第18話 3日目⑦おっさんは言い逃げで寝落ちする

文字数 4,329文字

「それじゃあ勉強が好きなところでちょっと計算してみようか。水の消費に関してだが、元々は7日間生き延びることを目標に1日あたり300ccずつ、二人で600ccと決めたわけだ」

「そっすね」

「だが、昨日クーラーボックスと共に拾った水のおかげで現在3950ccの水がある。それに蒸留でも水を作れることが判明した。だから1日あたりの水の割り当て量を増やそうと思うんだがどうだ?」

「大賛成っす」

「今のペース、1日600ccだとあと6日とちょっと保つ計算になるが、あと何日分にしたらいいと思う?」

「……うーん、今日で3日目っすから、最初の目標だった7日まであと4日っすよね。とりあえず今ある分を4日分に分配したらどうなるっすかね?」

「今は1日分を朝昼晩の3回に分けて支給してるから4日で12回。それに今日の晩の分で13回だ。3950ccを13で割ったらどうなる?」

「……ちょっと待ってくださいっす。…………えーとだいたい1回あたり300ccぐらいっすかね?」

「そうだな。それは二人分だから一人当たりの1回分は150ccってことになるな。これでいくか?」

「お願いするっす」

「よし。じゃあ決定だ。これからも大事なことは二人でちゃんと話し合って合意して進めていこうな」

「了解っす」

「あと、水の生成量の目標値はどれぐらいがいいと思う?」

「えっと? 二人で1日あたり900cc消費するっすから900ccっすか?」

「蒸留で出来るのは真水だ。俺たちが飲んでる水は海水で1.5倍にかさ増ししてるだろ?」

「ああ、そうだったっすね。じゃあ1日に600ccの水が作れれば、理論上は水のストックは減らないってことっすね?」

「そういうことだな。もちろん水は多いほどいいから余分に作れるなら問題ないが、600cc以下だとだんだんじり貧になるってことは覚えておいてくれ」

「なるほど。具体的な目標値があるってのは分かりやすくていいっすね。なるべく効率のいい蒸留方法の研究がとりあえずの課題っすね」

「そうだな。水さえ安定供給できれば当分の間は生きられるからな。さて、水の件はまあこれでいいとして、食料をどうするかだな」

「モヤシに回せるほどは水に余裕無いっすからねー。やっぱ魚っすかねぇ」

 美岬がピクリとも動かない竿に目をやる。

「やっぱり擬似餌だけじゃ限界あるっすかねぇ?」

「腐ったハムはもう使い切ってしまったからな。もうちょっとアピール力を上げてみるか。美岬ちゃん、ちょっと竿を上げてくれるか?」

「了解っす」

 美岬が筏に固定している竿を外している間に、俺はまとめてあるゴミの中から菓子パンの包みを取り出した。カラフルだから上手く使えば魚へのアピールに使えるだろう。
 ハサミで切り込みを入れて房べりのようにする。

「……あ、もしやそれでルアーを目立たせる感じっすか?」

「ああ。水中で光を反射してキラキラしてたら寄ってくる奴がいるかもしれんだろ?」

「そっすね。いいと思うっす」

 パラコードを解したラバージグみたいなルアーに透明感のあるビニールのデコレーションを追加して再び海中に沈める。好奇心の強い魚がいたら食ってくるんじゃないかな。

「ちょっと水の中を見てみるか」

 竿を再び筏に固定した後、俺は箱メガネを持って筏の縁に移動して海中を覗きこんだ。透明度の高い海の中はかなり遠くまで見えるものの、近くには魚影はない。目算で数十㍍ぐらい離れたところには良さげなサイズの魚も泳いでいるが。

「どっすか?」

「うーん、この糸の届く範囲には見当たらんな」

「あたしも見ていいっすか?」

「おう」

 俺から箱メガネを受け取った美岬が筏にうつぶせになって海の中を覗きこむ。

「おー、むっちゃ綺麗っすねー。けっこう深いところまで見えるっす」

 美岬が楽しそうにあーでもないこーでもないと言っているので、これはこれでいい気晴らしになっているようだ。とりあえず美岬が日傘の影に入るように差しかけてやる。

「お、でかい魚見っけ! あれはクエかな? 2㍍はあるっすねぇ。おにーさん、クエ釣れたらどうします?」

「糸を切られて終わりだな」

「あは。身も蓋もないっすね。あ、あの群れはさんまかな? 塩焼き食べたいっすね」

「うん。塩焼き食いたいな」

「お、さんまを追っかけてでかい魚の群れが! あれはブリかな? ブリの照り焼き、ブリ大根、ブリの刺身……」

「カマ焼きにアラ炊きも旨いな」

「くぅ、奴を捕まえれば食料問題が一気に解決するのに」

「まったくだ。といってもブリなんて二人じゃもて余すけどな。ハマチ……いや、イナダぐらいだったら釣れると嬉しいがなぁ」

 などと駄弁っているうちに次第に日も傾いてきて3日目の日が暮れてきた。簡易蒸留器での自然蒸留実験の結果だが、およそ50ccの真水を生成することができていた。半日でそれだけなので丸ー日ならば一つの蒸留器で100ccぐらいは作れそうだと予想する。つまり、同じものを6セット準備するか、より効率のいい蒸留器を作る事が当面の目標となる。

「ペン軸はまだ本数あるっすからなんとかなりそうっすね」

 と美岬は楽観的に笑っていたが、俺としては夕方になって空全体に広がった薄雲と海にうねりが出始めていることが気になっていた。杞憂で済めばいいが、まさか台風が近づいてたりしないよな。

