第1話 カチとヒノイシ
文字数 2,844文字
カチは、半年の間もう一つ力を入れていた事があった。武術である。
カチはヌイトの死を忘れてはいなかった。あの時、トステへ復讐すると誓ったカチは、精鋭部隊の一員でクナル元帥に勝るとも劣らないゴンガと呼ばれる将軍に頼み込み、毎日手合わせをしている。ゴンガとは以前一緒に戦った戦友であり、カチが右目を失ったのはゴンガを庇っての事だった。勿論ゴンガはカチの頼みを快諾し、夕暮れ時、二人がそれぞれの仕事を終えた後、武術の鍛錬に励んでいたのである。
「カチ。今日は
「すまん、ゴンガ。もう少し付き合ってくれ。」
「…全く、しょうがねえなあ。」
そう言うと、二人は再び剣を交えた。
ゴンガはドガの教育係として、新人の育成を任されていた。指導は厳しくもあったが熱心で、若い者からは、かなり慕われていた。といってもゴンガもまだ三十代半ばの現役で、戦場では『鬼人』として恐れられている強者でもある。
もうあたりが暗くなった頃、ようやく二人は鍛錬を止め、地面に大の字に寝転がった。
「ふう。疲れたなあ…。」
「すまないな、ゴンガ。毎日付き合ってもらっちゃって。」
「いや、お前の頼みじゃ断れねえよ。その右目は俺のせいだしな…。」
「…そんな事もあったな。」
二人は暫く、空を見上げていた。そして、ふと思い出したようにゴンガが口を開く。
「なあ、前に話してくれた、お前の友達がクイに殺されたって話だがな。」
「ああ、その時俺は誓ったんだ。クイに、トステに復讐すると…。」
「それなんだが…。」
「どうした?」
「いや、お前達を襲ったのは確かにクイだと思うが…乗船作戦の指揮をするはずだったタズが、クイに殺されたって話、ありゃどうもクイの仕業じゃないかもしれないぞ。」
「え?」
「いやな、乗船作戦に行ってた兵士の話じゃ、傍に旅芸人の女が死んでたって言うんだ。」
「女が?」
「こいつは俺の想像なんだが、タズの奴は昔から酒癖が悪くてな。もしかしたら酒に酔ったタズが女に手を出して、逆に殺されたんじゃねえかって。だが、確かにクイらしき人間が逃げていったって話も聞くから、実際はどうだったか分からねえが…。」
「…そうだな。確かにタズを殺す事に意味があるとは思えない。タズが死んだところで違う人間が代わりに派遣されるだけだ。そんないたちごっこにクイが関わるとは考えられないな。」
「だろ?相手がもっと実力者なら意味もあるが…タズはドガの一員ではあったが、それほどの実力者ってわけでもねえし…。まあ、例え女に殺されたとしても表沙汰になることはねえけどな。」
「…そうだな。」
ドガの中には、その権威を振りかざし、好き勝手に生きている連中もいる。酒代を踏み倒したり、辻斬りをするような輩もいたが、そんな事実は都合よく隠蔽されていった。ドガと言う存在を、国の為に戦う精鋭部隊として位置付けるためには、どんな卑劣な行為も表沙汰にするわけにはいかなかったのだ。
「ま、周りがどんな人間でも、俺は所詮雇われの身だ。戦に行けと言われれば行くし、兵士を育てろと言われたら育てるしかないがな。…さて、そろそろ帰るぜ。」
「おう、ありがとな。また頼むよ。」
「ああ、またな。」
ゴンガが帰って行くと、カチは再び一人で刀を振り下ろし鍛錬を続けた。
『よく続くものだな。もう日も落ちたぞ。』
「ヒノイシか。何の用だ?。」
ヒノイシは、火の玉のようなものをカチの近くにポンと作った。辺りが少し明るくなる。
「優しいな。確か、人を助けることは禁じられてるのではなかったか?」
『助けてなどいない。わしが暗いのが嫌なだけだ。』
「フッ…。」
カチは少し笑うと、鍛錬を続けた。
真剣な眼差しの先には、ヌイトを殺したクイの姿を想像していた。顔は分からなかったが、その気配を思い浮かべ、刀を振り下ろす。
暫くして、ヒノイシが問いかけた。
『…人の心の中には、誰しも「火」があるのか?お前のように…。』
カチは手を止め、息を整えた。
「…怒り、復讐、そういうものを「火」と呼ぶのならそうかも知れん。」
『火は、いずれ消えるぞ。燃え尽きればな。』
「俺の心の火は決して消えない…消さない。俺が死ぬまではな。」
『…そうか。』
ヒノイシは初めてカチに会い、その心に触れた時、自分と似ていると思ったが、どこか少し違う事も感じていた。それが何なのかは分からなかったが…。
『実は最近、わしにも原因が分からぬ山火事が度々起きている。』
「山火事?」
『山火事はそもそも時々起きるものだ。雷や葉の擦れで生じた熱などが、火事を引き起こす事がある。だが、それは自然の流れで不思議なものではない。それによって良い事もある。』
「火事に良い事なんてあるのか?」
『これだから、無知な人間は…。山火事は木の病気や害虫などを駆除し、大気の養分を灰と共に地表に降り積もらせる。掃除をし、堆肥を撒くようなものだ。』
「なるほどな。お前はそれを管理しているって事か。」
『簡単に言えばな。燃えすぎてしまわないようにするのも私の役目だ。やりすぎた時には、ミズノイシの力を借りることもあるがの。』
「お前も失敗することがあるのか?神のくせに。」
そう言うと、カチは笑った。最近、カチはヒノイシが意外と人間臭い所もあるところに気づき、そんなところを見つけては、からかっていた。カチは笑いながら更に言う。
「原因が分からない山火事も、実はお前が原因なんじゃないのか?」
『馬鹿にするな。…だが、本当に分からないのだ。しかし…思い当たることはある。』
「なんだ?」
『お前さんだ。』
「え?」
『お前さんと会ってからなのだ。その異変が起き始めたのは。』
「俺が…原因?」
『人間が原因とは思えぬのだが…お前さんが火を操れるとは…やはり思えぬな。』
「なんだよ。だったら人のせいにするなよ。」
『…確かに、そうじゃな。すまなかった。』
素直に謝るヒノイシに、カチはまた笑ってしまった。偉そうなヒノイシだが、子供の様な無邪気さもあり、鍛冶の仕事をしている時も『これは何だ?』とよく聞いてくる。カチはだんだんこの存在を好きになっていった。それはヒノイシも同じだったが、お互いにそれを伝えることはしなかったのは、単純にお互い頑固者だという理由だけであった。