第35話 5日目④おっさんは洞窟に進入する

文字数 3,424文字

 簡単なスープとはいえ、やはり温かいものを腹に入れる意味は大きい。ずっと張りつめていた気持ちが緩み、少し心にゆとりができる。

「ほわぁ……あったまるっすね」

「たいして旨いスープでもないのに、なんというか染み渡るな」

「ほー、これがいわゆる五臓六腑に染み渡るという感覚っすかぁ」

 ヨコワのジャーキーを薄めた海水で煮出して醤油で味を整えただけの、なんというか優しい味のスープだが、疲れ切った体にはこれぐらいがちょうど良い。
 そして半分に割った高カロリー携行食。これはナッツやドライフルーツをキャラメルヌガーで固めた棒状のクッキーという感じだが、高カロリーを売りにしているだけあってとにかく甘い。普通に食べると苦いコーヒーが欲しくなる代物だが、一晩中波しぶきを被り続け、飲み水も含めて塩味ばかり摂取している現状でのこの甘さは究極の贅沢だ。

「はうぅ……甘いっす。美味しいっす~……うぅ」

 美岬が小さな携行食を両手で包み込むように大事に持ってチビチビと食べながら泣いている。その気持ちはよーく分かる。よーく分かるのだが、それでも美岬に泣かれるのは非常にいたたまれなくなる。
 食べ終わった後も俺の隣でぐすぐすしている美岬の肩に手を回してそっと抱き寄せると、美岬も抵抗せずに寄りかかってくる。そのまま、ほぅ……と大きく息を吐き、じっと動かなくなる。

「……疲れたな」

「……そっすね。疲れたっす。……なんか、ほっとしたら一気に疲れの波がきて……しんどいっす」

「昨日から徹夜で嵐と戦っていたんだからそれは当然だ。いや、本当によく頑張ったな。この場所なら大丈夫だから少し横になって休んだらどうだ?」

「……うん。そうするっす。……ガクさんも一緒にどうっすか?」

「そうだな。休めるうちに休まないとな」

「…………じゃあ、腕まくらしてほしいっす」

「ん、それは構わないが……正直今の俺はかなり汗臭いぞ」

「……ふふっ、それを言っちゃうとあたしも同じっすよ。……その、ガクさんが嫌じゃなきゃお願いしたいっす」

「そうか。……よし来い」

 俺は自分の左側にスペースを空けてエアーマットレスに横になり、左腕を広げる。そこにいそいそと寄ってきた美岬は照れくさそうに体を横にしようとして……目を見開いて固まる。この時、俺は岩蔭の奥に背を向け、体の正面は海側に向いていたが、美岬の視線は俺を背後、岩蔭の奥に向いていた。

「が、ガクさん、あれ……」

 震える声で岩蔭の奥を指差す美岬。

「いったい何が……っ!?」

 俺が寝返りをうって背後に目をやると、岩蔭の奥に光が見えた。

「なんだと!?」

 慌てて飛び起きるとそれは見えなくなる。姿勢を低くすると再び見える。どうやらこの先の低くなった天井の陰に隠れて見えなかったようだが、ここはただの岩蔭ではなく、この先に続くトンネル状の洞窟の入り口で、しかも島の内部のどこかに繋がっているようだ。

「まさかここまで目線を下げないと気づかない場所に洞窟の入り口があるなんてな」

「それにこの洞窟、明らかに島の中に繋がってるっすよ」

「ああ、繋がってるな。この洞窟は天井こそ低いが幅はそれなりにありそうだから、このまま筏に乗ったまま入っていけそうだ。それに、干潮のピークを過ぎて潮が満ち始めているから、外海からこの洞窟の奥に向けて潮が流れ始めている。この流れに乗れば奥まで行けそうだぞ」

「ガクさん、行きましょうよ! 島の外周には今のところ上陸出来そうな場所が見当たらなかったんすから、島の中に入れるこのチャンスを逃す手はないっすよ」

「そうだな。……だが一つ気掛かりがある。この潮の流れに乗ってあの明るくなっている出口まで着いて、もしそこが人が通れないくらい狭かったら、俺たちは潮の流れに阻まれて戻ることもできずに恐らく水没する洞窟に閉じこめられることになるぞ」

