第70話 7日目⑪おっさんはだし醤油を作る

文字数 3,288文字

 俺はまず、串に刺したタコを手に取り、それをかまどの火口の上にかざして炎で(あぶ)ってみせた。

「さっき言ってたこれだけどな、食べる頃には冷めてると分かってたから、かまどの火で炙って熱々で食べれるように長めの串に刺しておいたというわけだ。もちろん、炙らずにそのまま塩茹でとして食べてもいいけど」

「いやいや! そんなの炙るに決まってるじゃないっすか!」

 美岬が即座に自分のタコの串を手に取って俺と同じようにかまどの火で炙り始めた。
 強い炎によってパチパチとタコの足の先がはぜ、魚とも貝とも違う独特の香ばしい匂いが漂う。
 頃合いを見計らって炙るのをやめて、シュウシュウと湯気を上げているタコにかぶりつく。無理すれば一口でも食えるが、焼きたての熱々だから無理せずに上半分を噛みちぎる。

「熱っ! はふはふっ! 旨っ!」

 大根の酵素の働きのおかげか、簡単に噛みちぎれるぐらい柔らかく、火傷しそうなぐらいに熱く、噛み締めるほどににじみ出てくる旨味でただただ旨い。

「あちゃっ! あちちっ! はふっ! はふはふっ!」

 美岬も熱さに悲鳴を上げながらもタコを食べるのを止めようとはしない。だが、噛みちぎるのに失敗して咥えたタコが串からすぽっと抜けてしまったらしく、口からタコの足が出ていて目を白黒させている。

「むー! むー!」

 俺はすぐに箸を手に取って美岬の口から出ている熱々の足を摘まんでやった。

「そのまま落ちついて噛みちぎれ」

「むむっ! はふっ! はふっ! ……んっ。……あふぅ、いやー焦ったっす。口の中も唇も熱くて、しかも両手に皿と串持ってて塞がってるからパニックになっちゃってたから助かったっす」

「口の中や唇は火傷しなかったか?」

「どうだろ? ちょっとヒリヒリはしてるっすけど、たぶん大丈夫だとは思うっす」

「……まあ、大丈夫ならいいけどな」

「ちょっと冷まして食べた方がいいっすね。……お、そのガクさんが摘まんでるやつはそろそろいい感じに冷めてるっすよね? そのままあたしのお口に入れていただいてもよろしいでしょうか?」

 そのままあーんと口を開ける美岬に苦笑しつつ、箸で摘まんだままのタコの(ゲソ)を口に入れてやる。

「まったく調子のいい奴だな」

「……もぐ、いやー、適度な塩加減と香ばしさが最高っすね! あと、この甘やかしてもらえる幸せ!」

「はいはい」

 タコの串焼きはまずは1匹だけにしておいて、俺は次にリゾットを食べてみる。米粒よりだいぶ大きいジュズダマは歯応えとモチモチ感のバランスがいい感じだ。味はあまり染みていないが、周りのスープと一緒に口に含めば問題ない。
 スープもタコとアサリとヨコワジャーキーの出汁の味がよく利いて味わい深くなっていて、仕上げで入れたハマゴウが爽やかに全体の味をまとめてくれている。

