第28話 4日目⑧おっさんは人事を尽くして天命を待つ

文字数 2,985文字

 完成したカサゴのスープカレーを小さいコッヘル2つに注ぎ分ける。カサゴの出汁とカレーの匂いが混ざり合ってなんとも言えない絶妙な食欲をそそる香りが立ち上り、期待感で胃が鳴き出す。
 身の少ないカサゴといえど、30㌢の大物となればそれなりに身は取れる。スープカレーというにはかなり具だくさんで、どちらかといえばカサゴのカレー煮込みと呼ぶべきかもしれない。
 竹の枝を適当な長さに切って作った箸をそれぞれ手にして、カサゴへの感謝を込めて手を合わせる。

「「いただきます」」

 まずはスープを啜ってみる。丁寧な血抜きと下処理の甲斐あって生臭さは全く無い。スパイシーなカレーの香味と濃厚な出汁の旨味と適度な塩加減が絶妙のハーモニーを奏でる。

「うっまっ!」

「ほわぁぁ! なんすかこれ!? もう口の中が幸せ過ぎるっす!」

 やっぱりカサゴは煮込んだ時の出汁の旨味が尋常じゃない。鰹ダシや昆布ダシも使っていないのにこの旨さはすごい。鰹節や昆布は長時間天日干しにすることでタンパク質が旨味成分であるアミノ酸に変わることで旨くなる。それに対してこのカサゴはついさっきまで生きていたものだ。その骨を煮込んだだけでここまで旨味が出るというのが正直納得できないが、まあ旨ければよかろうなのだ。
 
「カサゴのカレーがこんなに美味しいなんて知らなかったっす」

「ほんとにな。調理理論的に旨くなるとは確信していたが、こんなに旨くなるとは想定外だったな」

「え? これ創作料理だったんすか?」

「ぶっつけ本番ではある」

「天才っすか!」

「いや、そこまでではない。調理理論っていう料理の基本ルールを押さえていて、それなりの実務経験さえあれば初めての料理でも大体の味の予想はできるし、それにカレー粉はどんな食材でもそれなりに美味しくできるチートアイテムだからな」

「……ガクさん、あたしにも調理理論教えてほしいっす。ガクさんは事も無げに言ってるっすけど、作ったことがなくても大体の味の予想ができるって、あたしからしたらめっちゃ羨ましいチートスペックっすよ」

「そうか? んー、まあ高校生ならそんなもんか。そういえば美岬は本土では下宿してるって話だったが、食事は出るのか?」

「下宿っていっても寮とかじゃなくて普通の単身者向けアパートっすから自分でやんなきゃいけないんすよ」

「……あー、なんか色々察した。大変だったな」

「そうなんすよっ! だからガクさんにお料理教えてほしいっす」

「おう。それぐらいはお安いご用だ。本土に戻ったら簡単で旨い料理をいくらでも教えてやるぞ。都合がつけば俺の店にも来たらいい。調理器具も揃ってるからどんな料理でも作れるし、本格的なジビエ料理も食わせてやりたいしな」

「わぁい! 行くっす! 絶対行くっす! 約束っすよ!」

「ああ。約束だ。だが今はカサゴカレーを食べようや。まだおかわりはあるし、そもそもまだスープをちょっと飲んだだけだからな」

「へへ、そっすね。あまりの美味しさに興奮してしまったっす」

 箸でカサゴの身をつまんで口に運ぶ。プリっとしたしっかりとした歯応えのある身を噛み締めると、身の中に閉じ込められていた濃い魚の味が口の中に広がる。しばらく煮込んでいたから味が煮汁に溶け出してしまっているのでは、と思っていたが、身の質がしっかりしているから思ったほど味が抜けておらず、カレーの濃い味にも負けずにしっかりと自己主張している。
 そしてカレーの中に雑ざっている緑豆も全然青臭さも無く、魚肉とはまた違う食感で良いアクセントになっている。
 様々な具材を一緒に煮込んだカレーの場合、それぞれの食材の自己主張が強すぎると味の殺し合いになってしまうので、一晩寝かして味を馴染ませることでバランスが良くなるが、このカサゴカレーの場合はそもそも具材が少なすぎるので、それぞれが自己主張するぐらいでちょうど良い。むしろ主役のカサゴをカレーと緑豆が良い感じに引き立てている。
 そんな感想を口にすれば、美岬がハッとしたように言う。