「うっ! それはヤバいっすね。……あの出口、そんなに小さいっすかね?」

「うーん、暗くて距離がいまいち掴めないからな。ちょっと待て」

 俺は腕を洞窟の出口に向けてまっすぐに伸ばし、親指を立てて目線と重ねてサイズを測ってみた。ここから見える出口の高さは親指の爪の半分ぐらいだ。
このまっすぐに伸ばした腕の親指の爪サイズというのはおおよそ50㍍先に立っている人間と同じ大きさになる。つまりこの洞窟の長さが仮に50㍍だとすれば、爪半分の高さに見えている出口は立った人間の半分の高さであるおおよそ80~90㌢ぐらいはあるということになる。洞窟が50㍍より長ければ出口はもっと大きくなるし、短ければ小さくなる。
 とはいえ、俺たちがくぐり抜けるだけならその半分の40㌢もあれば十分だと思うので、つまり逆算してこの洞窟の長さが25㍍以上あるならば、見えているあの出口をくぐり抜けられるということだ。
 それより短かった場合は出口を通れない可能性はあるが、それでもまぁ25㍍以内なら大した距離じゃないから、なんとか流れに逆らって筏を漕いで戻ってこれるだろう。

「……んー、これなら奥行きが25㍍以上あるなら通り抜けれそうだな」

「ちょ、ガクさん、それどうやって計算したんすか?」

「これか? これは離れた場所に立っている人間がだいたい何㍍先にいるかを大雑把に測る方法……の応用だが、口だけではちょっと説明しづらいから今度ちゃんと教えてやるよ。とりあえず、この洞窟が25㍍以上あれば出口に十分な広さがあるから向こう側に出られるし、それより短くて向こう側に出られないとしてもせいぜい25㍍ぐらいなら潮が満ちて閉じこめられる前に戻って来れるだろうってことだ」

「なるほど。じゃあ善は急げっすね」

「そうだな。とりあえず進んでみるか。あ、その前に」

 自分の荷物からLEDライトを取り出して灯し、それから筏をこの場所に繋いでいた錨綱をほどけば、洞窟の奥に向かって流れる潮流がゆっくりと筏を押し流し始める。
 
「そこの低くなっている天井に頭をぶつけないようにな」

「はーい」

 筏にうつ伏せになって低くなっている天井の下をくぐり抜けて洞窟内に侵入すると、洞窟内部は意外と広くなっていることに気づく。
 ライトで照らしてみれば、天井が海面からおよそ1.5㍍ほどの高さで横幅は3㍍ほどのほぼ真っ直ぐなトンネルになっているようだ。鍾乳洞ならもっとぐねぐねと曲がりくねり、内部もゴツゴツしているものだが、この洞窟は岩壁がなめらかになっている。

「この感じからして、これは火山活動時の溶岩道が毎日の潮の満ち引きで浸食されて拡張されてこの形になった海蝕洞かもしれないな」

「あー、じゃあこの先にあるのはマグマ溜まりっすか?」

「水が入っている以上、あくまで元マグマ溜まりってことになるだろうけどな。側火山の火口だったはずの場所が周囲とほぼ見分けがつかないぐらいに波に浸食されて崖に一体化していることを考えると噴火があったのは本当に地質学レベルでの太古の話になるだろうし」

「……あの入り江の周りに立ち並んでた岩が側火山の名残っすか」

「たぶんな。……さて、だいたいここまでで入り口から25㍍ぐらい来たが、まだまだ先はありそうだな」

「とりあえず反対側に抜けられそうなのは確定っすね」

「さて、どんな感じになってるかな。明るくなっているってことは地底湖ではないと思うが」

 オールで時々姿勢制御をしながら洞窟の中を潮流に乗って進んで行くうちに洞窟はどんどん広くなってきた。洞窟そのものの長さは結局100㍍近くあり、出口は俺の身長よりも高い。
 出口が近づくにつれ、その先がだんだん明らかになってきたが、出口の先は小雨の降りしきる穏やかな湾になっていて、上陸出来そうな浜も見えてきた。

「なんか良さげじゃないっすか?」

「ああ。これなら上陸は出来るな。風も波も穏やかで良い感じだ」

 そして俺たちの筏はついに洞窟を抜けて島の内側の湾に進入したのだった。




【作者コメント】

 腕をまっすぐに伸ばした状態からサムズアップして、離れた所に立っている人間の大きさと親指のサイズを比較することでおおよその距離を測る方法はかなり昔から活用されてきました。主に歩兵同士がマスケット銃で撃ち合うような戦場で。蛇足ながらイギリスの近衛兵のあの黒くてでっかい帽子は背を大きく見せて敵からの目測距離を狂わせる目的のものです。銃の射程と速射性の向上に伴い、ただの目立つ的になったので廃れましたが戦列歩兵時代にはそれなりに有効だったようです。


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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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