第1話 皇室と大神官カミル
文字数 1,853文字
妃を失った天子スミナルは、クイのトヌマからその理由を聞いていたが、気が弱いスミナルはそれを誰にも言えない事が、不安で仕方が無かった。
スミナルは、父の跡を継いで天子となったが、その素養は父親の足元にも及ばなかった。小さい頃から虫や花などを愛で、優しい人柄ではあったが、何事も自分で決めることは出来ず、全ての決定は大神官カミルに任せていたのである。マルナが妃となってからは、気の強いマルナがスミナルにとって、心の支えとなってきた。だが、そのマルナもいない今、何事も相談してきたカミルに隠し事をしている事自体、スミナルには大きな心の負担になっていたのである。
皇室の食堂で、スミナルは朝餉を済ませ、しばらくぼんやりとしていたが、そこへカミルがやってくると、途端にスミナルは緊張し動揺した。
「何か、心配事でも?」
カミルが、心を見透かすようにスミナルに聞いてくる。スミナルはここ最近、カミルに対して恐怖すら抱いていた。マルナを殺そうとしていた…トヌマから聞いた言葉が、カミルを見る度に思い出されるのだ。
「いや…マルナは、まだ見つからぬのか?」
「大規模な捜索をしておりますが、いまだその行方は掴めておりませぬ。」
「そ、そうか…。」
「スミナル様、大変申し上げにくいのですが、そろそろご覚悟なさった方がよろしいかもしれません。」
「…どういう事じゃ?」
「マルナ様が行方不明になられて、約一ヶ月が経ちます。このまま見つからない場合の事も、考える時期かと…。」
「な、なんという事を…。」
「私も、マルナ様の無事を願っておりますが、スミナル様はトステ国の天子様でいらっしゃいます。このまま、妃も娶らず、世継ぎも作らずでは、民が不安に思います。」
「しかし…。」
カミルは、マルナの行方不明をそれほど重要視していなかった。行方不明と聞いた時は、すぐ見つかるだろうと思っていたが、ここまで見つからないとなると、手引きした者がいると考えられる。カミルにはそれが誰であるかも分かっていた。だが、マルナさえいなければ、スミナルを操れる…そう思っていたのだ。
「確かに、お考えいただくお時間も必要でございましょう。今しばらく待ちますゆえ、良き判断を…。」
「…分かった。」
「それからスミナル様、春の戦の件ですが…。」
「それは…賛成しかねる。今まで通り、守りの体制を維持せよ。出来ればナッカの元帥と会談し、停戦も視野に入れたい。」
スミナルの意見は、マルナの意見でもあった。そもそも優しい人柄のスミナルは、マルナのその意見に心から賛成していたのだ。
「…畏まりました。」
スミナルの意見にカミルは納得しなかったが、例え大神官でも天子の意向は変えることが出来ない。仕方なくスミナルにお辞儀をすると、カミルは食堂を去り、神殿の「祈りの間」に向かった。
そこには一人のクイが待っていた。クイの中でもカミルの腹心でドグと呼ばれてる短剣使いだ。
「ドグ、どうであった?」
「は。カミル様の仰る通り、マルナ様はトヌマと行動を共にしておりました。」
「やはりな。」
カミルには確信があった。トヌマはマルナの行方不明に関与していると…。行方不明に関してトヌマからの報告は「戦に嫌気がさして、お逃げになられたようだ。」とだけで、それ以外は分からないとの事だった。だが、カミルはその報告に違和感を覚えていたのだ。また、捜索しても見つからないような行方不明を手引き出来るとしたら、トヌマしか考えられない。だが、例えそうであってもマルナがスミナルの傍にいなければ良い事に変わりは無かったので、しばらく放っておいたのである。だが、スミナルは戦には相変わらず反対の姿勢を示しており、スミナルの考えを変えるには、やはりマルナの死をもって変えさせるしかなかった。
「ドグよ。トヌマの動き、どう考える?」
「マルナ様を暗殺されないように逃がした…と考えるのが妥当かと。」
「困ったものだ。情に流されたか…。」
トヌマは、個人的にマルナを助けたと考えるのが自然だろう。報告を曖昧にしたのは、マルナの居場所を知られないようにする為で、暗殺されないようにしたのだ。もはや、スミナルにマルナは必要ない。カミルはこの機を利用する事にした。
「如何なさいましょう?」
「クイの仕事に、私情を挟むことは許されぬ。マルナ共々殺せ。」
「は。」
カミルは、春の戦に向け、着々と手を打っていたのだった。