第37話 5日目⑥おっさんは初めてをもらう

文字数 3,903文字

「……あー、とその前にまずは現状の認識と目標の擦り合わせをしておこうか。俺たちは運良く嵐の海からこの島に上陸することができたわけだが、俺たちが通ってきたあの洞窟は普通じゃまず見つけられないと思うし、俺たちが見てきた限りこの島の海岸線にも上陸できそうな場所は無かったよな?」

 セックスの話をすると言いつつ、まずはこんなことを言い出す俺に美岬が肩透かしを食らったような表情で首をかしげつつも頷く。

「そっすね。島の北の方はどうなってるか分かんないっすけど、西海岸と南東海岸はずっと崖だったっすもんね」

「そうだな。だから俺たちの捜索をしてくれるであろう捜索隊もたぶんこの島の周辺海域は探してくれるだろうし、仮に島の北側に上陸できそうな場所があるのならその辺も探してくれるだろうが、明らかに上陸できそうもない南東海岸から内陸に100㍍も入った所にあるこの谷底まではまず捜索はしないと思うんだ」

「あー、そっすよねぇ。こんなところにいるなんて思わないっすよね」

「となるとだ、俺たちがこの漂流サバイバルから社会復帰しようと思ったら、この島から自力脱出した上で、人の住んでいる場所までたどり着かないといけないわけだ。……これだけ大きい島だから、もしかしたら北の方には人が住んでるかもしれないが、少なくとも見てきた限りだと島の上に電柱とか人工的な物は見なかったな」

「確かに。海から見た感じだと崖の上は普通に原生林だったっすよね。有人島なら当然あるはずの転落防止の柵も無かったですし、やっぱり無人島なんすかねぇ」

「そこはまだ分からんが、今の知り得てる情報からするとその可能性は大きいな。……で、今後の方針だが、社会復帰するために自力脱出を目指すか、諦めてここで生きていくかの二択になるが、美岬はどうしたい?」

「え? えっと、そもそもガクさんはどうしたいんすか?」

「俺の場合はもう家族はみんな死んで天涯孤独だからな。俺にとって本当に大切なのは美岬だけだから、美岬さえ一緒にいてくれるなら島から脱出するのでも、ここで生きていくのでもどっちでもいいかな。元々ある意味世捨て人みたいなもんだし。……でも、美岬はそうじゃないだろ? まだご両親も健在だし、帰ってやりたいこともあるだろう?」

「あ、はい、そっすね。やっぱり親にも会いたいっすし、学校での勉強も続けたいっす」

「やっぱそうだよな。となると、なんとかして自力脱出して社会復帰するのが当面の第一目標になるわけだ。だが、その為にはいくつかのハードルを乗り越える必要がある。なにか分かるか?」

「……んー、そっすねぇ、とりあえずは本土、もしくは人が住んでる島にたどり着けるための移動手段すかね?」

「その通りだ。俺たちが乗ってきた筏は風任せ波任せで流されるだけだったからな。せめて帆と舵ぐらいは備えた、目指す方向に進んでいける筏か舟は必須だな。あと実際に帆の扱い方とかに習熟するための練習期間も。他には?」

「当然、航海中の水と食料はある程度必要っすよね」

「そうだな。保存食と水は少なくとも2週間分ぐらいは欲しいよな。俺たちの普段の生活に必要な分は取り分けた上で航海用の分を別に取り分けなくちゃいけないから、必要量はかなり多くなる。あとは天気と気候の問題もある。天気予報を知ることができない以上、これからの台風とか冬の時期の移動は避けたいよな」

「そっすね。嵐の海は正直もう懲りごりっす。そもそも今こうして生きてるのがもはや奇跡っすよね。それに、冬の海で波しぶきに濡れながら何日も航海するとか普通に死ぬっすね」

「俺もそう思う。じゃあここまで出揃った情報をまとめてみるとだ、最低でも帆と舵のある舟もしくは筏を作って、十分な保存食と水を準備して、これからの台風シーズンと冬期を避けるとなると、この島からの自力脱出の目処が立つのは最短でも来春ぐらいになるわけだな。その時に首尾よく社会復帰ができれば、さすがに留年は仕方ないだろうが、それでも学業には戻れるはずだ。
ちなみに俺たちみたいな海難事故で行方不明になった場合は特別失踪という扱いになるんだが、最後に生存が確認されてから1年はあくまでも行方不明扱いで死亡届は出されないから学校も除籍じゃなくて休学扱いだと思う」

「ふむふむ。まあ明らかに単位足りないっすから留年(それ)は致し方ないっすよね」

「うん。……じゃあここからが本題だが、今挙げた条件を全部クリアしていざ脱出の準備が整った時に、美岬が妊娠してたらどうなる?」

「……おぅ、そこに繋がるっすか。あ、でもそうっすね。……なるほど、ガクさんの言いたいことはよく分かったっす。避妊できないのにエッチなことして赤ちゃんができちゃったら、あたしは本土に戻れてももう高校には戻れなくなるし、そもそもこの島からの脱出とかも難しくなるんすね」

