第84話 9日目①おっさんは調子に乗ったクッコロさんにお仕置きする

文字数 2,828文字

 昨晩は日付が変わるぐらいまで夜更かししていたせいで、自然に目が覚めたのは昨日より更に1時間ほど遅い7時頃だった。拠点に差し込む外からの光はすっかり明るくなっている。
 隣で寝ている美岬はいまだに夢の中で、少し開いた口の端からよだれを垂らしながら幸せそうな顔で熟睡している。正直かなり間抜けな状態なのに、この無防備な寝顔をむちゃくちゃ可愛いと思ってしまう俺もかなり重症である。
 俺がトイレに行って戻ってきても美岬は一向に起きるそぶりを見せない。
 ゆっくり寝かせてやりたいのは山々だが、今日もやることは山積みなので起こさないとな。

「美岬~、そろそろ起きろ~」

 ほっぺをツンツンしながら声を掛けると、美岬は一度薄目を開けるもイヤイヤと首を振って再び目を閉じる。

「…………や、あと5分~」

「いいぞ。5分後に起きてこなかったら朝メシ抜きな」

 甘えモードの美岬に妥協したと見せかけてちょっとイジワルしてみれば、美岬が大慌てで飛び起きる。

「えっ! それはイヤっす!」

「お、起きたな」

「朝ごはんを人質に取るなんて卑怯っす。そんなん起きるしかないじゃないっすか! ガクさんいけずっす」

「ふっ、分かってねえなぁ。俺が可愛い美岬が寝坊した程度で本当に食事抜き(そんなこと)すると思うか?」

「………………うぅー、はかったな! ダーリン!」

「嬢ちゃんだからさ」

 起きぬけからそんな寸劇でじゃれあいながら拠点から外に出る。
 見上げた空は概ね晴れているが雲が出始めており、上空は雲の流れが速いから風も少し強くなってきているようだ。この感じだと天気が崩れてくるかもしれないな。
 昨日から干しっぱなしの葛芋のスライス──葛根湯(かっこんとう)はすっかり乾いていたので回収してビニール袋に入れて拠点に収納し、一夜干しのアイナメはもうちょっと干した方が良さそうなのでそのまま引き続き干しておく。

 それから2人で一緒に小川に行って顔を洗ってサッパリしてから、拠点前のかまどの所に戻った。かまどの火はすでにすっかり燃え尽きて灰になり、焼けて(もろ)くなった貝殻の残骸──石灰(せっかい)だけが燃え残っている。手で触ってみれば完全に冷えており、ちょっと指先に力を入れれば簡単に砕けるぐらいの脆さだ。それをスコップで集めてビニール袋に詰める。

「この貝殻石灰はどうする?」

「んー、そっすねぇ……じゃあ早速これから畑に行って、大豆を植える予定のスペースの土に混ぜて水撒いて落ちつかせてくるっす」

「そうか。じゃあその間に俺は朝メシの準備だけしておくな」

「あざっす。さっさと済ませてくるっすね」

 美岬が石灰の袋と鍬と水の入ったペットボトルを持って畑の方に向かい、俺はかまどの火を起こして食事の仕度にかかる。
 昨日の晩の食材の残りで作った海鮮カレーが大コッヘルの半分ぐらい、葛の芽のお浸し、刺身から作ったチクワ。とりあえずこれらがすぐに食べられるメニューではあるが、これだと栄養バランスがタンパク質と無機質(ミネラル)に偏っているし、ビタミンB1、Cなどの水溶性ビタミンと炭水化物はほぼ含まれていない。
 魚介類がメインの今の食生活だと、この偏りはある意味仕方ないともいえるが、すぐに体調に影響は及ぼさずとも長期的には確実に影響が出る。
 炭水化物の不足はスタミナの持続力を下げ、ビタミンCの不足は壊血病の原因になり、ビタミンB1の不足は脚気(かっけ)の原因になり、ミネラルの過剰摂取は内臓に負担をかける。
 食べることさえおぼつかないサバイバル初期の状態を脱したのだから今後は栄養バランスも考えていかないとな。

