第3章 -  2 余波

文字数 1,620文字

 2 余波
 


 変わらず涼太の父、吉崎謙治の帰宅時間は遅かった。
 車で一時間はかかる総合病院に勤めていて、何もなくても深夜の帰宅が多くなる。
 勤めていた病院を移った頃、車の運転は疲れないかと真弓は心配したのだが、
「こんな時間に電車で帰ってみろよ、ぎゅうぎゅうづめで、周りには酒臭いのばかりだろうし、そっちの方が疲れるよ」
 一般道をゆっくり走って帰る方が、よっぽどストレスを感じない。だから酒の予定がない限り、国産の大型クロカンに乗って彼は毎日通勤していた。
 そうして今日は会食があり、雨の中歩いてのご帰還だ。
時刻はやはり午前様で、彼は玄関に入るなり真弓に向けて声にした。
「あいつは、家にいるのか?」
 ちょうど靴を脱いだところで、天井を見つめながらポツリと尋ねる。
 すると真弓もチラッと上を見上げてから、うんうん頷き声にするのだ。
「部屋にいるわよ。ホント、最近は帰りも早いし、妙に、普通なのよね……」
 もちろん、まっすぐ帰ったという時刻じゃない。
 それでも朝帰りどころか、深夜に帰るなんて事はすっかり影を潜めている。
「普通ってのは何よりじゃないか?で、最近はどうなんだ? 学校の方は……」
 〝呼び出し〟があったりするのか? という意味で聞いてはいたが、そんなことがあればとうに大騒ぎしているだろう。
 ここふた月ほど、真弓のヒステリーに遭遇していなかった。だからこそ、そんな問い掛けを口にできたが、真弓の答えは謙治の予想を大きく超えた。
「部屋に行ってみてくださいよ。一昨日もね、あんまり静かだからちょっと覗いてみたのよ、そうしたらいい? あの子、机に向かってるのよ……それでね、〝なに〟って聞くから、何してるのって、わたし、聞いたのよね……」
 そこでちょうど、脱いだばかりの靴下を、謙治がそのままソファーの上に放り投げた。
 真弓の顔が一瞬歪み、そのままソファーに歩み寄る。
 裏返った靴下を指先で摘み上げ、
「なんだと、思う?」
 それでも続けてそう聞いたのだ。
 ところが謙治は「う〜ん」と唸って、そのまま風呂場へ一直線だ。
 だから慌てて彼女は言った。手にした靴下を遠ざけながら、
「勉強! 勉強だって〜」
〝まったく〟なんて顔付きで、ぶっきらぼうにそう告げたのだ。
 するとすぐさま、謙治の声が返ってくるが、 
「そりゃあ、まあ、高校生だからな、勉強だって、たまにはするだろう?」
 なんて声に、
 ――これまでのことを、あなた忘れちゃったの!?
 すぐにそう思ったが、言葉にしたところで答えは返ってこないだろう。せいぜいあっても、笑い声が聞こえるくらいだ。
 元々、アタフタしないタイプではあった。
 それでも、長男、雄一が死んでから、そんな感じがさらに顕著になったのだった。
 よく言えば楽天家だし、悪く言うなら、どうしてここまで無関心? ってくらいに動じてくれない。   
 雄一が死んで、それからしばらくしてから、今度は涼太がおかしくなった。
 きっと雄一の死による影響が、いろんなところに出ていたのだろう。変わっていく涼太の態度に真弓はいちいち反応し、涼太は涼太で真弓をますます遠ざけようとする。
 もしこれで、謙治までが大騒ぎしていれば、きっと涼太の反発はこれまで以上になっただろうと、真弓は今ならわかるのだった。
 ――でも、あの頃のわたしは、まったくわかっていなかった……。
 いつもこのことが頭を過り、以前のように謙治のことを怒れない。
 ただとにかく、以前と同じとまでは行かないが、涼太は確実に変わりつつあった。
 朝はちゃんと起きてくるし、相変わらずの茶髪だが、それでも毎日、学校へは行っているようなのだ。
 こんなのも、あの約束の影響なのか? 
 それとも他に、何か理由があるのだろうか?
 謙治に言わせれば、
 ――時間が、解決したんだろう?
 ってことになるが、
 ――たった一年でおかしくなって、すぐ元に戻っちゃうって……?
 あまりに、唐突過ぎるという気がしていた。
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