第76話 8日目④おっさんは葛から繊維を取り出す

文字数 2,729文字

 昼食後に少し休憩してから、俺と美岬は葛の繊維取りをするために再び小川に向かった。
 小川のそばに掘った穴の中に、昨日茹でた葛の蔓がリース状に巻かれた状態で入れてある。上に被せてあった葦の葉を退けて葛の蔓を取り出してみれば、天日で 蒸されて発酵が進んだ表皮がドロドロに溶けてかなり気持ち悪い状態になっていた。
 それを素手で掴んでしまった美岬がすごく厭そうな顔をする。

「うへぇ……なんかヌルヌルのドロドロで不快感すごいっすねぇ。これって正常なんすか?」

「おう。これでいいんだ。表皮が発酵してこれぐらいドロドロになれば、水洗いだけで綺麗に落ちていい繊維が取れるようになるんだ。まずはリース状に巻いてある蔓をほどいて並べていくぞ」

「ふえぇん。了解っすぅ~」

 ドロドロで指先が滑るので四苦八苦しながら、それでも5つのリースをほどいて4㍍弱のまっすぐな状態にして、根本部分を揃えて同じ方向に並べる。

「よしよし。じゃあこいつを小川の水で洗っていこうか。俺がこの根本部分を束ねて持った状態で上流側から蔓を流れに泳がせて(ゆす)ぐから、美岬はそれで落ちなかった表皮を手で軽くこするようにして洗い落としていってくれるか?」

「了解っす。やっとこのばっちいドロドロを落とせるっすね」

 俺は5本の蔓をまとめて両手で掴み、ズルズルと小川の中に引きずって入っていく。そして小川の流れに浸して揺すれば、ドロドロの表皮が水に溶けながらぼろぼろと流れ落ちていく。
 美岬がそれを両手で揉んだりこすったりして、残った表皮の(かす)を丁寧に洗い落としていく。
 ほどなくして、濃い緑(カーキ)色の表皮はすっかり綺麗に無くなり、薄い緑色の内皮が剥き出しになった。

「おー、綺麗になったっすねー。これが繊維っすか?」

「ああ。この内皮が繊維になる。この内側には芯があるんだが、芯を抜いて残る部分が繊維だな」

「なるほど。芯を抜くのって難しいんすか?」

「いいや。これは本当に簡単だ。1本ずつ順番にやっていこう」

 一度陸に上がって4本の蔓を地面に下ろし、1本だけを持つ。

「まず、バナナの皮を剥くみたいに指先で内皮を剥いていくと芯が剥き出しになる」

「ふむふむ」

 蔓の根本を上に向けて持ち、内皮を剥いていけば白い芯が剥き出しになるので、だいたい長さ10㌢ぐらいまで芯を剥き出しにする。
 根本の辺りの蔓の太さは1㌢ぐらいで、芯の太さが5㍉ぐらいだから、バナナというより電化製品の電気コードのゴム被膜を剥がして銅線を剥き出しにしていると言った方が見た目のイメージは近いな。

「で、片手で剥いた内皮を握り、もう片手で芯を握ってゆっくりと引っ張っていくと……」

「おぉ、引っ張られた芯が内皮を裂いて引き出されてくるんすねっ!」

「そう。こんな感じで根本から始めて先端の方まで内皮と芯を分けていくんだ。この通り簡単だから美岬もやってみな?」

「あいあいっ!」

 葛の内皮と芯を分ける作業は本当に簡単だからすぐに終わる。
 この取り分けた芯も使い途はあるが、今は使わないのでリース状にぐるぐると巻いて、その辺の枝に引っかけて乾かしておく。
 そして内皮の方だが、これを細かく裂けば葛繊維――葛緒(くずお)になるのだが、適当にやってしまうと葛の繊維がグチャグチャに絡み合って使いものにならない無駄が出てしまう。無駄を出さないようにするには一工夫必要だ。

 まず、適当な小枝をナイフで削って薄いヘラを作る。ステーキナイフみたいな感じだな。
 それから葛の内皮を5本とも地面に並べる。そして、その真ん中あたりを束ねて持つ。元の長さが4㍍ぐらいだから真ん中を持てば2㍍ぐらいになるので俺が手を掲げれば端が地面に着かない状態でぶらさがる。

 そのまま小川の中に入っていき、さっき表皮を洗った時と同じようにして内皮を水に沈め、流れの中にたなびかせる。

「よし、じゃあ美岬は今作ったヘラでこの内皮を裂いて細くしていってくれ」

「あいさ」

 美岬が内皮を手で裂き、そこにヘラを刺して、そのまま引き裂いていく。こうやって水の流れに漂わせながらだと裂いて細くなった葛緒がお互いに絡まりにくい。
 最初はリボンのようだった内皮が美岬がヘラを通す度にだんだん細く紐状に変わっていく。

「だいぶいい感じにほぐれてきたな」

 現在の葛緒の太さは素麺(そうめん)ぐらいだ。

「そっすね。そろそろ裂くのが難しくなってきたっす」

「ならここまでにしておこう。これはこのまま干して、乾いてから次の作業に移るから続きは明日だな」

 俺が束ねて握っていた真ん中部分は繊維をほぐしていないので内皮の形がそのまま残っている。その部分を適当な木の枝に引っかければ、ほぐされた紐状の繊維が(しだ)れ柳のように垂れ下がり、さらさらとそよ風に揺れる。このまま明日まで干しておけばいい感じに乾いてくれるだろう。

「なんか、こうなると先が見えてきた感じっすね」

「そうだな。ここまでくれば植物の蔓っぽさはだいぶなくなってきてるから、見た目は束ねた紐だもんな。ただ、このままだと強度が弱すぎて使えないけどな」

「どうやって強度を上げるんすか?」

「んー、まあそれは明日やる作業ではあるんだが、ざっくり説明すれば、葛緒を繋いで長くして、それを(ねじ)って細い糸状にして、それを何本か束ねて捩ることで丈夫な糸にするって感じだな」

「ふむふむ。何となくイメージはできたっす。そういえば、あの丸めて干してある芯はどうするんすか?」

「ああ、あれは材質的には麦わらとよく似てるから、麦わら帽子とか(むしろ)の材料なんかにも使えるぞ。麦わらと違って長さがあるから仕上がりも綺麗になるしな」

「あ、野良仕事をする時に麦わら帽子は欲しいっす。頭に巻いたタオルだと日差しの眩しさは防げないっすから」

「そうだな。じゃあ葛芯が乾いたらまずは麦わら帽子を作ってみるか」

「わぁい! 楽しみっす」

「さてさて、葛の繊維取りもうまくいきそうだし、これからの生活で葛糸と葛芯──もうこれは葛わらでいいか、の需要がどんどん増えるのは間違いないから、これからは時間がある時にどんどん葛の蔓を茹でて発酵させて仕込んでいかないとな。とりあえず今から葛の群生地に行って、葛芋掘りと蔓集めを進めていこうと思うんだが」

「おぉ、ついに葛芋掘りをやっちゃうんすね。頑張るっすよ!」

 美岬はこの島に到達したその日から風邪薬である葛根湯(かっこんとう)の原料になる葛芋を手に入れたがってたからやる気満々だな。

「一応、良さげな芋が埋まってそうなあたりには目印は残してあるから、一旦拠点に戻って道具を準備していこう」

 一度拠点に戻ってスコップと(クワ)(ノコギリ)、そして葛芋や蔓などを運ぶためにスポーツバッグなどを準備して、俺と美岬は葦の繁る湿地を抜けた先にある葛の群生地に向かったのだった。





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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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