第10話 2日目⑦おっさんはレトルト食品を作る

文字数 3,131文字

 たちまちのうちに一節分の刺身とハツとレバーが俺と美岬の腹に収まった。

「はぅぅ、美味しかったっす~。幸せっす~」

 満ち足りた表情で美岬がこてんとエアーマットレスの上に仰向けに転がる。

「生きるか死ぬかの漂流中とは思えないぐらい至福の一時だったっすね。ああもうこのまま寝てしまいたいっす」

「寝てていいぞ。俺は残りの部分を加工してるから」

 と使った食器を片付けながら俺が言うと美岬はむくりとマットレスから身を起こした。

「や、あたしだけ楽しておにーさんだけに作業させるわけにはいかないっす。休憩するなら全部終わってから一緒に休憩するっすよ」

「そうか? じゃあ手伝ってもらおうか」

「加工ってなにするんすか?」

「そうだな、この残りの3本の節のうち2本はスライスして干してジャーキーにしてみるかな。残りの1本は油漬けにしてボイル。で、骨に付いた肉、頭脇の肉、頬肉なんかはこそぎ取ってミンチにして、刻んだ消化器と一緒にハンバーグっぽくしてみるか」

「おぅ、思った以上にガチっすね。あたしは何したらいいっすか?」

「それじゃあ、俺が残りの節を処理してる間にこの胃袋と腸を海水で洗っておいてもらおうか。中身を絞り出して海水で内部の汚れを丁寧に洗い流すんだ」

「了解っす」

 胃袋と腸を繋がったままの状態で美岬に洗ってもらう。魚の腸はかなり短い。胃袋と合わせてもせいぜい30㌢ぐらいだ。美岬がそれをしてる間に俺は残りの節の皮を剥ぎ、骨を取り除いて、1㌢弱ぐらいの厚さにスライスしていく。

 食品用の厚手のビニール袋に海水と手持ちの塩を混ぜて塩分濃度を上げた即席ソミュール液を作り、そこにスライスした2本分の背身を漬け込んでいく。こうすれば一晩ぐらいなら常温でも傷まない。それを袋ごとクーラーボックスにしまう。

 残った腹身のスライスはオリーブオイルと一緒にビニール袋に入れて空気を抜いて縛る。これはこの袋ごとボイルすることで簡易的ではあるがレトルトパウチのツナ的なものになる。ただ本物のレトルトパウチのように光が遮断できているわけではないし、密封も口を結んだだけなので正直心許ない。せいぜい常温で1週間も保てば良いだろう。

 これで残った部分は頭、カマ、血合い、骨と尻尾、それと美岬が洗っている消化器官となる。これらにもまだ肉はついているのでそれらをナイフやスプーンを使ってこそぎ落としていく。そうして取れた肉をひとまとめにしてナイフで叩いてミンチにし、ハーブソルトとほんの少しのカレー粉とオリーブオイルで練ってペースト状にする。

「美岬ちゃん、洗った胃と腸をくれ」

「はい。こんな感じでいいっすか?」

「うん。これだけ丁寧に洗ってあれば十分だ」

 洗われた消化器官もナイフで刻んでミンチに混ぜ混む。これらはかなり歯応えがあるからいいアクセントになるだろう。ただ、玉ねぎがないからこのまま加熱するとカチカチになる可能性がある。ふっくらと仕上げる為にパン粉的なものが欲しいところだが……。

「美岬ちゃん、せっかくだからここでポテチを使ってみないか? ポテチを砕いてこのハンバーグに混ぜればなかなか旨くなると思うんだが」

「そこはプロの判断にお任せするっす。正直あたしにはどんな味になるのか想像もできないっすから」

「分かった。じゃあ使わせてもらうぞ」

 ポテチを細かく砕いてミンチに混ぜてハンバーグのタネが完成する。これを2枚のビニール袋に小分けして入れて密封する。

「これ、この後どうするんすか?」

「海水でボイルだな」

 そう言いながら深鍋タイプのコッヘルに海水を汲んでシングルバーナーで沸かし始める。

「海水で茹でたら塩辛くなるんじゃないっすか?」

「袋ごとボイルするんだよ。そうすれば熱で袋の内部のミンチは固まってハンバーグになる。形は不格好だがな」

「あ、そういうことっすか。ビニールを皮にして中に塩味が付かないようにするんすね」

「そういうことだ。あとは栄養分が流れ出さずに中に閉じ込められるのも袋詰めボイル調理のメリットだな。しかもこのやり方だと内部が熱でしっかり殺菌されるから開封しなければ常温でもしばらく置いておけるようになる。簡易的なレトルトパウチだ」

