第27話 4日目⑦おっさんは真面目に料理をする

文字数 3,154文字

 再び降りだした雨に打たれて俺と美岬は同時に目を覚ました。

「……ん、降ってきたか」

「……ふぁ、あーでも疲れは取れてスッキリしたっすよ。どれぐらい寝てたんすかね?」

「1時間半ってところかな。今は11時半ってところだ」

 腕時計を確認してから起き上がり周囲を見回せば、カルデラ環礁内の様子がさっきまでと変わっていることに気づく。

さっきまではカルデラの外縁山であった環礁はかなりの部分が海中に没していたはずなのに今では逆に多くが海上にあり、外海と環礁内を遮断している。例えるなら、さっきまで柵だったのが塀になっている感じだ。
 俺たちが入ってきた夫婦岩の間の水道は環礁の南側にあるが、環礁の北東側にも外海と繋がっている礁門(しょうもん)があるようだ。現在は南側と北東側の二つの礁門以外はすべて塞がっているので、南側から流れ込んできた潮流がカルデラ内を時計回りにゆっくりと廻り、その一部が北東側から外海に流れ出すという状態になっている。
 なんでこんなことに、と考えていると美岬があっさり答えを言う。

「あー、今は干潮(かんちょう)なんすね。……んー、この時間が干潮で、しかもこれだけ引いてるってことは今日は大潮(おおしお)っすね」

 ずっと陸地と関係のない場所を漂っていたから潮の満ち引きというものがあることすら忘れていた。

「そうか干潮か。この時間が干潮だと大潮なのか?」

「そっすね。潮見表をチェックしたわけじゃないっすけど、大潮の時はだいたいお昼頃に干潮がくるんでたぶん間違いないっす。今が干潮のピークなら次の満潮のピークはたぶん夕方の6時ぐらいっすね」

「なるほどな。干潮時はカルデラ内はこんなに穏やかになるんだな」

「そうみたいっすね。台風が最接近する時がちょうど干潮と重なればかなりラッキーっすけどね」

「そうか。逆に満潮と重なることもありうるわけだな」

「そうなっちゃったらこのカルデラ環礁もほとんどが水没すると思うんでかなりの大荒れになると思うっすよ」

「嫌だと言っても俺たちがどうこうできることじゃないからなー。そうならないように祈ることしかできんな」

「そういうことっす」

 さっきたらふく水を飲んだのが効いてきて二人とも尿意を催したので交代で用を済ましたところで再び雨が止む。
 今回の雨雲はそんなに大きくなかったんだろう。雨もさほど強くならずに降り止んでくれた。せっかくだから今のうちにさっき釣れたカサゴを料理することにする。釣れたのが暗礁帯に入った直後の手が離せなくなるタイミングだったから、美岬が一番大きなコッヘルに海水と共に入れてそのまま蓋をしたまま数時間ほったらかしにしてしまったが、蓋を開けてみればまだ元気だった。

「……さすが根魚は(しょう)が強いっすね」

「先に(しめ)るだけでもしとけばよかったな」

 とりあえずカサゴを〆ることにする。口から左手の親指を入れて下顎を掴んでクーラーボックスの上に載せ、右手に握ったナイフの刃をエラ蓋から差し入れ、背骨の内側に通っている太い血管──頸動脈を切る。エラ蓋にナイフを差し入れた瞬間はさすがにジタバタと暴れるが、左手でしっかりと顎を掴んでいるので無駄な足掻きでしかない。

 頸動脈を切ったカサゴをコッヘルに戻せばバチャバチャと暴れ始め、たちまちコッヘルの中の海水が血で染まる。カサゴに限らずメバルやハタやソイなどの根魚は生の強いので、人間では即死レベルの頸動脈を切られてもしばらくはこうして暴れ続けるので、結果的に綺麗に血抜きが完了することになる。
 とりあえずこのまま完全に息の根が絶えるのを待つ間にどう料理するか考える。

 〆た直後の魚は身が弾力がありすぎて捌きにくいものだが、それに加えて頭でっかちのカサゴは元々捌く難易度が高い魚だ。それに、今はまだ身が熟成されてないから刺身はイマイチだからやめておこう。

