第1章 -  1 平成十年 春(2)

文字数 1,865文字

 1 平成十年 春(2)
 


 一瞬、〝全寮制〟の意味がわからず、涼太はポカンとした顔をする。
 その代わりに、謙治の隣で真弓が即座に反応したのだ。
「ちょっと、全寮制の高校って、それじゃあ、この家から出すって言うの?」
「あんなことがあって、喧嘩の理由も口にしない。親の心配をまるで無視して、きっとこの先、俺たちがいくら何を言っても、涼太の心にはちっとも響きゃしないだろう」
「だからって、全寮制って、いったいどこの?」
「医大時代の同級生が、高校の理事長をやってるんだ、そこが……」
「ちょっと、それって潟ヶ谷さんのところでしょ! やめて頂戴よ、確かあの人、北海道じゃなかった?」
 謙治の言葉を遮るようにそう言ってから、真弓は一気に涼太を向いた。
「涼ちゃん、どうしてあんなことになったのか、ちゃんと理由を言いなさい。お願いだから、お父さんにしっかり謝って!」
そんな言葉が続いたが、涼太は依然立ったまま、両親の顔さえ見ようともしない。
 実際、どうでもいいと思っているのだ。視線は一向に定まらず、部屋中をぐるぐる見回して、いかにもつまらなそうに天井を見上げたりしている。
 ところがだ。急に真弓が泣き出すと、涼太の顔付きも一気に変わった。
「涼ちゃん、どうしてなの? いったい何が不満なのよ、お母さん、あなたがぜんぜんわからない……」
 そんな嘆きを声にした途端、「わっ」といきなり泣き出したのだ。
 当然謙治も目を見開いて、真弓の隣で驚いた顔を一瞬見せた。
 しかしすぐに真顔に戻り、そのまま口をつぐんで視線は涼太に向けたまま。そんな父親を睨みつけ、涼太はそこで初めて口を開いた。
「お袋が、泣いてるだろうよ!」
「お前の、せいでな……」
「違うだろう! 親父が変なこと言い出すからだ!」
「変なこと? なんにしても、お前が乱闘騒ぎなんて起こすからだ」
 そんな父子の言い合いの中、真弓はただただ泣いていた。両膝を抱えるように突っ伏して、悲しい響きを漏れ響かせている。
 結局その夜は結論が出ず――というか、一向に泣き止まない妻を放って置けなくなった謙治が、涼太へ部屋に戻るよう声にした――結果、話はまったく別のところに急展開だ。
 翌朝、涼太の部屋にいきなり現れ、謙治が唐突に驚きの条件を告げたのだった。
全寮制に行きたくないのなら、今日からひと月ある場所に、毎日午後一時から一時間居続ける。それがしっかり守られたなら、全寮制の高校へは行かなくて良いと、それだけ告げて、彼は返事も聞かずに出て行ってしまった。
 きっと真弓に泣きつかれ、なんとか考え出した〝罰〟なのだろう。
 本当のところ、家に居たいだなんてこれっぽっちも思わないし、母親のことがなければ全寮制だろうが構わないのだ。
 今から三年とちょっと前、彼が小学校六年生の時、二つ上にいた兄、雄一が他界した。
 中学二年で脳腫瘍になって、手術もできないまま病室で息を引き取った時、彼は何も知らずに病院にある広場でサッカーボールを蹴っていた。
 そんな兄の死は、残された両親をとことん苦しめる。特に母、真弓の嘆き、悲しみようは見ているだけで辛かった。日に日に痩せ細り、このまま死んでしまうんじゃないかと心の底から心配したのだ。
 だから自分までいなくなったりすれば……そう考えるだけでその頃のシーンが思い出されて、父親の申し出に「うん」と答えることができなかった。
 その後、顔を洗いに階下に降りると、真弓が待ってましたとばかりに言ってくるのだ。
「場所はね、昨日の病院なのよ。細かな場所を書いた地図がテーブルに置いてあるから、遅れないようにちゃんと行くのよ! 約束の時間に遅れないようにね!」
 玄関先からそう言って、彼女はさっさとどこかへ出掛けてしまった。
 ――約束って、誰とのだよ!
 なんて素直に思ったが、予想に反しての元気な声が、ほんの少しだけ〝どんより〟した気持ちを軽くしてくれる。
 ただとにかく、意味はまったくわからないのだ。
 全寮制ってところは、まさに父親が言い出しそうなことだった。
 しかし、おんなじ場所に居続ける。それもひと月間ずっと決まった時間だというのだから、きっと何か、そうする理由はあるのだろう。
 見張り番? それとも防犯のためだろうか? 
 しかしただの高校生――それも、右腕を骨折して満足に動かせない役立たず――を、わざわざ呼び付けてそんなことをやらせるか? なんて感じをいろいろ思う。
 ただ、なんにしたって、行ってみればわかるだろうと、彼は時間通りに病院に行き、渡された地図通りの場所に立ったのだ。
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