第62話 7日目③おっさんは塩作りを始める

文字数 3,325文字


 芽が出始めている緑豆の仕分けや、アイスプラントやひよこ豆の地植えなど、植物の世話のために拠点に残った美岬と別行動で、俺は落ち葉を集めて運ぶために空のリュックとスポーツバッグを持って林に入った。

 地面に積もった落ち葉を両手で掬ってリュックとスポーツバッグに詰めていく。
 そうして気づくのは、落ち葉の隙間にけっこうドングリが挟まっているということだ。今年のドングリにはまだ早いから、去年や一昨年に落果したもののうち発芽条件が整わず、芽吹けずに残ったものだろう。

 この島に上陸してからまったく姿を見ていないので、たぶんそうだろうとは思っていたが、これだけの落果したドングリが手付かずで残っているということは、ネズミやリスといったドングリを好んで食べる齧歯類(げっしるい)はどうやらいないようだ。少なくともこの箱庭には。

 まあそれはともかく、スダジイのドングリは日本に多く自生しているドングリの中で最もえぐみ成分が少ないので、アク抜きせずにそのまま食べることができて栄養価も高い優れたナッツの一つだ。
 秋になって今年のドングリが収穫できるようになれば、米や芋や豆が収穫できるようになる冬までの間、ジュズダマや葛豆と並ぶ炭水化物の供給源になるだろうと期待していたのだが、秋まで待たずとも落ち葉の隙間に残っている状態のいいドングリなら食用にできそうで、これは嬉しい誤算だ。
 そんなわけで、俺は落ち葉を集めつつ、状態の良さげなドングリを見つけたら取り分けてポケットに詰めこんでいった。

 建材や薪に使えそうな枯れ枝はあとでまとめて運ぶためにある程度固めておき、リュックとスポーツバッグが枯れ葉と小枝でいっぱいになったら、林の外の畑の予定地に運んで行って中身をぶちまけ、再び林の中に戻って落ち葉を集めるのを繰り返す。
 箱庭を囲む崖の上に太陽が昇って谷底まで陽が差し始める8時頃には、焼き畑予定地にはかなりの量の落ち葉と小枝が積み上がっていた。
 植物の世話と予定していた植え付けを終わらせた美岬も合流し、今は畑の周囲を囲う溝を掘ってくれている。溝といってもあくまで火がそれ以上燃え広がらないための防火帯としてのものだから、生えている雑草を掘り返して土を剥き出しにする程度のごくごく浅いものだ。

「燃やすのはこれぐらいあればいいと思うがどうだ?」

「十分っ、だとっ、思うっすっ」

「溝を掘るの交代しようか」

「やっ、大丈夫っす! 掘りながらっ、畑のレイアウトとかっ、考えてるっすから、あたしがやった方がっ、いいと思うっす! ……ふぅ」

 畑の周りの溝を一生懸命に掘っていた美岬が手を休めて額に浮かんだ汗を拭う。そう言われてしまうと引き下がるしかない。

「分かった。じゃあ俺は塩作りを進めとくな。こまめに水分補給しながら無理せずやってくれよ?」

「あいあい。お任せられー」

 再びスコップで溝掘りを再開する美岬にこの場は任せ、俺は懸案事項の一つである製塩をするために拠点に戻る。
 拠点の中から断熱シートを持ち出して日当たりのいい砂浜に広げ、四隅を石で押さえて飛んでいかないようにする。

 それから空のコッヘルを持って波打ち際に行き、コッヘルでその辺りの砂を海水ごと掬う。
 砂に混じった泥によって濁ったそれを手でかき混ぜて濁った水を捨て、綺麗な海水を新たに掬っては砂を洗って濁り水を捨て、というのを繰り返し、水が濁らなくなるまで何度かそれをする。米を研ぐのと同じ感覚だ。
 最終的に砂が綺麗になったら海水を捨て、濡れた砂を断熱シートの上に薄く広げて天日干しにする。

 このサイクルを何度か繰り返し、海水で濡れた砂を断熱シートいっぱいに薄く広げる。

 やがて、太陽の熱により濡れた砂から蒸気が立ち昇り始め、濡れた灰色の砂が次第に乾いて白っぽくなっていく。そこに、コッヘルに掬った海水を手でパチャパチャと跳ね掛けるようにして撒いていく。
 熱くなった砂と照りつける太陽光によって撒かれた海水の水分がどんどん蒸発していき、砂に残される塩分濃度を上げていく。
 日本でも古代から行われている揚浜式(あげはましき)製塩の第一段階である砂を利用した塩の濃縮だ。ちなみに現代でも三重県の伊勢市では神宮に奉納するための塩がこのやり方で作られている。