 とりあえず海鮮カレーの方に剥いたスダジイを一掴み入れ、今日から食べられるモヤシを生食することで、炭水化物、ビタミンB、Cを補強することにしよう。

 かまどの火が安定したところで大コッヘルをかまどに掛け、後から加えたスダジイに火が通るまでカレーを煮ていく。それを待つ間に灰まみれのスコップを洗って炒め物に使えるようにし、拠点からモヤシの入ったエチケット袋を取ってくる。ちなみに使っていいモヤシは昨晩寝る前に美岬に確認済みだ。

 大コッヘルのカレーがぐつぐつと煮立ったところで鍋を火から外し、次に大きめにぶつ切りしたチクワと葛の芽のお浸しをスコップを使って軽く炒める。これは一晩常温で置きっぱなしだったチクワとお浸しに念のために火を通しているだけだ。
 モヤシを味付けも兼ねて海水で洗ってからザクザクと大雑把に切って牡蠣殻の皿に盛り付け、その上に炒めたチクワと葛の芽を乗せてとりあえず1品は完成。カレーは美岬が戻ってきてからよそえばいい。

 美岬は……と畑の方を見れば今も一生懸命に鍬を振るっているのでまだすぐには戻ってこなさそうだ。
 スコップを洗い、今度は昨日スダジイを穀剥きして取り分けてあった殻をスコップの上で火に掛けて焙煎していく。しばらく煎っていくうちに焦げ茶色に色が変わり、(こう)ばしい香りが漂い始める。
 と、そこに鍬を担いだ美岬が戻ってきたのでスコップを火から外す。

「ただいまっす。石灰をしっかり土に混ぜて水を撒いてきたっすよ。このまましばらく置いて土としっかり馴染んだら大豆を植えていくっす」

「おう。お疲れ。しばらく置くってどれぐらいだ?」

「通常なら1週間ぐらいっすけど、まとまった雨が降ったら土によく馴染むんで、天気しだいっすね」

 そう言いながら雲が増えてきた空を見上げる美岬。今は青空6:雲4ってところだ。

「これからだんだん天気崩れてくるかもしれんからな。とりあえず食事にしよう。手を洗いな」

 ペットボトルから美岬の手に水を注いでやる。

「あざっす。……水もういいっすよ」

 濡れた手をピッピッと振って水気を飛ばし、にやっと悪い笑顔で俺のシャツで手を(ぬぐ)う美岬。

「ちょ、待てやコラ! どこで手を拭ってるんだ!」

「やー、ちょうどいい場所にあったんで」

「ほぅ、いい覚悟だ。俺は美岬に手は上げないがくすぐるぐらいはするぞ」

「アハハ……ちょっとおトイレに……」

 やべぇ、と逃げようとした美岬をあっさり捕獲してくすぐりの刑に処す。

──こちょこちょこちょこちょ

「あひゃひゃひゃひゃ! や、やめっ! あひゃひゃひゃっ!」

 脇の下やわき腹を徹底的にくすぐり倒す。

──こちょこちょこちょこちょ

「あぎゃっ! あひゃひゃひゃっ! ごめっ! ゆ、ゆるしっ! あひゃひゃひゃひゃ! も、だめ……げふんっ! げほげふぉっ!」

 笑いすぎて咳き込み始めた美岬をようやく解放すると、くたっと力無く崩れ落ち、髪と服は乱れ、顔は涙とヨダレでぐしゃぐしゃになっていた。

「……くっ、いっそのこと殺せ」

「なにをバカなことを」

「うう、彼女にこんなひどいことをするなんて、鬼っす。鬼畜の所業っす」

「お仕置きされるようなことをする奴が悪い」

「……むぅ。ガクさんをおちょくるとヤバいっすねぇ。代償がくすぐりでは割りに合わないっす」

 へんにょりとなった美岬に手を貸して起き上がらせ、軽くハグして頭を撫でてやる。これでノーサイドだ。







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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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