第80話 8日目⑧おっさんたちは農業計画を修正する

文字数 4,375文字

 トマト無しのブイヤベースみたいな具だくさんの海鮮スープが完成したので、刺身の仕上げの方に取り掛かろう。
 まな板を綺麗に洗い、クーラーボックスに立て掛けて水気を切り、それを待つ間に小川に行って冷たい水を酌んでくる。

 まずは焼き霜造り用のアイナメの身を水気の切れたまな板の上に出し、小枝を何本かナイフで削って串にして、アイナメの身に扇状に刺していく。
 それから(あぶ)った身を冷ますための冷水を中コッヘルに準備し、かまどに乾いた小枝を何本かまとめて投入して一気に炎を燃え立たせる。

 燃え上がった炎でアイナメの皮側を炙っていけば、熱で縮んだ皮に引っ張られて身の縁が反り返り、皮下脂肪がパチパチと弾けて香ばしい匂いが漂う。皮に焼き目がついたところで身を中コッヘルの冷水に落とし、余熱で内部まで熱が通らないように冷ます。
 もう1枚の身も同じように皮を炙って冷水で冷まし、焼き霜処理を終える。

「ほへ~これが焼き霜造りっすか。鰹のタタキと似たような感じなんすね」

「そうだな。鰹のタタキ──土佐造(とさづく)りの場合は皮だけじゃなくて全体を炙るところが違うが作業としてはほぼ同じだな。それじゃ、盛っていくから皿を2枚準備してもらっていいか?」

「あいあいっ!」

 美岬が準備してくれた皿2枚それぞれの半分まで焼き霜造りを食べやすいサイズに切りながら盛っていく。
 次いでクーラーボックスからクロソイの身も取り出す。皮を下にして頭側を右に、尾側を左にしてまな板の上に置き、尾の方から順に身を薄く()ぐようにして薄造りの刺身にしていく。
 身に斜めにナイフの刃を入れ、皮に当たったら皮を切らないようにナイフの刃を寝かせて身を皮との境目で切り離して皿に盛る。
 ソイの刺身はグリグリとしっかりした歯応えが特徴でフグにも似ているので、透明感のある身越しにナイフの刃が透けて見えるぐらいの薄さに削いでいくのがコツだ。あまり厚く切ってしまうと口の中で噛み切りにくく、いろいろ台無しになってしまう。

 ソイの身を全部刺身にし終わって、最後に皮が残るが、この皮も熱を加えれば美味しく食べられるので、適当なサイズに切って大コッヘルのスープの中に混ぜておく。スープはまだ熱々だからこれだけですぐに熱は通るだろう。

「よし、これで一通り完成だな。食べるか!」

「わぁっ! 待ってました! もうお腹ペコペコっすよぅ」

 作業を終えたまな板を洗い、クーラーボックスの上に裏返して置いてテーブルにして、真ん中に海鮮スープの大コッヘルを置き、空きスペースに刺身を盛った皿とスープ用の取り皿を並べる。
 丸太の椅子を持ってきてクーラーボックスを挟んで向かい合わせに座り、二人で揃って手を合わせる。

「「いただきます」」

 さっそく刺身から、と思ったところで醤油を忘れていることに気づいて拠点から昨日作ったばかりの貝出汁醤油を取ってくる。
 俺が戻ってくると美岬が俺の分も海鮮スープをよそってくれていた。

「お、さんきゅ」

「どいたまっす。それにしても……ほんとに具だくさんなスープっすねぇ。いや、これをスープと呼んでいいものか」

 美岬が自分の手に持った皿を見ながら小首を傾げる。殻付きのムール貝、ちぎったタコ、魚の白身、カメノテの身がてんこ盛りになっているそれは確かにスープと呼ぶには無理がある。

