第7章 -  2 真実(5)

文字数 1,246文字

 2 真実(5)



「よし、一緒に見に行こう!」
 そう告げて、彼はさっさと洋服ダンスへ駆け寄った。
 そこから真っ赤なダッフルコートと、置いてあったペニーローファーを手に取った。
 ローファーはベッド下の床に置き、ダッフルコートを優衣の足元辺りに広げて置いて、彼女の背中に手を差し入れようとした時だった。
「ちょっと、なにする気なの?」
 充分抑えた声ではあったが、それは美穂による否定の声に違いなかった。
 しかし今度は秀幸の方は何も言わず、その代わり彼は医師の方へ歩み寄り、何かを小さく呟いた。
 医師の目が大きく開かれ、驚く顔が大きく揺れる。
 秀幸がさらに何か告げると、彼はギュッと目を閉じて、そのまま妙にゆっくり頷いた。
 この間、涼太は優衣の身体を抱き起こし、彼女の身体にダッフルコートを着せようとする。
 当然美穂は声を上げ、涼太の肩や背中を何度も何度も叩くのだ。
 そのうちに、彼女の後ろに秀幸が立って、ソッと囁くように何かを告げる。
 途端に彼女の顔が大きく歪み、一瞬声を上げそうになった。
 しかしすぐ、秀幸の視線にその目が動き、そのまま優衣の顔へと揺れ動く。
 そうしてじっと動かずに、
 ――嫌だ、そんなこと嫌だ。
 しかし声にしてそうは言えない……。
 そんな表情を滲ませて、美穂はただただ立ち尽くすのだった。
 その間、優衣はゆっくり動き続けた。
 涼太の支えと言葉に習い、パジャマのまま靴を履き、ダッフルコートに袖を通した。
 まるで操り人形のように力ないのだ。
 それだけ優衣の状態はよくないんだと、彼は必死に考えた。
 ――どこから見える?
 ――ここからどこが、一番近い?
 果たしてそこまで、彼女を負ぶっていけるだろうか?
 ――……いけなくたって、行くしかない!
 だから涼太は静かに告げた。
「この時間じゃ、高尾山は無理だから……」
 そう言って、彼はさっさと優衣に背中を向けたのだった。
 すると微かに、
「うん……」という返事が聞こえて、
 ――りょうちゃんに、まかせるよ、
 そんな声が聞こえた気がした。
 涼太はそこで、頭に浮かんだ言葉を言えないままに飲み込んだのだ。
 あまりに以前と違っていた。
 高尾山の時にも、その軽さに多少の驚きを感じていたのに……。
 ――こんなに、軽くなっちゃったのか……?
 想像以上の優衣の軽さに、一気に涙腺までが緩くなった。
 しかしこんなところで涙を見せれば、優衣はその何倍も、辛く悲しい思いを感じてしまうに違いない。
 だから大きな声で彼は言った。
 己を叱咤激励するように、誰に言うとはなしに声にするのだ。
「さあ、富士山を見に行くぞ!」
 背中の優衣をしっかり感じて、彼はゆっくり立ち上がる。
 そうして病室を出て行くまで、誰もが黙ったままだった。
 微かに美穂の震える吐息が聞こえてくるが、それ以外は何も聞こえず、優衣の呼吸音だけが耳へと届いた。
 扉は秀幸が開けてくれ、きっとそのまま優衣の背中を見ていたのだろう。
 扉の閉まった音が聞こえないまま、涼太はゆっくり非常階段を下っていった。
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