 海水の塩分濃度は3.5%といわれているが、伏流水が流れ込んでいるこの内湾はもう少し塩分濃度は低いように感じる。
 仮に3%だったとして、100ccの海水を煮詰めて得られる塩がたったの3gしかないということだ。多くの燃料を消費してたったそれだけというのはあまりにも効率が悪い。
 それで昔の人が考えたのが、海水の水分を太陽熱で自然蒸発させて、残った高濃度の塩水を煮詰めることで燃料を節約しつつ多くの塩を得るという方法だ。
 
 揚浜式の場合、砂を敷き詰めた塩田に海水を撒き、水分が蒸発して塩が付着した砂を集めてもう一度海水と混ぜ、砂をろ過して濃い塩水を取り出し、それを煮詰めて塩を作る。
 海水から塩を作る方法は揚浜式以外にも、入浜式や流下式などの方法などがあるが、どれも原理としては自然蒸発で海水を濃縮させてから煮詰めて塩を結晶化させる点は同じだ。
 揚浜式の場合、簡単な反面、大量生産には向かないので現代では儀式用途以外では廃れているが、俺と美岬が使う分だけならこのやり方で十分だ。
 
 そんなわけで、断熱シートの上に広げた砂を乾かしているところに美岬が呼びに来る。

「ガクさーん、溝掘り終わったっすよー」

「おー、お疲れ。じゃあさっそく燃やすか」

 時間は朝9時。もし捜索隊がこの島の近くを探してくれるなら狼煙を上げるタイミングとしては悪くないと思う。
 美岬が掘った溝は水を入れるとかそういうわけではなく、あくまで焼き畑の火がそれ以上燃え広がらないようにするための防火帯でしかないので地面を浅く掘り返している程度だ。この時期は雑草も青々としているので飛び火程度ではそうそう燃え広がることもないだろう。

 掘り返されて土が剥き出しになった浅い溝に囲まれた畑の予定地に戻り、中央に積み上げてあったさっき拾い集めてきた落ち葉と小枝を全体に広げていく。さらに最初に火を着ける場所には着火材として松ぼっくりを積み上げる。
 かまどにまだ種火が残っていたのでそれを起こしてファットウッドに火を着け、そこから松ぼっくりに火を移せば、メラメラと燃え上がった炎がどんどん周囲の落ち葉と小枝に燃え広がっていく。

「んんー? こんなにたくさん燃やしてるのに、案外煙って出ないんすねぇ」

 と、美岬が空を見上げながら納得がいかないように首をひねる。燃え上がる炎から出る煙は透明がかった白であまり目立たない。

「炎が立って完全燃焼してるとあまり煙は出ないんだよ。不完全燃焼状態だと煙もよく出るけどな。だから狼煙にするなら燃えにくい生木を燃やしたり、わざと炎を消して煙が出るようにするんだ」

 俺が2㍍ぐらいの棒で、燃え上がっている炎の一部を叩いて消すと、そこから大量の白い煙がモクモクと立ち上るが、再び炎が立ち始めると煙の色は薄くなる。

「むぅ……。不完全燃焼だと焼き畑の意味が薄れちゃうっすから、煙を出すためだけに不完全燃焼にするのは本末転倒っすよねぇ。しっかりと地面の雑草を根ごと焼いて生えにくくするのと、草木灰のカリウムなんかを土に補充するのが目的っすから」

「そうだな。火を管理する側としてもしっかり炎が燃え上がって完全燃焼してる方が安定してるから楽なんだよな。常に不安定な不完全燃焼状態を維持し続けないといけないから狼煙っていうのは案外難しいんだよ」

「確かにメリットがデメリットと釣り合わないっすね。狼煙としての効果は期待しないで燃やすことに専念するっす」

 美岬が納得したように何度かうなずく。

「さて、じゃあここはもうどっちかが見てれば大丈夫だろうから、美岬に任せていいか?」

「お任せられ。ガクさんは何するっすか?」

「とりあえず葛の蔓を採ってきて処理をするのと、塩作りの続きをしていこうかと思ってる。昼にはまたかまどを使うからそれまでに出来るだけ進めておきたいからな」

「了解っす。じゃああたしは火の番をしつつ、ハマエンドウの実も集めておくっすね」
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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