第50話 6日目⑥おっさんは縄文時代に思いを馳せる

文字数 4,088文字


 拠点に荷物を降ろしてから、俺と美岬は裸足になり、スコップとバケツがわりのコッヘルだけを持って波打ち際に向かった。このコッヘルに入っていたジュズダマは食品用ビニール袋に移した。
 まだ大潮だが干潮の時間が少し後ろにずれているようで、この時間でまだ干潮のピークにはなっていないようだ。それでも潮はかなり引いている。

「ふふふーん♪ 潮干狩り楽しみっすねぇ! いっぱい採れるといいっすね?」

「そうだな。貝殻が落ちてるってことは確実にいるだろうし、ここは人にまったく荒らされてないから確実に採れるとは思うけどな。……いや、むしろ調子に乗って採り過ぎないように注意した方がいいかもな。貝はすぐ腐るから」

「おぅ……そっすねー。採れるだけ採るつもりだったっすから釘差してもらって良かったっす」

「狙いはなるべく大物だな。ハマグリや赤貝は大きいし砂抜きもしないでいいからポイント高めだな。アサリやバカガイは砂抜きのことを考えると採っても昼には食えんから、その辺も踏まえて採っていこう」

「了解っす! なるべく種類を多く採る方向っすね?」

「おう。その方が料理の幅も広がるからな。……といっても俺はどの辺にどんな貝がいるかは分からんから美岬頼りになるけどな」

「おまかせっす! 島育ちの漁師の娘の本領発揮っす」

 ふんすっと気合いを入れる美岬。さてどうなるやら。

 満潮時は海底になっている波模様のついた砂地をぐるりと見回した美岬がある一点を芝居懸かった仕草で指差す。

「むむっ、感じる……感じるっすよ! その場所から隠しきれない大物のオーラが漂ってるっす! いざ、吶喊(とっかん)っす! ばんじゃーい!」

 そう言いながらハイテンションで駆け出す美岬。目指す先は砂地の中で周囲より少し低くなった小さな水溜まり。
 一瞬美岬のテンションに合わせて俺も万歳突撃するべきかと思案するものの、確実に黒歴史になりそうだからあえて歩いて追いかける。

「ここを掘ればいいんだな」

「……むぅ。ガクさんのノリが悪いっす」

「高校生がやってたら微笑ましくてもおっさんがやったら痛いだけだからな」

 砂にスコップを刺してテコの原理でボコッと砂の塊を持ち上げ、近くの砂地の上にひっくり返して広げれば崩れた砂の中からコロコロと丸っこい物がいくつか出てくる。美岬がそれを拾って海水で洗って見せてくる。

「じゃん♪ さっそく出たっすね」

「おお、なかなかいいサイズのアサリだな」

 美岬の手のひらには大粒のアサリが3個乗っている。一掘りで3個ってなかなか密度高いな、と思っている間に美岬はその3個をコッヘルに入れ、俺が掘った穴に手を突っ込んでさらに追加で2個拾い上げていた。

「幸先いいっすねー」

「マジか。密度高すぎだろ」

「誰も採ってなきゃこんなもんだと思うっすよ。貝って移動能力低いっすから、わりと同じとこに固まってるんすよ。さあガクさん、この場所はまだまだ埋まってるんでどんどん掘ってほしいっす」

「おっけ。任せろ」

 今掘った穴のすぐ横を同じように掘れば、そこからもアサリが6個出る。その隣を掘れば今度は4個出る。採れるだろうとは思っていたが想定以上だ。

「こんなに簡単にアサリが採れるのは正直嬉しい誤算だな」

「あ、でもアサリは砂抜きが必要だからこればかりだとまずいっすね。ガクさん、一度掘った穴をもっと深く掘り下げてほしいっす」

「ん。了解」

 濁った水の溜まった穴にもう一度スコップを刺してグッと押し込むとスコップの先がガツッと何か硬い物に当たるのが分かった。

「なんか硬いのが当たったぞ?」

「お、じゃ、ちょいと失礼」

 美岬が四つん這いになって深くなった穴に手を突っ込み、取り出したのは手のひらサイズの大きな二枚貝。表面がつるりと滑らかになっている。

「うおっ? ハマグリか! でかいなー!」

 殻長12㌢以上はあるだろう。魚屋でもこれほどのサイズはお目にかかったことはない。

「まだあるっすよ」

 そう言いながら美岬がさらに穴の中から10㌢ぐらいのハマグリ2個とアサリを5個追加でつかみ出す。

「嘘だろ」

「やー、楽しいっすねぇ! ここはあれっすね。縄文時代の海っすよ。貝がいくらでも採れるから採集生活だけでやっていけそうっすね。うちの島でもこんなに貝が採れる海岸なんてまずないっすよ」

 満面の笑みで次々に大きな貝を掘り出す美岬。まだせいぜい1㍍四方も掘ってないのにすでにコッヘルは半分ぐらいまでアサリとハマグリが入っている。元々はこの潮干狩りに1時間ぐらいは予定していたが、実際には始めてここまで5分だ。これはかける労力に対しての費用対効果が大きすぎるな。

「美岬、とりあえずここはこれぐらいにしておこう。ここからはどこにどんな貝がいるかの生態調査に切り替えようと思うんだが」

「ほ? これだけでいいんすか?」

「ここ以外のいろんな場所を掘ってみて、出てくる貝をその都度集めればすぐにコッヘルいっぱいになるさ」

「あ、そっすねー。じゃあ次は岩場の近くを掘ってみるっすか」

 この内湾は三角形をしているが、浜のある一辺を除く二辺は崖になっており、その崖の下は長い年月の間に崖が崩落した石や岩が積み重なって岩場になり、その岩場はまるで消波ブロックを積んだ堤のように海の中まで続いている。おそらく海中の岩の隙間にはカサゴなんかの根魚も住み着いていることだろう。

