第63話 7日目④おっさんは葛の処理を始める

文字数 3,491文字

 美岬に焼き畑の方は任せて、俺はそのまま葛の群生地に向かう。
 葦の群生地を抜けた先、俺たちの拠点の反対側の崖下には一面に葛が蔓延(はびこ)っている。
 繊維を採るのに使うのは今年に伸びた新しい蔓だ。古い蔓は繊維が堅く樹皮化しているので荒縄には使えるが普段使いには向かない。
 今年伸びた新しい蔓は緑色をしているのですぐに見分けられる。

 新しい蔓の先端をまず見つけ、そこから自分の掌と肘にぐるぐると巻き付けながら蔓を手繰っていき、蔓が茶色くなってきたあたりで切り離してその束はリュックに仕舞い、次の蔓も同じようにリース状に巻きながら集めていく。
 この作業そのものはまったく手間取る要素がないので、ほんの数分で3、4㍍ほどの葛の蔓を5本採集することができた。
 蔓を大量に茹がける大鍋があるならもっとたくさん集めていくのだが、如何せんコッヘルしかないのであまりたくさんの蔓を採っていっても持て余すことになるだろう。

 いずれ葛芋を掘る時のために、良さげな葛芋が埋まっていそうな場所に木の枝を立てて目印にしておく。ちなみにデンプンをしっかり溜め込んだ良い葛芋は、地面を這っている蔓ではなく、岩場や木の幹に巻き付いている蔓の先にできやすい。
 葛芋は本来は葉が枯れ落ちた冬に掘るものだ。しかし、夏に掘っても収穫量が多少は落ちるが駄目というわけでもない。

 戻る前に葛の蔓の先端から20㌢ぐらいまでの柔らかい部分を探してちぎって集めていく。この部分は食用だ。アク抜きに少し時間がかかるから昼食には使えないが夕食には間に合うだろう。ワラビやゼンマイみたいな感じだな。

 戻る途中に洗濯場に寄って葛の汁まみれになった手を洗い、ついでに昨晩から干しっぱなしの洗濯物も回収する。
 そこから拠点までの間に焼き畑があるが、俺が通りがかった頃には最初に火を放った辺りは燃え尽きて焦げた地面が(くすぶ)っており、反対側の境界の辺りでちょうど火が燃えていた。美岬は火がそこから先に燃え広がらないように見張っているようだった。
 俺に気づいた美岬が炎の向こうから満面の笑みでブンブンと手を振ってきたので、片手を上げて応えてそのまま拠点に戻った。

 洗濯物だけ拠点内に下ろして外に出て、塩作りのために乾かしている砂をチェックしてみればもうすっかり乾いていたので、海水を汲んできて砂の上に撒き足しておいた。

 かまどの中で燻っていた火種に消し炭を積み上げて扇いでやればすぐに火が着くので、そこに小枝を積んで燃え上がらせ、大きめの薪をくべて火力を安定させていく。
 大コッヘルに水を入れて火にかけて沸くのを待つ間に採集してきた葛の処理を進めていく。

 まずは食用部分だ。蔓の先端部分をまとめて中コッヘルに入れ、木灰をまぶしておく。ここに沸いた湯を注げば、アルカリ性の熱い木灰液に浸かることになる。そのまましばらく放置しておけばアクは抜けて柔らかくなる。ちなみに木灰液で煮るとドロドロに溶けてしまうので、熱湯を注いでそのまま自然に冷ますぐらいがちょうどいい。

 リース状に巻いてある葛の蔓を一度ほどき、葉や芽をむしり取っていく。大きめの葉はトイレットペーパーの代用品として使うのでそのままでまとめておき、小さい葉はお茶にするために朝作った干し網に並べて乾かし始め、芽は蔓の先端部分と同じようにアク抜きして食用にするので中コッヘルに入れていく。葉や芽を取って蔓だけになったら、それを大コッヘルにすっぽり収まるサイズのリース状に巻き直す。

 同様の処理を採ってきた5本の蔓全てに終わらせた頃には大コッヘルの湯が沸騰してきているので、まずは食用部分のアク抜きのために沸いた湯を中コッヘルに注ぎ込む。
 残った大コッヘルの湯に木灰を混ぜ、そこに最初に巻いたリース状の蔓をすっぽりと入れ、さらに水を足して蔓が完全に浸かるようにしてから再びかまどで火にかけて茹でていく。

 沸騰してから20分ぐらいでくたくたになった蔓を取り出し、減った分の水を足して次の蔓を茹でる。
 茹で上がるのを待つ間ずっとかまどの傍に居続ける必要もないので、トイレットペーパー用の葛の葉をトイレに運んだり、製塩作業の続きをしたり、葛から繊維を採る作業の次の工程で必要になる浅い穴を小川の近くに掘って底に昨日むしってその辺りに散らばっていた葦の葉を敷き詰めたり、といった作業を隙間時間を活用して進めていく。

