第79話 8日目⑦おっさんは旨味について教える

文字数 4,799文字

 30㌢以上40㌢未満のなかなかいいサイズのクロソイ1匹とアイナメ3匹に加えて、餌として使い切れずに残ったカメノテとついでに岩場でムール貝も少し採って拠点に戻ったのは7時頃だった。空にはまだ残照は残っているが群青から濃紺へグラデーションしており、気の早い星が瞬き始めている。

まずは断熱シートで乾かしてあった塩作り用の干し砂を元のビニール袋に回収して拠点内に保管し、塩でべたべたの断熱シートは小川で洗って干した。またお茶用に干してあった葛の葉も回収してすでに葛葉茶の入っているビニール袋に継ぎ足しておく。
 もうじきに暗くなるのでウッドキャンドルを灯し、かまどにも火を点けて明かりを確保する。

 ちなみに元々ある食材は、アク抜きの終わった葛の芽、皮を剥いたスダジイのドングリが約一合半、ハマグリの干貝が6個、干蛸が8枚、干ワカメ1枚分、ヨコワのジャーキーが8枚、葛葉茶が1袋、高カロリー携行食4本ってところだ。
 これに調味料として出汁醤油と粗塩、塩コショウ、ハーブソルト、カレー粉がある。

「よし、じゃあ今日の晩メシを作るとしようか」

「わぁーい♪ 今日の晩ゴハンのメニューはなんっすか?」

「そうだなー、クロソイの刺身とアイナメの焼き霜造りを作って、魚のアラとムール貝とカメノテと干蛸とハマゴウとハマボウフウあたりを使ってブイヤベースみたいな具だくさんスープを作ってみるか」

「うわぁ! 聞くだけで美味しそうっすねぇ。あたしは何をしたらいいっすか?」

「じゃあ、まずは香味野菜としてハマボウフウの比較的柔らかそうな葉を5、6枚とハマゴウの実を1房分ぐらい採ってきてもらっていいか?」

「お任せられっ! 真っ暗になる前にさっそく行ってくるっす」

 たたっと海浜植物ゾーンに駆けていく美岬を見送り、俺は拠点から干蛸を1枚取ってきて、中コッヘルに水を注ぎ入れ、干蛸を手で千切ってそこに入れて戻し始める。
 それからクーラーボックス内の血で染まった海水を捨てたところ、アイナメ3匹はもう動かなくなっていたがクロソイだけはまだビチビチと動いていたので先にアイナメを処理することにした。
 晩メシに使うのはクロソイとアイナメ1匹で十分なので2匹は開きにして干物にすることにする。ちなみに干物で有名なホッケはアイナメの近縁種なのでアイナメを干物にすると見た目も味もホッケに近いものになる。

 というわけで、干物用のアイナメを2匹とりあえずまな板の上に出す。
 ナイフの刃を立てて皮の上をこそいで鱗を落としていく。アイナメは鱗がかなり細かく、あまり飛び散らずに皮膚の粘液と混ざった状態でまとまるのでわりと下処理が楽な部類の魚だ。
 丁寧に鱗を落としてから背中から骨に沿ってナイフを入れて腹側の皮だけ残した状態で開いていき、頭も下顎だけを残した状態で兜割りにして、スーパーで売っているホッケの開きでお馴染みの観音開きにする。

 活け締めでしっかり血抜きができているのでほとんど血も出ないし、身そのものも透明感のある乳白色で寄生虫の付いている様子もない。
 生活用水が流れ込み、汚れていて水温も高い川の河口にいる根魚にはよく寄生虫がついているが、これぐらい綺麗で水温も低い環境ならほぼ寄生虫の心配は無いだろう。むしろこれほど美しい白身を刺身でなくて干物にするのが勿体ないと思ってしまうぐらいだ。

 観音開きにしたアイナメから内臓とエラを取り、さらに真っ二つにした頭の内部にある脳を含む神経系を取り除き、軽く洗って水気を切る。
 もう一匹も同様に処理をしてから2枚の開きにちょっと強めに塩を振る。特に腹腔内、頭の脳があった辺りや目玉は水分が多くて腐りやすいので特にしっかりと塩をまぶして、皮が上で身が下に向くようにして干し網に並べて干し始める。このようにして身が下を向いていれば、まぶした塩の働きで身から滲み出た水分が重力に従って落ちて乾きやすくなる。

