第81話 8日目⑨おっさんはハートマン軍曹にはなれなかった

文字数 3,204文字


 ちょっと多すぎるかな、とは思っていたがやはり晩メシを作りすぎてしまったようだ。そもそもクロソイ1匹でもふたりの一回の食事としては十分だったのに更にアイナメ1匹と具だくさんの海鮮煮込みまで作ってしまったからな。

「うー、お腹いっぱいでもう食べられないっす」

「無理して食べきらなくていいぞ。俺にとっても多すぎるからな」

「でも、お刺身が勿体ないっす」

「残しても捨てるわけじゃないぞ。明日の朝メシ用に加工するだけだ」

「あ、そうなんすか? じゃあ、ごちそうさまっす」

 食事を終えた時点で、海鮮煮込みは大コッヘルの半分ぐらい、刺身はクロソイとアイナメ合わせて半身1枚分ぐらい残っていた。

「久しぶりの魚でテンション上がって作りすぎたな。次からはちゃんと1回で食べきれるだけの量にしよう」

「ガクさんでも作りすぎることあるんすね」

「そりゃあるさ。でも普通の生活なら多少作りすぎても冷蔵なり冷凍なりで保管できるからな。ここでも涼しい季節になったら作り置きも多少はできるようになるだろうけど、今はまだ無理だな」

 再びまな板を準備して、残った刺身を細かく刻み、中コッヘルを使って水に晒してあえて魚の味を抜く。
 晒した水には魚の味が溶け出しているので、捨てずに大コッヘルの海鮮煮込みに継ぎ足して嵩増ししてかまどの火にかける。

「美岬はこっちの鍋を見ててくれるか? ムール貝の殻は邪魔だから箸で摘まみ出して、しっかりとグツグツ煮る感じで。もしかしたらもうちょっと灰汁(アク)が出るかもしれないからその時はお玉で掬い取ってくれ」

「おまかせられ」

 美岬に鍋を任せて、俺は水に晒して表面が白っぽくなった魚肉をナイフで叩いて更に細かく刻み、ペースト状にしていく。
 ある程度細かくなったら塩を加え、指先で磨り潰したり手のひらで握り潰したりしながら練っていき、粘りが出てねっとりとしたすり身にする。本当はこれに砂糖や味醂で甘味を付けたり、卵白やデンプンをつなぎにしたいところだが、無いものはしょうがない。
 出来上がったすり身を適当な木の枝を芯にして巻き付けて一旦作業を中断し、美岬の様子を見る。

「そっちはどうだ?」

「アクはちょっと出たんで取ったっす。ムール貝の殻も全部出して、今はかなりグツグツ煮えてるっすね」

「おっけ。じゃあそっちから仕上げていこう」

 拠点からカレー粉を取ってきて入れれば、たちまち暴力的なまでのカレーのスパイシーな香りが辺りに充満する。

「うはっ! やっぱりカレーの匂いはすごいっすね! お腹いっぱいなのに食べたくなっちゃうっす」

「これは明日のお楽しみだ。香辛料には防腐効果もあるからな。しっかり加熱殺菌して、さらにしっかりとスパイスを効かせておけば常温で一晩置いてても傷みはしないだろう。蓋も被せておくし」

「なるほどっす。カレーが暑いインドの食べ物なのはスパイスの防腐効果も関係してるんすかね?」

「お、そこに気づいたか。正解だ。食べ物が暑さで腐らないようにスパイスを活用していたのがカレーというかインドや東南アジアの国々の昔からの生活の知恵だな」

「なるほどなるほど」

 出来上がった海鮮カレーに蓋をしてかまどから退かし、さっき準備した棒に巻き付けたすり身をくるくる回しながらかまどの火で焙って焼いていく。

「さっきから気になってたっすけど、何作ってるんすか?」

「美岬もよく知っているものだぞ」

「え? そうなんすか? ……うーん、なんだろ?」

 やがて、火の通ってきたすり身がふっくらと膨らんできて、表面に茶色く焼き色が付いてきて完成形に近づいてきて美岬も気づく。

「え? まさかこれチクワっすか?」

「正解。白身魚と塩だけの最も原始的なものだけどな」

「はー、いきなり刻んだ刺身を水で洗い始めたから何をするかと思ってたっすけど、練り物ってああやって作るんすか」

「魚の身をそのまますり身にすると魚の味が強すぎるからな。ほら、前にヨコワで作ったハンバーグみたいな感じだ。あれはあれで旨いがチクワやカマボコとは明らかに別物だよな」