 俺と美岬は最初は拠点から砂浜をまっすぐに海に下った辺りで貝を掘っていたが、早々に切り上げて崖下の岩場近くに移動した。満潮時には水中に没する岩にはカサガイや牡蠣(かき)やムラサキイガイやカメノテが貼り付いている。探せばアワビやトコブシなんかもいるかもしれない。

「おお、でっかい牡蠣っすね。うちの島じゃこんな干潮時に歩いてこれるような場所にこんなでっかい牡蠣なんて残ってないっすよ」

 ここの岩場に付いている牡蠣は殻が分厚くて長さも20㌢以上ある大物ばかりだ。
 日本の食用牡蠣は2種類ある。秋から冬にかけて旬を迎える真牡蠣(マガキ)と夏に旬を迎える岩牡蠣(イワガキ)だ。両者は小さいうちは素人目では判別できないが、大きくなればその差は明らかになる。殻が薄くてサイズも10㌢程度とあまり大きくならないのが真牡蠣で、殻が分厚くて大きくなるのが岩牡蠣だ。ここにあるのは岩牡蠣、それも最上級品だ。

「これは最高の岩牡蠣だな。ちなみに美岬は生牡蠣はいけるくちか?」

「大好きっす」

「おっけ」

 真牡蠣なら夏は身が痩せていて旨くないが、岩牡蠣ならまさに今が旬だ。それに生活排水などによる汚染とは無縁のこの美しい内湾で育った牡蠣ならノロウイルスや腸炎ビブリオ菌による食中毒のリスクはまずないだろう。
 俺はスコップの尖端を牡蠣の殻の隙間に突っ込んでこじ開けた。中から乳白色のぷるんとした10㌢ほどの大きな身が姿を表す。それを指で摘み取って美岬に差し出した。

「ほれ美岬、食っていいぞ」

「わぁいっ! ……あーん」

 美岬に渡そうとすると上を向いて口を大きく開けてきたので、摘まんでいた大きな牡蠣の身をそのままそこに入れてやる。……なんか彼女へのあーんではなく、ツバメが雛に餌をやるイメージだったな今の。嬉しそうに咀嚼している美岬を見ながらそんなことを思う。

「……はぅう。とってもクリーミーで美味しいっす。やっぱり新鮮な牡蠣は最高っすねぇ」

 うっとりとした表情を浮かべる美岬。俺もめぼしい岩牡蠣を一つこじ開けて、その身を摘まんで食べてみた。
 海のミルクと呼ばれるにふさわしい濃厚でクリーミーな味わいと適度な塩味と濃縮された旨味。それでいながらさっぱりとした後味は身の水分が多いからだろう。スーパーで売っている物とは鮮度が比べ物にならない活きたままの牡蠣には生臭さが全く無く、その旨さに思わず唸る。

「……おぅっ、これはヤバイな。何も加工しないでこの旨さか! これで素材とか料理人魂が疼くなー。つくづく調味料が揃ってないのが悔しいな」
 
 これでポン酢かレモン汁があれば最高なんだが。とりあえず岩牡蠣は採っていこう。砂を噛んでないからすぐに食べられるのもいい。
 スコップをテコの原理で使い、岩牡蠣をとりあえず4個、殻付きのまま岩から引っぺがす。生でも旨いがこれはとりあえず焼き牡蠣にしてみよう。
 それとカメノテ、ムラサキイガイ、カサガイも少しずつ採っておく。この時点でコッヘルはすでに一杯になっているのだが、一応は生態調査のためにここに来たので、ついでとばかりに岩場のそばの砂地にもスコップを立てて掘り返す。すると……。

「おぉ! 本命が来たっすね!」

「でっか!? このクラスになると一流の寿司屋でようやく扱えるような代物だぞ」

 掘り出した砂の塊からゴロッと転がり出てくる握りこぶしサイズの丸っこい二枚貝。殻に放射状にたくさんの縦溝が刻まれ、白い殻の表面に黒い藻のような細かい毛がびっしり生えている。俺たちが石鹸の入れ物としても使っている赤貝、それもかなりの大物だ。
 昔から高級な寿司ネタとして重宝されてきた赤貝だが、今では漁獲量が少なくなり、一般に出回っているものはほとんどが近縁種のサルボウという貝であり、本物の赤貝でしかもこのサイズとなると魚市場でもそうそう見掛けないし、あっても値段的に手が出せない。
 こんな高級食材が普通に棲息してるとはこの浜は凄いな。だが、日本各地に残る縄文時代の貝塚のことを考えるとずっと昔はこれが当たり前だったのかもしれない。俺が拾い上げた赤貝を手にそんなことを考えているうちに美岬は同じぐらいのサイズの赤貝をさらに追加で3個掘り出していた。

「美岬! ストップストップ! もうそこまでにしよう。これだけあれば昼だけじゃなくて夜の分まで十分あるから」

 すでにコッヘルは山盛りになっている。本当はもっと別の場所の生態調査もしたかったがそれはまた別の機会にしよう。とりあえずこの内湾が思っていた以上に豊かな海産資源に恵まれていると分かっただけでも十分だ。
 11時過ぎから始めた潮干狩りだったが、順調過ぎてまだ11時半だ。とりあえず砂抜きの必要無い貝を使っての海鮮バーベキューだな。


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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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