 ちなみにこの作業──魚2匹の鱗を落として観音開きにして内臓とエラを抜き取って塩をまぶして干す、程度なら慣れた人間がやれば数分で終わる。俺が開き用の2匹の処理を終え、3匹目のアイナメの鱗取りをしているところに美岬が戻ってきた。

「ただいまっす。おぉ、もう開きが2枚出来てる。ガクさんさすがっすねぇ。ほとんど漁師レベルの捌きスピードじゃないっすか」

「アイナメは捌くのが楽な魚だからな。クロソイはちょっと面倒だけど」

「ですね。あ、あたしはガクさんがそれやってくれてる間に出汁取りでもしていけばいいっすかね?」

「そうだな。大コッヘルに少なめの水でカメノテの出汁取りをして、できた出汁とカメノテの剥き身を干蛸を戻してる中コッヘルに一緒にまとめてくれるか?」

「あいあい。お任せられっ!」

 美岬がすっかり慣れた様子で出汁取りを始める。まったく危なっかしさもないから任せておいて大丈夫そうだな。それだけ確認してから俺も捌きかけのアイナメに向き直る。
 アイナメは白身だが、脂がしっかり乗っている魚だ。そして皮に旨味が凝縮しているので皮ごと食べられる焼き霜造(やきしもづくり)りや湯霜造(ゆしもづく)りが特にオススメの食べ方となる。

 焼き霜造りは、強火で皮だけを炙り、身の内部に熱が通らないように冷水に落として冷ました身で造る刺身だ。生の皮は弾力が強すぎて噛みきれないが、炙ることで柔らかくなり香ばしくもなる。霜造りというのは冷ますために水に浸けた時に身の表面が白く変色することを霜に例えているわけだな。ちなみに湯霜造りは皮に火を通す過程をお湯を掛けることで行うだけであとは同じだ。

 焼き霜造りにする場合、皮に残る僅かな鱗が食味を損ねるから普段よりもかなり丁寧に鱗取りをしてしっかりと表面を洗う。
 それから頭を落としてから内臓を抜いて一度洗い、3枚に卸し、身から腹骨を削ぎ取り、中骨を1本ずつペンチの先で抜き取り、あとは焼き霜処理をするだけの状態までしてから一度ビニール袋に入れてクーラーボックスに仕舞い、次にクロソイを出してきて処理にかかる。

 クロソイはまだ活きているがもうあまり抵抗しないので、まずは鱗を落とし、頭の付け根の背骨を断ち切って頭を外せば、頭にくっついて内臓がずるずると腹腔から引き出されてくる。
 それから腹を割いて残った内臓を掻き出し、皮の表面と腹腔内を洗う。
 ここまでしてから美岬に声をかける。

「美岬、そっちの出汁取りはどうだ? 大コッヘルは空いてるか?」

「大コッヘルは空いてるっすよ。今は出汁取り終わってカメノテの皮剥いてるとこっすから」

 そう言いながら美岬が空の大コッヘルをこっちに渡してくる。

「サンキュ」

 クロソイの頭からカマと内臓を切り離し、頭を兜割りにしてエラを取り、軽く洗って大コッヘルに入れる。カマは軽く洗ってそのまま大コッヘルに入れ、肝臓は付着している苦玉だけ外して、消化器は中身を捨てて水で洗ってから大コッヘルに入れる。
 先に外してあったアイナメの頭と内臓も同様に。そしてアイナメはすでに骨取りも終わっているので身のついた大きめの骨も大コッヘルに入れる。

 アラの処理を先に済まして、軽く洗ったまな板の上には頭と内臓を取ったクロソイがでんっと載っている。それをまず3枚に卸し、背骨はそのまま大コッヘルへ、身から腹骨と中骨を取り、身のついた腹骨は大コッヘルへ、ペンチで抜き取った中骨はそのまま捨てる。
 これでクロソイもあとは刺身にするだけの状態になったので、アイナメ同様ビニール袋に入れてクーラーボックス内に仕舞う。
 刺身の仕上げは最後にすればいいので、先にアラから進めよう。