「ほへー。レトルト食品ってこういう原理だったんすね。知らなかったっす」

 鍋の湯が沸いたら火を止め、ハンバーグを袋ごと湯に漬け込む。数分経って湯が冷めてきたら再び火を着け、沸騰直前で火を止める。これを繰り返しながら15分ぐらいボイルすれば魚肉ハンバーグの完成だ。
 鍋に残った湯は再び沸かして火を止め、先ほどの腹身の油漬けを袋ごと漬け込んで先ほどの魚肉ハンバーグと同様に沸騰しない程度の湯温を維持しながらボイルしていく。

 そんなわけで、ヨコワの加工が終了した。屑肉と消化器官とポテチで作った魚肉ハンバーグ2個、腹身の(ふし)1本分で作った油漬け(ツナ)、背身の節2本分で作ったジャーキー用の塩漬けだ。塩漬けは明日1日 天日干しすればいい感じに水分が抜けて保存性の高い干し肉(ジャーキー)になるだろう。

 まな板がわりに使っていたクーラーボックスを丸洗いし、コッヘルやシングルバーナーやナイフなどの道具や調味料なんかを片付け、一息ついたところで時計を確認すれば夜8時過ぎ。一気に疲れが襲ってくる。考えてみれば今朝は4時半頃に起きてそのままずっと活動していたのだ。疲れるはずだ。

「ううー、あたしもう活動限界っす。眠くてもう、ダメっす」

 と美岬も目をとろんとさせながらユラユラ揺れている。

「俺も正直、眠くてたまらん。今日中にやらなきゃいけないことはもうないから寝るかー?」

「賛成に一票っすー」

「満場一致による可決成立だな」

「……あーでも寝る前に歯磨きしたいっす。昨日はし損ねたから口の中が気持ち悪いっす」

「同感だ。それにこういう状況だからこそ日々の体のメンテナンスは大事だ。なにしろ病院も歯医者もないからな」

 それぞれ私物のアメニティグッズから歯ブラシを取り出して歯を磨き、海水で口内を濯いでスッキリしたところで、昨日と同じように美岬と並んでマットレスに横になり、断熱シートを被る。
 昨日はこの状態から少し話をしていたが、今日は横になった瞬間に意識が朦朧とし始める。美岬も一瞬で寝落ちしたようですでに隣からは規則正しい寝息が聞こえ始めている。

 視界を遮るものが何もない大海原から見上げた夜空には満天の星と昨日より少し膨らんだ明るい月が輝き、世界を蒼く照らしている。海上のうねりは昨日より穏やかになり、補強された筏を心地よいリズムで上下させる。風もそよ風程度の至軽風(しけいふう)で今のところ天気が悪くなりそうな兆候はない。

 そこまで確認した所で俺も眠気に抗うのをやめる。そのまま俺の意識は闇に沈んでいった。




【作者コメント】
 レトルト食品、缶詰、瓶詰めはいずれも原理としては同じで、密封して熱殺菌をすることで長期保存が出来るようになっています。ビニール袋に入れてそれごとボイルするだけで簡易レトルト食品になりますが、加熱している鍋底に当たるとビニールが溶けます。なので、鍋底に布を沈めて直接鍋底に当たらないようにしてボイルするか、沸かした湯の火を止めて袋を漬け込み、冷めてきたら袋を出して再加熱というループを繰り返す、といった方法がおすすめです。時間は掛かるものの、燃料を節約出来るのは後者なので岳人はそちらを選びました。

 歯のケアもサバイバルにおいて何気にすごく大事だったりします。歯ブラシがない場合、楊枝のようなもので歯間の汚れを落とし、指に塩を付けてこするのもオススメですよ。
 ということで漂流二日目終了です。楽しんでいただけたらぜひいいねボタンやお気に入り登録で応援お願いします。コメントも励みになります。





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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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