「なるほど。普通のカレーがフルオーケストラで、こっちはカサゴがリーダーな少人数ロックバンドなんすね!」

「……ぶふっ! うまいこと言ったな」

 カサゴの身がボーカルで、骨がドラムで、カレー粉がギターで、緑豆がベースなイメージが脳裏に浮かんでそのシュール過ぎる絵面に思わず吹いてしまった。

 そんなこんなで一番大きい2㍑コッヘル一杯のカレーを二人で綺麗に食べきった。鱗や小骨をあらかじめ取り除いていたからしっかり汁まで飲み干して満足する。この気温とこれから海が大荒れになることを考えると置いておけないからな。

「……この満腹感は久しぶりっす」

 心底満足した様子で美岬が幸せそうにしみじみと言う。

「ずっと腹ペコだったもんな。この後は嵐が終わるまではまともな食事はできないだろうから最後の補給ってところだな」

「そっすね。これからが大変っすもんね」

 これから潮が満ちてきて、今は水から出ているカルデラの外縁山が沈めば外海のうねりがカルデラ内に入ってきて大荒れになるだろう。これから夜にかけて満潮になり、その後の真夜中に干潮になり、明日の朝にまた満潮になる。特に俺たちにとって危険なのは明日の朝と夕方の満潮だろう。それぐらいに台風が一番近づくことになりそうだからだ。とにかく、今のうちにやれることはきちんとやっておかないとな。

 さしあたって、海中で根掛かりしているシーアンカーの様子を調べてみることにする。箱メガネで海中を覗いてみれば、筏から1㍍ぐらい下の岩に引っ掛かっていることが分かった。この感じだとちょっとした拍子に外れてしまいそうだ。台風が過ぎ行くまでこの場所に停泊し続けるために強化しておいた方がいいだろう。
 幸いなことに今はまだ干潮でカルデラ内が穏やかだから、美岬と相談した結果、俺が潜って作業することにした。シーアンカーとは別のパラコードを用意して筏に結び、海中の岩に固定して筏が流れていかないようにすることにした。潜るついでにシーアンカーは回収する。

 まずはシーアンカーの代わりになる別の錨綱(いかりづな)を準備する。パラコード1本だけだとちょっと心許ないので、8㍍で切ったパラコードを真ん中から折って2本に束ねて4㍍にする。
 束ねたパラコードの片方を筏の船首にしっかりと結び、反対側を引っ張れば締まる輪にする。西部劇でカウボーイが使う投げ輪みたいな感じだ。
 輪の部分を握って海に潜り、シーアンカーが掛かっている岩に広げた輪を掛け、引っ張れば輪が締まり、岩と筏がしっかりと繋がれる。それからシーアンカーを回収して筏に戻り、作業は無事に終了した。

 それから、パラコードで作った握り輪を筏の各部に作っておく。これは筏が大波に翻弄されても俺たちが掴まって振り落とされないようにするためのものだ。文字通り俺たちの命綱だな。

 ここからが正念場だ。自分たちに出来ること──人事は尽くしたと思う。あとは運を天に委ねるしかない。








【作者コメント】
 大自然の脅威を前にしては人間は本当に無力です。この部分を編集してる今まさに台風が作者の住む紀伊半島で暴れてますが、海でこんなのに遭遇したら普通に死ぬわーって思いますね。
 とにかく浮力があるものを身に付け、可能なら風裏に避難し、あとは運に委ねる以外にやれることはないなと改めて思います。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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