共に首都カナンを離れることを決意したのだった。