「そっすね。勉強になるっす」

「焼けばチクワ、蒸せばカマボコ、揚げればさつま揚げだな」

「ほー、練り物の違いってそういうことだったんすね」

 明日の朝食用に海鮮カレーとチクワが完成した。周囲はすでにすっかり暗くなっているが、時間そのものはまだ寝るには早いので、手元が暗くてもできる作業を進めていくことにする。
 貝殻を焼いて畑に撒くための石灰(せっかい)にする作業と、半日干して、ある程度乾いているはずの葛の繊維──葛緒(くずお)を紡いで糸にする作業だ。糸紡(いとつむ)ぎは予定では明日するつもりだったが、明日は他にやることがたくさんあるので前倒しで進めることにした。

 石灰作りは特筆することもない。かまどの火力を上げて、そこに貝殻を投入して焼くだけだ。石灰だけが欲しい場合は土器にでも入れて蒸し焼きにするが、今回は木灰と混ざっても構わないのでそのまま直接焼く。
 大きい貝殻──牡蠣やハマグリはクラフトにも使うかもしれないので大きくて形が良いものをいくつか温存しておき、それ以外とアサリやムール貝の殻を火の中にどんどん投入して、あとは放置しておく。

 サバイバルにおいて糸や紐の重要性は計り知れない。これは本当にどれだけあっても多すぎないし、あればあるほどいい。
 細い糸は釣糸や布や道具類の材料になるし、太めの紐はロープや家具類や荒布を作るのにも重宝する。
 ここで俺たちがより快適に暮らすためにも、脱出するための筏を作るためにも、糸や紐やロープは大量に必要だ。
 しばらくは糸紡ぎを毎日やらないと需要に供給が追い付かないだろう。昼間に葛の蔓を茹でて発酵槽に入れ、前日から発酵させておいた蔓を洗って解して葛緒(くずお)にして干し、夜にそれを糸に紡ぐというのがルーティーンになりそうだな。

 小川から干してあった葛緒を取ってくる。すでにすっかり乾いてふわふわになっていた。

「うわぁ! すごく柔らかくてさわり心地もいいっすね! それにすっごい良い香りっす。新しい畳みたいっすね」

 美岬のテンションが上がるが気持ちは分かる。確かに乾いた葛緒は元があの葛の蔓とは思えないほど柔らかくて良い香りの繊維になっているからな。今は薄い緑色だが、やがて薄茶色になって香りもなくなる。この香りを楽しめるのも今だけだ。

「さて、じゃあこいつを紡いで糸にするぞ。この、元は葛の蔓5本分の葛緒を全部糸にするのが今日の分のノルマだ。明日も同じ量の葛緒ができるからな」

「あ、そうっすよね。じゃあさっそくやりましょ! どうしたらいいっすか?」

 ふんすっ、とやる気をみせる美岬に15㌢のまっすぐな木の枝を渡す。俺も同じ物を持つ。

「これが糸を巻き付ける棒──紡錘(つむ)だ。まあ厳密には糸紡ぎ器における糸を巻き取る部品が紡錘なんだが、とりあえずここではこれを紡錘とするぞ。今後のことを考えると規格は統一した方がいいからこれから糸を巻き取る紡錘は必ずこのサイズに合わせること」

「了解であります!」

 冗談めかしてピシッと敬礼する美岬。

「うむ。よろしい楽にせよ」

「サー! イエッサー!」

「……ハートマン式がお望みか?」

「ぜったい嫌っす! あたしは褒められて伸びる子なのでたっぷり甘やかして褒めて大事に育ててほしいっす!」

「ぶはっ! 言うようになったな」

 即答な上にしれっと要望をねじ込んでくる美岬に思わず吹いた。







【作者コメント】
チクワなどの練り物の材料は白身魚ですが、魚臭さを抜くために一度水に晒すという工程は私も初めて知ったときは驚いた記憶があります。同時に納得もしましたが。

ただ、水に晒すと栄養も抜けちゃうのでサバイバル向きの料理ではないですね。岳人は栄養の溶け出した水を再利用していますが。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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