第5章 -  2  8月24日(3)

文字数 1,005文字

 2  8月24日(3)
 


 それは今朝、日が上がり始めたばかりの頃だ。
 そんな早くに永井家へやってきた彼は、茶髪のロン毛ではなくなっていた。
 洗いざらしの黒髪に両方の耳がしっかり見えて、優衣はもちろん、美穂や秀幸も予想以上に驚きを見せた。
「でも、どうしてなの? 何も言ってなかったから驚いちゃった……」
「だってさ、低いったって、一応山登りじゃん、茶髪のロン毛ってのはさ、ちょっと違うかなって思ったんだ」
「ふ〜ん、でも涼太くん……今の方がきっと、女の子にモテちゃうね」
 少しだけ神妙な顔になって、優衣はいきなりそんなことを言ってきた。
 ここのところ、細く剃っていた眉毛も放りっぱなしだし、これでメガネでも掛けてみれば、知らない奴ならきっとガリ勉と言っても通るだろう。
 しかしだからって、女の子にモテるってのとはちょっと違うかな? 
 なんて思っていたところに、優衣はさらに続けて言ってくる。
「涼太くんって、わたしが病気じゃなくても、こうやって一緒に居てくれたかな?」
「そりゃあ、病気じゃなけりゃ、逢えてないかも知れないからな」
「ううん、そうじゃなくてね、わたしが病気だから、だから一緒に居てくれるわけ? 重い病気で、わたしがかわいそうだから?」
「かわいそうだからなんて、俺は思ってないさ。だから、それは違うよ……」
「じゃあ、なんで一緒に居てくれるの? ねえ、どうしてなの?」
 涼太の顔を覗き込み、なんとも真剣な顔を見せてくる。
 なんで一緒に居るって? 
 俺が暇だからに決まってるだろ? 
 そう言ってから、大声で「うそうそ」と続けて大笑いする。
 そんな軽いジョークで言い返せれば、どんなに楽かって一瞬思った。
 ところが実際、そんなことが口にできる雰囲気じゃまるでない。
 顔の表情からその口調まで、優衣はいつもとまるで違っているのだ。
 もちろん彼女が聞きたい答えの意味は、涼太にだって察しが付いた。
 けれどそれに近しい言葉さえ、その頃の彼には声にするのも難しい。
 そんな窮した状態を救ってくれたのは、響き渡った駅員の声だった。
 いきなり改札口の方から声が聞こえて、二人の並んだ列も前にぞろぞろと動き出す。
 優衣の方もそれ以降、さっきの質問など忘れてしまったように見えていた。
 そうしてしばらく、優衣は本当に楽しそうで、涼太までが幸せな気分一杯になる。
 いつまでも、こんな時間が続けばいいと、彼は心の底から思うのだった。
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