 フェリーに乗る前にチェックした天気予報ではマリアナ近海に台風の卵の熱帯低気圧ができていた。仮にあれが発達しながら北上してきた場合、通常なら1週間程度でこのあたりに達するはずだ。最悪の場合、もう2、3日後には台風に遭遇することもありうるということだ。

 とりあえず明日の天気で様子見だな。台風が近づいてるならますますうねりが大きくなり、南からの強い風と雨が断続的に来はじめるはずだ。

 今日は結局魚は釣れず終いだったが、仕掛けはそのまま海中に沈めてある。
 それからプランクトン採取器を引き上げ、中に溜まっていた一人一匙分ぐらいのプランクトンを分け合い、ヨコワのジャーキーを一枚ずつしゃぶって空腹をまぎらわせ、ちょっと支給量が増えた晩の分の水150ccをちびちびと飲んだ。
 そして昨日と同じように塩水で歯をみがけば、もう今日は特にやることも無い。

 LEDライトはそれなりに性能のいいソーラー充電式のモバイルバッテリーと一体化しているタイプだから日中充電しておけば電池残量をあまり気にせずに使えるのだが、特に用もないのに点ける必要もない。

 日没の残照が消える頃には、空を覆う雲で星明かりが遮られていることもあってあたりは完全な闇に包まれている。

 俺と美岬はいつものように二人で断熱シートに包まって並んで仰向けになっているが完全な闇の中だとお互いの顔さえ見えない。

「曇ってるとほんとに真っ暗になっちゃうんすねぇ」

「そうだな。月や星の明かりというのも頼りないようで意外と明るかったんだと分かるよな」

「……あの、こんなに真っ暗だとちょっと心細いので、て、手を握ってもいいっすか?」

「……おう」

 今日の昼間に色々とお互いの身の上話をして打ち解けたのもあってか、美岬がナチュラルに甘えてくるようになった。信頼されている、ということなんだろう。

 断熱シートの中で美岬の指が俺の腕に触れ、そのまま手のひらまで手探りに移動してきて、俺の手のひらをそっと握る。美岬がほうっと息を吐き、見えなくてもリラックスしている雰囲気が伝わってきた。

「おにーさんの手ってやっぱり働く男の手って感じっすね。大きくて硬くて、でも優しくて安心できる手っす」

「……そりゃどうも」

 逆に美岬の手は小さくて柔らかくてやっぱり女の子の手だな、と思ったがそれを口に出すとセクハラっぽい気がして無難な返事に落ち着く。

 がさごそと美岬が身じろぎして、気配で何となく横向きになって俺の方に体の正面を向けているのが分かる。やがて、美岬と繋いでいる手にもう一方の手も加わり、両手で包み込まれるように握られる。

「…………」

 考えてみれば、他の人間とのこういう風な温かな触れ合いというものからずいぶんと縁遠くなってしまっていることに気づく。妹を看取った時に手を握ってやったのが直近の記憶だが、それ以前はもう思い出せない。

「ねぇ、おにーさん」

「ん? なんだ?」

「……えーと、そのっすね、呼び方変えてもいいっすか?」

「シェルパじゃなきゃなんと呼んでもいいぞ。そもそも今のおにーさん呼びだって美岬ちゃんが始めたものだからな。でもなんで変えたいんだ?」

「や、その、おにーさんはあたしを戦友みたいなもんだって言ってくれたじゃないっすか。でもおにーさん呼びって、なんちゅうか妹ポジションって感じで甘えてるっていうか……、いや実際甘えてるっすけど、あたしとしてはもっと対等な立ち位置を目指したいってゆうか、まあそんな感じっす」

「……なるほど。まあ何となく分かった。で、何て呼びたいんだ?」

「……えー、じゃあガクトさん……は、何となくハードル高いっすね。うーん……じゃあ、ガクさんっていうのはどうっすかね?」

「いいぞ」

「じゃあ、これからはおにーさん改めてガクさんって呼ばせてもらうっすね。あたしのこともちゃん付け無しで普通に名前呼びしてほしいっす」

「分かった。じゃこれからは美岬って呼ぶからな」

「…………」

「……美岬?」

「や、自分で言っときながら突然の美岬呼びにフリーズしただけっす。おに……ガクさんは急に呼び方変えるのって驚かないっすか?」

「まあ俺の場合は昔からの親しい連中からはガクさんって呼ばれることが多かったから呼ばれ慣れてるってのが大きいな。あと妹のミサキも名前呼びだったからちゃん付けする方が実は違和感があってな」

「……ああ、納得したっす。ちゃん付けは気を遣ってくれてたんすね」

「さすがに会ったばかりのよく知らない女の子を呼び捨てするのはな。だが、三日も一緒にいてお互いに気心知れてきて、うっかり呼び捨てにしそうになってたから助かった」

「…………マジすか」

 美岬からなにやら茫然としたような気配が伝わってきたがなにか思うところでもあったのか。それより、横になるとやはりすぐに睡魔が襲ってくるな。

「……すまん。眠い。おやすみ美岬」

「あわわっ! はい、おやすみなさいっす。……ガクさん」

 慌てたような美岬の返事がその日の最後の記憶で、手に美岬の温もりを感じながら、俺の意識は急速に闇へと沈んでいくのだった。







【作者コメント】

 はい。ではこれにて3日目終了でございます。続くリザルト回でまとめますが楽しんでいただけたでしょうか?
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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