第90話 9日目⑦おっさんはパンを作る

文字数 3,767文字

 箱庭はトランプのダイヤのような菱形をしていて、南北方向に約2km、東西方向に約1kmあり、外洋と繋がっている内湾は南側にある。
 拠点が南西の崖の下にあるので、必然的に小川の西側が俺たちの主な生活圏になっていたが、今回は箱庭の中央を北から南に流れる小川を渡って東側の土地に入り、その一部を探索した。

 小川の東側も西側と同じく、小川の水が届く範囲だけは木々の繁る林になっているが、その範囲から外れると、痩せた水捌けのいい土地に丈の低い草がまばらに生えている平原になっていて東側の崖に至っている。
 西側の崖は頑丈な火成岩でできているが、東側の崖には赤く崩れやすくなっている場所がところどころにあり、近づいて調べてみれば赤鉄鉱の鉱床であることが判明した。

 小川の両岸の林については、西側の林はほぼスダジイで構成されているが、東側の林は雑木林であり、多種多様な植物が生育していることが分かった。木に巻きついた蔓性の植物の種類も多く、メジャーなものだと藤や自然薯(ヤマイモ)、マイナーなものだとエビヅルやムベやスズメウリなんかも自生している。

 そして小川の中流付近は水の勢いが強くて川床が削られ、深さが1㍍ほどの小さな渓谷が形成されていた。川幅は50㌢ぐらいなので簡単に飛び越えられるが、荷物を抱えている場合も想定してそのあたりに小さな橋を掛けようと思う。
 水流で浸食されて形成された川縁の崖は粘土層が剥き出しになっていたので、陶器の材料となる粘土はこの場所で採集することにした。

「んー、とまあこんな感じでいいか?」

 拠点に戻り、ノートに箱庭の大雑把な形とこれまでの探索で得られた情報を書き込んでいく。最初から探索に筆記具を持っていけばよかったのだが、うっかり忘れていたから今、思い出しながら書いている。

「桑の木の場所もお願いするっす。まだ食べれる実は残ってるっすし」

「桑の木か。だいたいこの辺りだったかな」

 木のマークを描いてその横にデフォルメした桑の実のイラストも描き加えると美岬が食い付く。

「おぉ! イラストが入ると『ぶらり旅日記』っぽくなってきたっすね。せっかくなんで擬人化したスズメウリたんのイラストもお願いするっす♪」

「……イメージができないからそれは美岬が描いてくれ」

「むぅ。あたしが描いちゃ意味ないじゃないっすか。ガクさんが描くスズメウリたんが見たいのに」

「ならなんとなくでいいからイメージを描いてくれ。そのイメージに沿って描いてみるから」

「なるほど! その手があったっすね。おまかせられ! この島のマスコットキャラにふさわしいイメージ案をいくつか出してみるっす!」

 美岬がさっそく自分のノートを広げてウンウン唸りながら落書きを始める。なんか当たり前のようにスズメウリを島のマスコットにすることになっているが、竜神伝説のあるこの島のマスコットなら普通、竜じゃなかろうか? 美岬が楽しそうだからあえて指摘はしないが、なんとなく釈然としないものを感じた。
 
 閑話休題。

 まだ雨は降りだしていないが、厚い雲が空一面に広がっているので遅くとも夜には雨になりそうだ。雨が降りだす前に濡れては困る乾いた薪を岩陰や拠点内に避難させる。それに加えて午前中に洗って干してあった葛緒も回収してきた。

 問題はかまどだ。当然、移動させられないし、屋根もないので雨ざらしになってしまう。いずれは多少の雨でも大丈夫なようにかまどの上に屋根も作りたいが今日はもうどうしようもない。

 今はまだ夕方の5時前なので、普段ならまだ食事の支度には取りかかってもいない時間だが、この後に雨が降ったらかまどが使えなくなるので、前倒しで晩飯を作って早めに食べて、さっさと拠点の中に引きこもって篭作りや生糸作りなどのクラフトに勤しむことにした。

「今日はお昼食べてないからお腹空いたっすねぇ。メニューは何を作るっすか?」

「そうだなー、まず保存がきかない優先的に食べなきゃいけない食材って何があるかだよな……」

「んー、まずモヤシと桑の実っすかね」

「だな。あと午前中の葛の蔓の処理で出た今日の分の葛の芽と……アイナメの開きもカチカチになるまでは水分を飛ばしてないから早めに食べた方がいいよな」

「そっすねー。さて、この食材の組み合わせから料理の鉄人であるガクさんがいったい何を作るのか!? 否応にも期待が高まってきたっすよ!」

「煽るな煽るな。しかしどうしたもんかな」

 モヤシ、桑の実、葛の芽、アイナメの開きを使ったバランスのいいメニューか。いっそのこと洋風にまとめてみるのもありだな。

 とりあえず方向性が決まったので、かまどの火を起こし、大コッヘルに水を入れて火に掛けて沸かし始める。そこに剥きスダジイの実を一掴み分だけ残して入れて水から茹でていく。