「そうだなー、そもそもブイヤベースはスープというよりどっちかと言えばごった煮だからな」

「そういえばブイヤベースってなんなんすか?」

「おっとそこからか。ブイヤベースは地中海に面した南フランスのプロヴァンス地方名物の海鮮煮込み料理で、魚、貝、甲殻類や頭足類なんかをハーブやトマトと一緒に煮込んだものだな。
 元々は売り物にならない海産物を自家消費するためにまとめて大鍋で煮た漁師たちのまかない料理がルーツらしいからこんな感じになるんだよな」

「なるほど。アクアパッツァとはまた違うんすか?」

「似たようなもんだが、アクアパッツァはイタリア料理だからイタリアらしくオリーブやニンニクやイタリアンパセリが必須になるな」

「あ、そういうことなんすね。じゃあ、そのうちここでトマトが収穫できたらもっと本格的なブイヤベースも作れるっすね」

「違いない。そういえばトマトの植え付けは……」

──ぐうぅぅぅ……。

 なかなか終わらないやりとりにずっとおあずけ状態の美岬の腹の虫がついに盛大に抗議の声を上げる。

「…………あうぅ。こんなに大きい音が鳴るなんて……恥ずかしすぎるっす」

「続きは食べながら話そうか」

「……そっすね。さっそくこのブイヤベース的なのから……」

 美岬が皿に直接口を付けてスープを一口啜り、ほぅっとうっとりとした表情を浮かべた。

「…………うわ、なにこれ、すごっ! さっき味見した時はまだそれぞれの具材の個性が強かったのに、今は色んな味が複雑に混ざり合いながらもきちんと調和して絶妙な美味しさになってるっす。なんと表現したらいいか……これは味のオーケストラっすよ」

「ははっ! なかなか的確な食レポだな。煮込み料理が目指すところはまさにそれだからな」

 スープを調和のとれたオーケストラに例えるなら、それぞれの具材はソロパートだ。
 薄茶色の魚の肝を食べてみれば、中にはしっかりと肝独特の濃厚で滑らかな風味が閉じ込められていてスープの味に刹那的な彩りを添え、それ以外の具材──干蛸もムール貝もカメノテも噛み締めた瞬間に口の中でそれぞれの個性を発揮して舌を楽しませてくれる。

 2種類の魚の刺身も文句無しに旨い。
 アイナメの焼き霜造りは皮の香ばしさと脂が乗った身の甘さが際立っており、対するクロソイは淡泊ながらプリプリと弾力のあるしっかりした身の歯応えがたまらない。
 濃厚なハマグリ出汁で水増しした出汁醤油の旨味が刺身との相性抜群で、熟成されていない新鮮すぎる身に足りない旨味を補ってくれている。

 ひとしきり食べることに集中して、ようやく人心地つき、美岬がしみじみと言う。

「……はー、どれも美味しいっすねぇ。なんか、すっかり食生活が豊かになったっすよねぇ」

「ほんとそれな。……箱庭(ここ)に辿り着く直前のヨコワジャーキーを海水で煮出しただけのスープのことを考えると今の食生活はめちゃくちゃ恵まれてるよな」

「ふふ。あれはあれであの時はすごく美味しかったっすけどね。一晩中嵐と戦った後でようやく辿り着いた島に上陸できそうになくて、心が折れそうになってた時のあの温かいスープは、ダーリンの愛情と気遣いに溢れてて……うん。あれもあたしにとってすごく幸せな記憶っす」

「そうか。それならいいけどな。……そうだ、さっきの続きだけど、作物の植え付けはどんな感じだ?」

「あ、そっすね。うーんと……まず、さつま芋は芽ごとに分割して植え終わったっす。だいたい10個ぐらいになったっすね。で、芋蔓が30㌢ぐらいまで伸びたところで切って別の場所に植えればどんどん株分けで増やせるんで、最終的に焼き畑の1/3ぐらいをさつま芋スペースにしようと思ってるっす」

「ふむふむ」

「緑豆と小豆は近縁種でどっちも水はけがいい痩せた土を好むんで畑の外周に近いところに植えたっす。ちょっと育ってきたら蔓が絡むための支柱が必要になるっすね。だいたい収穫まで2ヶ月ちょっとってとこっす」