「そういうことだ。きちんと避妊が出来るんなら、美岬の同級生カップルみたいにただ好きだからとか、付き合ってるならして当然って理由でセックスもできるが、避妊ができない今の状況でのセックスはただの快楽やスキンシップの枠に収まらずに子作りになってしまうからな。そして、このサバイバル状況下での妊娠と出産と子育てというのがどれほどのリスクになるか、想像するだけでもヤバいと分かるよな」

「……うぅ、確かに想像するだけでも恐ろしいっす。それに、将来ならともかく、この歳で母親になるとかさすがにキツいっす。ガクさんがエッチなことに慎重になる理由がよーく理解できたっすし納得もしたっす。確かに妊娠のリスク考えると今はエッチは自粛した方が良さそうっすね」

「そうだな。俺もそう思う。それとセックスへの熱が(たかぶ)りかねない、いわゆる前戯的なスキンシップ──ペッティングとかディープなキスも止めといた方がいいだろうな」

「えー、恋人なのにスキンシップやキスも禁止っすか?」

「ある程度のスキンシップなら構わんさ。ディープじゃない方のキスも。枕詞に『エロい』が付くようなスキンシップやキスじゃなければ」

「むー、つまりエッチな雰囲気になってきたらブレーキをかけるということでいいっすかね?」

「ま、そういうことだな。とにかく、次の春にこの島から脱出して社会復帰するという目標を実現しようと思うならそれまでイチャイチャは封印して目標達成に向けて真剣に努力する必要があるってことだ」

「了解っす。それでお願いします。……はうぅ、なんかガクさんが本当にあたしのことを大事に想ってくれてるんだって今の話でつくづく思い知らされて、女としてめちゃくちゃ嬉しい反面、あたしの為にガクさんにずっと我慢させることになるのが正直申し訳ない気持ちでいっぱいっす」

「気にするな。俺は元よりそのつもりだったからな」

「くっ、彼氏が男前過ぎて辛いっす。こんな素敵な人を知ってしまったらもう、女の子となんとかしてエッチすることしか考えてない同年代の男子たちとかしょうもなさすぎて絶対に付き合えないっす。どうしてくれるんすか?」

「おぅ……俺もそういう猿だった頃があるから、男は精神的に円熟するのが女より遅いから長い目で見てやってほしいとしか言えねぇ。……だが、そうだな、美岬に関してはその今付き合っている素敵な彼氏とやらと別れずにずっと一緒にいればいいんじゃないか?」

 俺がすっとぼけてそう言うと、美岬が何かイタズラを思い付いたような笑みを浮かべ、きちんと正座し直して背筋を伸ばした。

「おぉ、それは名案っすね。では私から言わせてもらうっすね。……私、美岬は、あなた、岳人を、病める時も健やかなる時もどんな時も、二人がこの世に生きる限り、ずっと愛し、尊敬し、共にいることを誓います」

「おい」

「さ、どうぞ。ガクさんの番っす」

 ワクワクした顔で俺を促す美岬。いや、別に嫌とかそんなんじゃないんだが、あまりにも色々と段階をすっ飛ばしすぎだろう。

「……美岬。誓いというものは厳粛な約束だ。分かってるのか?」

「もちろん。そもそもあたしはとっくにガクさんに命預けてるんすから、これはあたしの本心をちゃんと口に出しただけっす」

「……そうか。じゃあ俺の番だな。……私、岳人は、あなた、美岬を、誰よりも大切な人生のパートナーとして、二人がこの世に生きる限り、病める時も健やかなる時も他のどんな大変な状況にあっても、あなたを愛し、慈しみ、守り抜くことを誓います」

 俺がそう言った瞬間、美岬の目から涙がこぼれ落ちる。美岬は照れくさそうに笑って指で涙を拭い、俺の目をまっすぐに見つめて、そっと目を閉じた。
 俺は美岬に近づき、その頬に手を添えて上を向かせ、美岬の唇に自分の唇を重ねた。
 ただ触れ合うだけの誓いのキスを終えると、美岬が俺の胸に飛び込んできたのでしっかりと受け止め、その背中に手を回してしっかりとハグする。

「……どうしよう。幸せすぎるっす」

「俺もだ。愛しているぞ美岬」

「……今はこれ以上進めないのがちょっと残念っすけど、あたしの初めてのキスも、処女も、これからのあたしの人生のすべてはガクさんのものっす。まだまだ未熟なふつつか者ですが末長くよろしくお願いするっす」

「ああ。俺を選んでくれたことを絶対に後悔させないように全力で幸せにすると約束しよう」

 俺たちはもう一度、触れ合うだけのキスをして離れた。




【作者コメント】
もし美岬が岳人さえ一緒にいてくれれば社会復帰出来なくても構わないという選択肢を選んでいたらこのまま永住ルートだったので何気に重要なターニングポイントでした。

まだ永住しないと決まった訳ではありませんが、とりあえず脱出と社会復帰が当面の目的となります。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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