第88話 9日目⑤おっさんは推し活を始める

文字数 3,967文字


 この島の正体が分かったことでいくつかの重要な情報が明らかになった。

 1つめ、この島は島全体が神域扱いされていて近づくことはおろか上空を飛行することもタブー視されていること。
 そうであるなら、上空を飛行するかもしれない捜索機への合図のために夜中に灯していたウッドキャンドルはもう中止すべきだろう。俺たちがこの島にいるとは想定していなくても、捜索中にたまたまこの上空をフライパスするようなことがあれば気づいてもらえるかもしれないと一縷の望みを懸けていたが、捜索機がこの島を避けて飛ぶならただの薪の無駄だ。

 2つめ、過去に多くの人間がこの島の近辺で行方不明になっており、美岬の大叔父もその1人であること。そしてそのような行方不明者は神隠しとして扱われ、この島の近くは魔の海として恐れられていて漁師たちも近づかないこと。
 そうであるなら、俺たちがこの島から出ていく場合、島の近海で漁師に拾ってもらえることはまず期待できないから自力で人の住む島まで到達できなければならない。そして、美岬に聞いたところ、この島の最寄りの有人島は美岬の故郷の島になるらしいが、それでも100Km以上は離れているとのこと。美岬自身も詳しくは知らないらしいが、ここは美岬の故郷の島から見て南東方向にある絶海の孤島だそうだ。
 100Kmというのは高速道路を走る車だとわずか1時間の距離だが、カヌーのような動力のない小舟で移動するとすればなかなか大変な距離だ。
 平均時速1kmで休みなく進んだとしても4日かかる。そのことをきちんと踏まえた上で脱出計画を立てる必要があるな。

 3つめ、この島が竜宮城のモデルであり、浦島太郎の伝承の元ネタの舞台となった場所であり、竜神の棲みかとされていること。
 浦島太郎のモデルとなった浦嶋子氏が持ち帰ったとされる宝がどんなものだったのかも気にはなるが、竜神とは何者かというのも気になるな。もしかしたら先住民でもいたのか?
 正直なところ優先順位としては高くないが、それでも過去にこの地に何者かが住んでいたのならその痕跡も探ってみたいとも思う。もしかしたら過去の住民が食用にしていた作物が野生化して残っているかもしれないしな。

「なるほど、竜神さまが先住民説は面白いっすね。浦嶋子は実はこの島の先住民と個人的に交易をしていて、例えば穀物みたいな食料品と引き換えに工芸品とか貴金属なんかを貰ってきてたとか」

「まあそもそもここに先住民がいたかどうかすら確証があるわけじゃないけどな。今のところそんな痕跡もないし。ただ、そういう痕跡を探してみるのも面白いかもな」

「そっすね。コシヒカリとかササニシキはないにしても、古代米とかヒトツブコムギとかあったらいいっすよね」

「渡り鳥が運んで来てる可能性も無くはないが、もし過去に定住者がいたなら、そういう穀物がある確率も高まるよな」

「なんかワクワクするっすね。これからの探索が楽しみになってきたっす」

「よし。ならそろそろ探索を再開するか」

 休憩していた桑の木の近くから立ち上がる。ちなみに持ち帰り用の桑の実もビニール袋に確保済みだ。
 俺も美岬も指が桑の実の汁で紫色になってしまったので、手洗いをするためにもまっすぐに小川に向かう。


 到着した小川は河口の湿地帯から500㍍ほど遡上した地点で、川幅は50㌢ぐらいだが流れの勢いは強く、地面を浸食して深さ1㍍ぐらいの渓谷……と言うのはさすがにオーバーだが、川縁が垂直に切り立った小さな崖のようになっていた。

「ありゃ、この状態だと水が遠いから手を洗うの難しそうっすね」

「そうだな。ここだと汲み上げるための道具がいるな。まあ無理してここで汲み上げる必要もないだろ。手は水筒の水で洗って、使った分は後で水源地で補充すればいいし」

「そっすね」

 ペットボトルの水で手を洗い、小川の水で浸食された崖を観察してみれば、焼き物作りに使えそうな粘土層が露出していることが分かる。粘土層は下にいくにつれて石化していて、現在水が流れている川床辺りは粘土が固まった泥岩になっているようだ。
 とりあえず今日はサンプルとして少しの粘土を採集していって焼き物作りの実験をしてみて、上手くいったら本格的に始める感じでいいかな。

 川縁に腹這いになってスコップを使って崖の中腹辺りの粘土を掘り出し、ビニール袋で2袋分をとりあえず確保した。

「この辺りは橋が欲しいっすね。飛び越えられないわけじゃないっすけど、荷物が多いと厳しいっすよね」

「そうだな。鉄鉱石とか粘土を本格的に採掘し始めるようになったら、毎回湿地帯の方から来るより、この辺りに橋を掛けて直通ルートを作った方がなにかと便利だよな」

 何本かの丸太を並べて縛って筏のようにしてから小川を跨ぐように掛けるだけで簡単な橋は作れるから近々やっておこう。


 それから雑木林の探索を再開する。こちらの雑木林は樹木だけでなく蔓植物の種類も豊富であることにも気づく……というか美岬に教えられて気づかされた。

「あ、これはムベっすねぇ。アケビの仲間で食べれる実が付くっすよ」

「お、ヤマブドウかと思ったら、葉の裏がオレンジ色だからエビヅルっすか。これもブドウの1種っすから食べれるっすよ」

「む、この小さい瓜の葉はスズメウリに違いないっすね。秋頃から若い実が付き始めて冬に白く熟するっすよ。味はほぼメロンっすけど、完熟果でもビー玉サイズのちっちゃい瓜なんで、未熟果を丸ごと漬物にしちゃうのもありっす」