 台風の状況にもよるが、おそらく、まともに火を使って料理できるのは今日以降はしばらくないだろう。明日からはまた保存食だけで食い繋ぐことを考えるとせめて今回は火を通した料理にしたい。一番楽なのは串を刺してバーナーで塩焼きにすることだが、カサゴは身に脂が少ない筋肉質な白身魚だから塩焼きには向かない。焼くと身が固くなりすぎる。
 やはり煮るのが一番だな。特にカサゴは煮るとすごく良い出汁が出るから煮汁も美味しく飲めるし。ただ醤油が少ししか無いから煮付けはできない。手持ちの調味料を鑑みて決定する。

「よし。ここはスープカレーにしてみるかな?」

「わぁ、マジっすか! ここにきてカレーとか最高じゃないっすか」

 美岬の目がキラキラしている。決定だな。

「雨に打たれると身体が冷えるからカレーだとスパイスの成分が身体を内部から温めてくれて一石二鳥だからな。美岬にも手伝ってもらうぞ」

「もちろんっす」

 ようやく力尽きたカサゴを再びクーラーボックスの上に載せ、ナイフで丁寧に鱗を落として一度洗う。腹を裂いて内臓を取り出すが、カサゴは内臓も美味いので、消化器の中身と苦玉だけ捨ててあとは残しておく。それから頭を落として三枚卸しにする。完全に血が抜けていて透明感のある綺麗な身だ。

 カサゴの下処理は一旦そこまでにして、コッヘルで雨水を沸かし、沸騰したところで火を止め、カサゴの頭、背骨、身を熱湯に浸け込んで軽く熱を通し、ヌメリや残った鱗を落とす。あまり長く浸けると旨味が抜けてしまうのですぐに汚れた湯を捨てる。
三枚卸しの身の部分だけ一度取り出し、残った頭と骨がヒタヒタに浸かるぐらいまで水を足し、再びコッヘルを火に掛けて今度は水から煮ていく。

 沸騰し始めるとアクが出てくるので、それをスプーンで丁寧に掬い取りながら弱火でじっくりと煮ていけばカサゴの頭や骨から旨味が煮汁に溶け出してきて濃厚な旨味のスープになってくる。

 十分に旨味を煮出してからコッヘルから頭と骨を取り出し、骨に残った身をこそいでコッヘルに戻し、骨は海に捨てる。

 三枚卸しの身の部分からも腹骨や血合い骨を取り除くが、これも一度身に火を通してあるので指でつまんで簡単に引き抜くことができる。
骨を取り除いて可食部位のみとなった身と皮も内臓と一緒にコッヘルに戻す。

 ここまでの作業でコッヘルの中にはカサゴの出汁(だし)と可食部位だけが入っている。そこにさっき自分たちの食用に取り分けておいた緑豆も加え、海水で塩味を調整してから火に掛けて煮ていく。

 豆に火が通って柔らかくなったところで仕上げにカレー粉を入れる。俺のお気に入りはS&Bの昔ながらの赤い缶入りのカレー粉だ。カレー粉は色んなメーカーが出しているが、やっぱりこれが一番使い勝手がいい。値段も安いし、残った缶もアルコールバーナーに加工して再利用できるのもいい。
 カレー粉の味が馴染むまでかき混ぜながら少し煮ればカサゴのスープカレーの完成だ。小麦粉があればオリーブオイルと混ぜてルゥにしてとろみも付けられるのだが無いものは仕方ない。

「完成だ」

「わぁいっ! めっちゃ楽しみっす!」

 ここまでの所要時間は約1時間ってところだ。美岬が手伝ってくれたから思ったより早く完成した。天気も保ってくれたから首尾は上々だ。









【作者コメント】

 サバイバルにおいて香辛料は大事です。食材の味を良くするだけでなく、殺菌して保存性を高め、また新陳代謝を促すので健康にも役立ちます。まさに食べる薬です。そして、各種香辛料をミックスしたカレー粉はある意味万能薬なので是非とも常備しておきたいですね。実際、カレー粉に含まれる香辛料はどれも漢方薬の生薬として用いられるものばかりです。そして、そんなカレー粉の中でもやはりS&Bの赤い缶のカレー粉は一番おすすめです。安くてそれなりに量があってなにより美味しい。ぜひ一つ常備しておくことをおすすめします。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み