「なるほど。緑豆はもう豆苗になってるから早めに支柱が必要になるな」

「そっすね。そんなに大きく育たないので高い支柱はいらないっすけどね。あと、いんげん豆っすけど、これは蔓なし種っていうめっちゃ早く育つ品種なんでだいたい1ヶ月半で収穫できるっす。枝豆と同じで株が自立するんで支柱がなくても大丈夫っすけど、倒れないようにまっすぐな支柱に紐で結んで添え木みたいにする方が間違いないっすね」

「1ヶ月半で収穫できるのはすごいな」

「初心者向け品種っすからね。もしかすると葛豆より早く収穫できるかもっす。それと大豆なんすけど、大豆は土に石灰を混ぜた方がよく育つんで、先に焼いた貝殻を土に混ぜこんで土作りしたいなーと思ったんで今日はまだ植えてないっす。植えたらだいたい2ヶ月半で枝豆として収穫を始められて、3ヶ月半で大豆として収穫できるっすね」

「貝殻石灰か。おっけ。貝殻もぼちぼち溜まってきたから晩メシが終わったら焼いて作っておこう」

「あとは、トマト、唐辛子、アブラナ、胡麻、玄米っすね。この中でトマトと唐辛子は乾燥した痩せた土を好むナス科なんで、芽が出たらそのまま焼き畑に植えようと思ってるっす」

「ナス科ってそうなのか」

「ナス科は強いっすよ。原産がアンデスの乾燥した高地なんで救荒作物向けっすからね。トマト、唐辛子、ジャガイモなんかは多少寒くても平気で育つっすし。それとアブラナっすけど、これはぶっちゃけハマダイコンと同じ扱いでいいと思うんであえて畑に植えなくてもいいかな、と思うんすよね」

「確かに菜の花は海浜植物としてよく浜辺に自生してるイメージだな」

「なので、ハマダイコンが自生してるあたりの地面を軽く耕して種蒔きしようと思ってるっす」

「うん。それでいいと思う。……ってことはあとは胡麻と米か」

「胡麻の方は焼き畑の一部に腐葉土を混ぜて土作りをしてから植えようと思ってるっすけど、問題は米なんすよね。葦の湿地を開拓して田んぼにしようかと思ってたっすけど、ちょっとここ水温が低すぎるんすよね」

「それは俺も気になってた。なんかいい方法はないかな?」

「それなんすけど、米ってバケツでも栽培できるんすよ。なので、なんとか桶みたいなものが作れればそれに湿地の泥を入れて水を張って米作りができるかなって思うんす。桶ごと陽当たりのいい場所に置いておけばいい感じに温まってよく育つと思うんすよね」

「なるほど。水漏れしない桶だな。分かった、なんとか作ってみよう」

「あざっす。とりあえず作物の植え付けと栽培の予定はこんな感じっすかね」

「よく分かった。ありがとな。作物の方は引き続き美岬に任せるけど、労働力が必要だったり、何か道具が必要になったら遠慮なく言ってくれよ」

「あい、お任せられ」





【作者コメント】
土佐造りと焼き霜造りの目的の違いについて。

鰹のタタキでお馴染みの土佐造りと、今回作中で登場したアイナメの焼き霜造りは似ていますが目的が違います。

鰹は青身魚であり、血抜きされずに流通することが多いので新鮮な身でも生臭さが強くなりがちです。その生臭さを打ち消すために表面を火で焙って焼き目と焼き味を付け、さらに葱や生姜やミョウガなどの薬味を添えるのが土佐造りの目的ですね。

対して焼き霜造りの場合は、そのままでは食べられない皮に火を通して食べれるようにすることが一番の目的なので、アイナメや鯛などの淡泊な白身魚によく用いられる手法です。こちらは、いかに皮だけに熱を通すかが重要になります。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み