「これはなかなかいい感じにまとまったな」

「ジャーキーの旨味がヤバイっすね。ふやけた欠片も噛めばまだまだ味が出るっす」

「乾物にすると旨味が凝縮されるからな。今干してるハマグリやタコもかなり良い出汁が出ると思うぞ」

「あ、じゃあタコ飯食べたいっす」

「タコ飯かぁ。ジュズダマだと普通のタコ飯にはならんがなるべく寄せてみよう」

 ただ、今回で最初に収穫したジュズダマは使い切ってしまったからまた集めてこないとな。

 そして、アク抜きした葛の新芽と塩茹での穴タコのぶつ切りをハマグリ出汁に漬け込んだお(ひた)しに箸を伸ばす。さて、味はちゃんと染みているか。

「……あ、いい味に仕上がってるな」

「え、じゃ、あたしも。…………おぉ、これはお上品な味っすねぇ」

 俺に続いて葛の新芽を口に入れた美岬がしみじみと言う。海水で煮出したハマグリ出汁だけのシンプルな味付けだが、それでも過不足なく上品な味に仕上がっている。

「葛の新芽もシャキシャキ感はちゃんと残ってていい感じだな。茹でタコのグリグリとした歯応えともよく合ってる」

「タコは個性が強くないからどんな味付けでも合うんすねぇ」

「違いない」


 和気あいあいと夕食を終えて使った器具や食器を洗い終えた頃には8時半を過ぎている。
 美岬は小川に水浴びと洗濯に行き、俺は残してあったハマグリ出汁を煮詰めて凝縮している。元々海水で煮出しているのでそこそこ塩分濃度は濃いが、調味料として常温で保存出来るようにするためにはもう少し濃くしておく必要がある。
 しっかり煮詰まったところでちょっと味見してみれば、舌が痺れるほどの塩辛さと凝縮された貝の旨味。期待通りに仕上がっている。
 そこに残った醤油を全部入れて、一煮立ちさせて火から下ろして自然に冷めるのを待ち、元々醤油が入っていた50ccのミニボトルと、残りをアルコール消毒した500ccのペットボトルに移す。
 出来上がった出汁醤油(だしじょうゆ)はだいたい200ccぐらいだと思う。新しい醤油が出来るまでこいつが()てばいいんだが。
 そんなことを考えているうちに美岬が戻って来る気配がしたので顔を上げる。

「おう。おかえり」

「……ただいまっす。はうぅ……潮水でベタベタだったっすからさっぱりできたのは良かったっすけど、水がめっちゃ冷たかったっす。これからは海水浴と小川での水浴びはセットにした方がいいんじゃないかと思うっす。昼間だったら太陽熱ですぐ温まるっすし……クシュン!!

「鳥肌立ってるじゃないか! 早くこっちに来て温まれ! 風邪引くぞ」

 青ざめて震えながら戻ってきた美岬を急いでかまどの前に座らせ、薪をくべてかまどの火力を上げる。

「おお、温かいっすねぇ」

 考えてみれば、昨日は炎天下でずっと作業をしていて身体が火照った状態で水浴びに行ったから冷たい水でも良かったが、今日は昼間に海水浴で涼み、その後も水着として使っていたラッシュガードのままで過ごしていたし、日が陰るまで昼寝していたからそもそも身体がさほど火照っていない。それに箱庭は日が陰るとかなり涼しくなる。身体が冷えすぎてしまったんだろう。
 美岬の言うとおり、水浴びは昼間のまだ暑い時間にする方がいいだろうな。

 出汁醤油を作る作業はちょうど終わったところだったから、美岬に飲ませるために大コッヘルに水と乾燥させた葛の葉を入れて火に掛けて煮出していく。
 そして葛葉茶が沸くのを待つ間に洗濯場に干してある断熱シートを取りに行ってきて、かまどの前で温まっている美岬の背中に掛けてやった。本来はこういう時に使うための物だからな。

「ははっ……ガクさんの甘やかしっぷりがヤバいっす」

「この状況での風邪予防はやり過ぎるぐらいでちょうどいい」

「あーまぁ、確かにそっすね。やっぱり葛根湯(かっこんとう)用に少しだけでも葛芋は掘っといた方がいいんじゃないっすかね?」

「ん。俺もそれは思った。葛粉用は後回しにするとしても葛根湯の分だけは確保しといた方がいいな。干し網もあるわけだし。生薬は葛芋を薄く切って干すだけだろ?」

「そっす。それを煎じるだけっす」

「おっけ。なら明日にでもやっておこう。さて、とりあえず今は葛葉茶を飲んでおけ。葛根ほどじゃないにしてもまったく効果が無いわけじゃないだろうし、飲めば温まるからな」

 ハマグリ殻の湯呑みに注いでやった熱い葛葉茶をちびちび啜りながら美岬はふぅっと一息つく。

「ほわぁ、これは温まるっすねぇ」

 まったりしている美岬をそのままに俺も着替えと木灰液を入れたペットボトルを持って小川に向かう。
 さすがに水浴びで美岬の二の轍は踏まない。まずは木灰液を染ませたセームタオルで身体の汚れを拭き、その後、水ですすいだセームタオルで木灰液を拭き取ることで清拭を済ませ、身体が冷えないように乾いた着替えを身に着けてから、汚れた衣服とセームタオルを木灰液で洗ってすすぎ、洗濯場に干して拠点に戻った。

 それから美岬と一緒に葛葉茶を飲んで駄弁りながらしばらくのんびりと時間を過ごす。昨日は疲れていたので早々と寝てしまったが、今日は昼寝もしているのでまだ体力に余裕はある。
 予定通り、夕方までやっていた作業を再開するか。

「……さて、じゃあボチボチやりかけてた(くわ)作りの続きをするとしようか」

「あいあい。いっちょやりますかぁ」





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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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