 かまどのそばに鍛冶用の火床があるので、そこにかまどから熾火(おきび)を移し、中コッヘルに桑の実を入れて煮てジャムにしていく。そちらは美岬に任せた。

「美岬、ちょっとアーミーナイフを貸してくれるか?」

「あいあい」

 アーミーナイフの穴開け(リーマー)を使ってクラフト素材として残してあった大きめのハマグリの殻に穴を幾つも開けていく。
 出来上がった穴だらけのハマグリ殻に木の柄を付ければ『穴あきお玉』の完成だ。

 できた穴あきお玉をさっそく使って湯の中で踊っているスダジイの実を1粒掬って味見してみればホクホクで柔らかく茹で上がっていたので、残りのスダジイも全て小コッヘルに引き上げて粗熱が取れるまで自然に冷ましておく。

 大コッヘルに残った湯に塩を入れ、モヤシと葛の芽を茹でてから茹で汁を捨て、大コッヘルに水を入れてモヤシと葛の芽を冷却し、次いでそれを手で絞ってまな板に乗せ、ナイフでざく切りにしておく。

 かまどの火が空いたので、そこでアイナメの開きを1枚焙り焼きにする。焼き網があれば楽なのだが、無いので木串を打って焼き、焼き上がった開きをまな板の上でほぐし身(フレーク)にして、先ほどのモヤシと葛の芽と混ぜ、お馴染みの牡蠣皿に盛って、()り潰したハマゴウの実と塩を振って味を調えて一品を完成させ、一旦クーラーボックスにしまっておく。

「ガクさん、ジャムってこんな感じでいいっすか?」

「お、いい感じに煮詰まったな。じゃあそれは火から下ろして粗熱が取れるまで冷ましてもらおうか。じゃあ次はスダジイをそこで煎ってもらおうかな」

 小コッヘルの茹でたスダジイをビニール袋に移し、空いた小コッヘルにさっき取り分けておいた一掴み分の生のスダジイを入れて美岬に渡す。

「これってどれぐらいまで煎ったらいいっすか?」

「そうだな、茶色から焦げ茶ぐらいまでしっかりまんべんなく頼む。取っ手が熱くなるから俺の革手袋を使ってくれ」

「あい。おまかせられ」

 火床に熾火を追加して火力を上げ、美岬が片手に革手袋を着けて小コッヘルの取っ手を持って火の上で揺すりながら焙煎し始める。

 俺はビニール袋に入れた茹でスダジイを指で潰し、直径5㌢ぐらいの丸太を30㌢ぐらいの長さで切って麺棒にして、ビニール袋に入れたままのスダジイを軽く叩いたり転がしたりして粉々にしていく。
 そうして粉砕したスダジイに少しの水を加えて練ってペースト状の練り粉にする。

 スダジイを焙煎しながら横目で俺の作業を見ていた美岬だったが、不意にハッと気づいた顔をした。

「何をしてるのかと思ったら、まさかそれはアレっすか? 日本史の初期に出てくる……」

「おう。縄文パンってやつだ。パンといってもクッキーみたいな感じだな」

「やっぱり! 知識としては知ってたっすけど、まさか本当に食べる日がくるとは思わなかったっす」

「スダジイそのもののかすかな甘味しかないから味としてはかなり微妙な代物になるけどな。……いや、いっそ塩を入れてクラッカーみたいにするのもありだな」

 思い付きを実行し、縄文パンのタネに塩を少し入れてみたらいい感じに味が引き締まったのでこれはありだ。
 かまどの火口に鉄板がわりにスコップを乗せて熱くし、そこに薄く延ばした縄文パンのタネを貼りつけて焼いていく。ちなみにスダジイの実に元々含まれるデンプンが水と混ざった状態で加熱されることで粘りが出てつなぎになるので焼くとそれなりにしっかりと焼き固まる。
 
 焼き上がった縄文パンを別の牡蠣皿に乗せ、桑の実のジャムを添えて一品が完成した。あとは美岬が焙煎しているスダジイだな。





【作者コメント】
パンはパンでも縄文パンでした。作者はリアルはパン職人なのにパンの材料がそもそも手に入らない無人島を舞台にしてしまったことを何度後悔したことかorz

まあそれはともかく、縄文パンは子供の頃から憧れでした。日本史の縄文時代のあたりで登場した時に食べてみたいと思ったものです。我ながら子供の頃から変わった奴でしたね。

子供の頃は食べてみたいと思うだけでしたが、この作品を連載するようになってふと『そういや今の自分なら作ろうと思えば縄文パン作れるな』と思い至り、子供時代の憧れがムクムクと頭をもたげてきてしまいました。

結局、作ってみましたよ縄文パン。スダジイとか栗を材料にしてみましたが、素材の味が活きていたとだけ書き添えておきます。もし食べてみたいと思われる人がいるなら、市販の剥き甘栗を使えば簡単にそれっぽいものは作れますよ。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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