 俺も山暮らしが長いから、実が成っていればある程度は見分けも付くが、夏の今だと葉の特徴だけで見分けないといけないので難易度が高い。美岬が見分けた3つを俺はそもそも知らなかった。かろうじてムベだけはアケビの仲間かな、と思っていたぐらいだ。

「はは。すごいな美岬。ムベ、エビヅルは名前だけは知っていたがスズメウリなんて存在も知らなかったぞ」

「あー、スズメウリたんはどマイナーっすからね。一応園芸品種としてオキナワスズメウリっていう全然関係ない植物はあるんで、スズメウリっていうとまずそっちが表に出てきちゃうんすけど、日本の在来品種のスズメウリたんはこっちなんすよ」

「スズメウリたん?」

 思わず聞き返すと、美岬は両手をグッと握りしめてふんすっと鼻息を荒くする。

「あたしの最推しっすからスズメウリたんは! 見てこの5㌢サイズのちっちゃい葉っぱ! この時期はまだ咲いてないっすけど花も可憐でめっちゃ可愛いんす! 完熟果でもたった2㌢にしかならない可愛さ! そして白1色の控え目で清楚な実! もうね、この存在そのものがめっちゃ尊いんすよ!」

「お、おう。そうか、とりあえず美岬がお気に入りなのはよく分かった。ちなみにスズメウリは食用になる以外に何か有用な効能とかはあるのか?」

 俺が聞き返すと一転して美岬が眉をへんにょりと下げる。

「分からないんすよぅ。スズメウリたんはあまりにもマイナーすぎて専門的に研究した資料が無いんすよ。漢方の生薬名も無いっすし、だからあたしはスズメウリたんの知名度を上げれば学者さんの目に留まってワンチャン研究してもらえないかなって、ロビー活動として秋の学園祭で発表しようと思ってたんすけど……」

「……あー、今ここにいるから無理と」

「くっ、いや、負けないっす。ここにはスズメウリたんが自生していて、日本スズメウリ愛好協会会長のあたしがいるんすから! こうなれば離島におけるスズメウリたんの研究レポートをまとめて来年こそより熱い研究発表をしてみせるっす」

「ちなみに会員数は?」

「あたし一人っす」

「先は長いな」

「千里の道も一歩からっす。どうすか? 今なら副会長職も空いてるっすよ」

「別に断る理由はないが、俺はそもそもスズメウリをよく知らんからそこまでの熱意はないぞ」

「大丈夫っす。これから推し要素を見つけていけばいいんすよ。きっと次に来る擬人化アイドルは植物系っすね! 軍艦や競走馬まで擬人化アイドルになる時代っすから、すでにアルラウネとか根音(ねね)ネネみたいな先駆けが出てる植物系アイドルのブレイクは待ったなしっす!」

「あー、そーだね。そうなるといいな」

 美岬の言ってることが半分も理解できなかったが、美岬が楽しそうなのでまあいいかと思う。
 だが、仮に植物系アイドルがブレイクしたとしてもそこにスズメウリがエントリーされることはないだろう、と思ったことはあえて口には出さなかった。








【作者コメント】
今回の話は今後の展開上けっこう重要な情報を明らかにしているにも関わらずスズメウリに全部持っていかれた感が……すまぬ。溢れ出すスズメウリへの愛を抑えられなかったよ。

作者がスズメウリの存在を知ったのは約4年前の冬。フェンスに絡み付いて冬枯れしている瓜の蔓と小さな白い瓜を見つけ、なんだこれ? と調べてみたのが切っ掛けでした。

その白い瓜を持って帰って庭に植えてみたところ、5月頃に芽が出て成長して冬に枯れるまで楽しませてくれました。それから毎年うちの庭にひっそりと実ってます。

完熟果はメロン味ですが種が気になるので、青い未熟果をピクルスと奈良漬けにしてみましたがいい感じですよ。小人のための瓜としてミニチュア料理に使えそうです。

ちなみに今回登場したムベ、エビヅル、スズメウリは作者が棲息している三重の海の後背地の山で普通に見かける植物です。

あ、作者は植物系キャラだと根音(ねね)ネネ推しです。右手の花がスピーカーになっててそこから延びる蔓の先端のピンジャックを口に差したら歌うというぶっ飛んだ設定の植物系人外UTAU娘。舌ったらずな幼い声が可愛いのよ。昔ニコ厨時代にはネネばかり使ってたよ。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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