 アラの入った大コッヘルに水をヒタヒタに入れてかまどで火にかけて加熱していく。温度が上がってくると灰汁(アク)が浮いてくるのでそれをお玉で掬っていく。

「ガクさん、あたし今は手が空いてるから灰汁取りやるっすよ」

「そうか? じゃあ頼む」

 美岬にお玉を渡し、彼女が灰汁取りをしている横で俺は箸を持って大コッヘルからまず火の通った内臓(モツ)を取り出して中コッヘルに移す。次に腹骨を水を入れた小コッヘルに取り出して冷まし、指で骨を引き抜いて残った身を中コッヘルに移す。それが終わったらカマ、背骨、頭、と順々に取り出しては、可食部位だけを中コッヘルに取り分けていく。
 かなり面倒な作業ではあるが、アラなんてほとんどが食べられないことを考えると、これをしているだけで実際に食べる時のストレスが桁違いに少なくなるのだからやっておくに越したことはない。

 そして、中コッヘルには干蛸とその戻し汁、カメノテの剥き身と出汁、根魚の可食部位が収まり、大コッヘルの方には灰汁を取り終わった根魚の出汁だけが残った。

「この根魚の出汁の底には剥がれた鱗なんかが沈んでるから、かき混ぜないように上澄みだけをお玉で中コッヘルに移していってくれ」

「了解っす。入りきらない分はどうするっすか?」

「小コッヘルにもある程度入れていって、残った分は捨てていいぞ。下の方は鱗とか小骨とか棘が混ざってるから無理に回収しなくていいさ」

 美岬がそれをやってくれている間に俺はさっき採ってきたムール貝から足糸(そくし)を取り除き、ハマゴウの実を石で磨り潰して細かくしておく。

「終わったっすよ」

「おっけ。じゃあ大コッヘルを(ゆす)いでから中コッヘルと小コッヘルの出汁と具を全部まとめていこうか」

「はーい」

 大コッヘルにまとめられた干蛸の戻し汁、カメノテの出汁、根魚の出汁の3種類が混ざった出汁を味見してみれば、深みのある濃厚な旨味のスープになっていた。

「……これは、なかなか旨味がすごいことになってるな」

「あたしも味見してみたいっす」

 俺が渡したお玉から出汁を味見した美岬を微妙な顔をする。

「んんー? なんちゅーか変な感じっすね。塩味が無いから決して美味しいものではないのに濃厚で複雑な味わいでなんとなく美味しいような気もするような……これが旨味なんすか?」

「その通り。旨味というのは説明するのが難しい味でなぁ、それ単体ではぶっちゃけ美味しいものではないんだが、旨味が無ければ美味しい料理にはならないから、欠かせない味なんだよな」

「うーん、旨味という味はなかなかピンとこないっす」

「そうだろうな。旨味をきちんと理解するには味覚を訓練するしかないからな。ま、今はこれが最終的にどんな味になるか期待しておくだけでいいさ」

 出汁と具の入った大コッヘルをかまどで火にかけて加熱していき、沸騰したところでムール貝を入れ、出てきた灰汁をお玉で掬い、塩とハマゴウの粉で味と風味をある程度調え、ハマボウフウの葉を投入して柔らかく煮えるまでしばらく待つ。
 頃合いを見計らってお玉でスープを味見して、美岬にも味見させる。

「どうだ? さっきの出汁の味がどう効いているか分かるか?」

「うわぁ……。これはめっちゃ美味しいっすねぇ。さっきの出汁の味がすべての土台になっているのも今なら分かるっす」

「それが分かれば今は十分だ。さて、これはまだ薄めに味つけてるだけだからもうちょっと塩を足して味を調えて完成させよう。これが終わったら刺身の方も仕上げて晩メシだな」




【作者コメント】
アイナメとホッケが近縁種というのは私も最近まで知らなかったのですが、たまたま近所のスーパーに開きではない生のホッケが売られてて『あれ? これアイナメじゃね?』と思って調べてみて近縁種と知りました。アイナメの干物も美味しいですよ。

アイナメの名前の由来は鮎並(あゆなみ)から来ているようで、縄張りを持っていて排他的な性質が鮎とよく似ているからということらしいです。また身に脂がしっかり乗っているので油女(あぶらめ)と呼ぶ地域もあるようですね。

蛇足ながら、岳人は作中でアラを煮る前にエラを取ってますが、煮魚をする時はエラは必ず取った方がいいですよ。残ってると煮汁に臭みが出ますので。
 
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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