 やがて、昼近くになって美岬が肩からスポーツバッグを提げ、Tシャツの裾を片手で掴んでパタパタと中に空気を送りながら拠点に戻ってくる。

「ふぃー、さすがに夏の日射しの中で火の番は熱かったっす。あ、焼き畑の方はだいたい燃え尽きて自然鎮火したっすよー。あとは地面が冷えてから耕して灰を土に()き込めば、豆と芋は植えれるっすね。ハマエンドウもけっこう採ってきたっすよ。このスポーツバッグに入ってるっす」

「おう。お疲れさん。ここも火の傍で熱いから日陰で涼んできたらどうだ?」

「うーん、じゃあ、泳いできてもいいっすか?」

 今日は朝の満潮が7時頃だったから干潮のピークは14時前ぐらいのはず。潮は引きつつあるが、泳げる場所は十分にあるので泳ぐことそのものは問題ない。問題は……

「……泳げるのか?」

「しっ! 失敬なっ! 泳げるっすよ! なんでそんな疑問が出てくるんすかっ?」

「いや、だって俺が知る限り、美岬はいつも溺れてたから」

 フェリーから落ちた時と、涼もうと筏から海に入った時と、寝たまま海に落ちた時……いや、最後のは俺が見た夢の中の出来事だからノーカウントか。でも、俺の中では美岬は泳ぐのが苦手というイメージが固まってしまっていた。

「…………くっ。心当たりはあるっすけど、ちゃんと泳げるっすから! 島の海女(あま)さんたちに混じって素潜り漁とかもしてたっすから!」

 ちょっと涙目になっている美岬の頭を撫でて落ち着かせる。

「すまんすまん。疑って悪かった。泳げるなら問題ないんだ。ここは波も無くて水も綺麗だから泳いだら気持ちいいはずだ」

「むぅ。…………じゃあ、ガクさんも一緒にどうっすか?」

「うーん、俺も涼みたいのは山々だが、この葛の処理がまだ終わってないし、昼飯の準備もまだ手付かずだからなぁ」

 今ちょうど最後の5本目の葛の蔓を茹でているところだが、茹で終わる頃には12時を回ってしまうので昼飯の準備もそろそろやらないと。朝飯を食べずに活動しているからさすがに腹も減っている。
 美岬が眉をへんにょりとさせて口を尖らせる。
 
「うー、じゃああたしも今は泳ぐのやめとくっす。ガクさんの作業をあたしも手伝うっすから、あとで一緒に泳ぎたいっす」

「……おっけ。すまんな、我慢させて。その代わり、午後からは一緒に過ごそうな」

「へへっ、約束っすよ」

 嬉しそうにはにかむ美岬の頭をもう一度優しく撫でてやる。

「おう。……そもそも俺だって美岬と一緒に過ごしたいんだからな?」

 
 それから、最後の葛の蔓が茹で上がるまでの間に食材を調達する。
 今回はムール貝をメインターゲットに岩牡蠣も少し採ってこようと岩場に向かう。ムール貝は元々あまり味に期待していなかったので昨日は少ししか採ってこなかったが、コロニーで群生しているのでその気になれば労せずにまとまった量を採集できる。ここの綺麗な水で育ったムール貝があんなに旨いと知った以上採らない選択肢はない。
 今は大、中のコッヘルが使用中なので、すぐに食べられない貝までは採る余裕はない。大潮も終わり頃になり、干潮のピークが後ろにずれてきているので午後に美岬と水遊びしてからでも晩飯のための食材の調達は間に合う。

 短時間でささっとムール貝と岩牡蠣の採集を終わらせてかまどの所に戻り、採ってきた獲物をまな板の上に仮置きする。
 それから、ちょうどいい具合に茹で上がった葛の蔓を取り出し、それまでに茹で上がっていた残りの4本と共に小川の近くに掘ってあった穴の中に入れ、上から葦の葉を被せておく。

「これにはどういう意味があるんすか?」

「うん。葛の蔓の構造は外から表皮、内皮、芯になるんだが、繊維として使うのは内皮なんだ。こうやって茹で上がった蔓を蒸れる状態で置いておくと表皮が発酵してドロドロになるから簡単に内皮と分離できるようになるんだ」

「ほー、どれぐらいの期間発酵させるんすか?」

「お湯だけで茹でたら3日、灰や重曹で茹でたらすでに表皮がだいぶ脆くなってるから1日ぐらいでいいかな。とりあえず明日にでも次の工程を試してみようと思ってる」

「ふむふむ、了解っす。うまくいけばいいっすね」

「そうだな。さて、戻って昼飯にしよう」
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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