第53話 6日目⑨おっさんはトイレを作る

文字数 4,785文字

 鉄板として使っていたスコップを砂と灰で擦って汚れを落とし、水で洗い流して、まだ火が残っているかまどの上で乾かす。

「ガクさん、今からカゴ作りっすか?」

「いや、先にトイレ作りをしようかな。今、俺たちが用を足すのに使っている岩場はちょっと拠点から離れているし、屋根もないから雨が降ると困るからな」

「あ、そっすよねぇ。じゃああたしも手伝うっす」

「いや、美岬には他に頼みたいことがあるんだがいいか?」

「ほ? もちろんっす。なんでもやるっすよ」

 俺は拠点の中から袋に入ったジュズダマとペンチを取ってきた。

「まだかまどの火が残ってるから、ジュズダマをこのスコップの上で煎って乾燥させてくれ。トイレ用の穴を掘るのにスコップは使うが、せっかく洗って綺麗にしたんだから先にジュズダマを煎っておきたい」

「了解っす! ガクさんはスコップはまだしばらく使わないんすか?」

「ああ。今はまだ材料の木の枝なんかが足りないから美岬がそれをしてくれている間に集めてこようと思ってな」

「分業っすね。了解っす! あ、このペンチは何に使うんすか?」

「煎ったジュズダマをペンチで割って殻と中身を分けて欲しい。けっこう地道で面倒くさい作業だがいいか?」

「あ、あたしこういう単純作業好きっすよ。おまかせっす!」

「おっけ。じゃあ任せた。外した殻も後で使うから捨てずに取っといてくれよ」

「はーい」

 美岬がさっそくスコップの上にさっき集めてきたジュズダマをざらざらーと流し入れて煎り始めた。
 俺は空のリュックとナイフと(なた)(ノコギリ)と麻紐を持って再び林に向かった。


 林と拠点を何回か往復して、トイレ用の小さな小屋を建てるのに十分な木材は手に入った。
 ついでにさっき美岬と一緒に林の中を歩いていた時に見つけてあった直径40㌢ぐらいの倒木を輪切りにして、長さ30㌢の玉切り丸太2個と長さ40㌢の玉切り丸太1個を切り出した。

 30㌢の玉切り丸太2個はそのまま俺と美岬の椅子として使う。
 地面に直接座っての作業は、ずっと動かずに出来る作業ならいいが、頻繁に立ったり座ったりする作業だと地味にしんどい。こういう時に椅子があると作業が断然楽になる。
 俺が丸太の椅子を持って戻ると、地面に直座りで作業をしていた美岬が喜んでさっそく使い始めた。

 40㌢の玉切り丸太は、縦に割って中心部分から板を切り出してまな板にしようと思う。クーラーボックスは作業台としてはいいが、上に直接食材を置いてまな板として使うのはやっぱり都合が悪い。特にナマモノを扱う場合は頻繁に水洗いができる独立したまな板は絶対必要だ。

 刃渡りが30㌢もないような折り畳み鋸で直径40㌢、長さ40㌢の丸太を縦に切るのは難しい。輪切りなら一番太い場所だけが40㌢だから短い鋸でも無理なく切れるが、縦切りだと常に40㌢の太さを切り続けることになるのでこの鋸だけで切るのはなかなか大変だ。
 だが、当然こういう場合もいいやり方はある。

 俺はまず、太さ5㌢ぐらいの枝を20㌢の長さで2本切り出し、それぞれの片方の端をナイフで削り、マイナスドライバーの先端のような平べったい形に成形して(くさび)を作った。

 玉切り丸太を真っ直ぐに立て、まずは鋸で縦に切り溝を入れていく。そして、切り溝に合わせて鋸で切れるところまで切っていく。
 これ以上は鋸では難しいというところでいよいよ楔の出番だ。鋸はそのまま切り溝に差したままにしておく。
 切り溝の手前と奥の2ヶ所に楔を差し込み、鉈の背を金づち代わりに使って交互に打ち込んでいく。

──コーン……コーン……コーン……コーン……パキッ

 ある程度まで楔が打ち込まれると、切り溝に沿って丸太が割れ始める。切り溝が楔によって広がったところで、切り溝の底を鋸でさらに深く切り進み、再び鋸が動かなくなったら上の楔をさらに打ち込んで溝を広げ、鋸で切り進むを繰り返す。

──コーン……パキッ……ギコギコギコ……コーン……パキパキッ……ギコギコギコ……コーン……パキパキッ……パカッ

 最後は気持ちいいぐらいに綺麗に割れて丸太の端から2/5ぐらいが落ちる。丸太の反対側も同じように切り落として、中心部分の1/5、厚みとしてはだいたい8㌢ぐらいの柾目板(まさめいた)を切り出すことに成功した。
 切り落としたかまぼこ型の外側部分の2枚だが、鋸で縦に真っ二つに切って幅20㌢、長さ40㌢、厚みが最大16㌢の角材? 4本にする。これはトイレの便器に使う予定だ。

 まな板用の柾目板は横幅40㌢、奥行40㌢、厚み8㌢だが、このままではまだまな板としては使えない。
 手前と奥の2ヶ所にはまだ樹皮が残っているし、割ったままの状態だと表面がゴツゴツしているので、削って(なら)す必要がある。
 樹皮は鋸で切り落とし、表面は鉈の刃を(かんな)のように使って削って均し、最終的に完成したまな板の寸法は横幅40㌢、奥行35㌢、厚み6㌢となった。

「おぉ! すごいガクさん、めっちゃ綺麗な木目のまな板じゃないっすか!」

 少し前にジュズダマの穀外し作業を終えて俺のまな板作りを見学していた美岬が完成品のまな板に目を輝かせる。本当はもっと小さなまな板でもよかったのだが、いい木材だったからつい最上部位である柾目板を贅沢に使った大きくて分厚いまな板にしてしまった。後悔はしていない。

「晩飯の赤貝とカサガイの調理にまな板が欲しかったからな。これなら最高に旨い飯を作ってやれそうだ」

「わぁっ! さっきお昼食べたばっかりなのに晩ごはんが早くも楽しみっすよぅ」

「おう。期待してていいぞ。さて、じゃあ美岬の手もスコップも空いたし、これで必要な素材も揃ったからトイレ作りを始めるか」

「あいあいさっ!」

 まな板作りに時間を掛けすぎたからここからはちょっと急がないとな。

 トイレの場所は、拠点から崖沿いに少し内陸側に進み、地面が砂地ではなく土になり、雑草が地表を覆っている辺りを選んだ。ここなら雨が降っても崖沿いに歩けば濡れずに来れるし、草の根が地中に延びているのでトイレ用の穴を掘っても穴の縁が崩れにくい。

「ちなみに排泄物は下肥(しもごえ)として利用するのか?」

「いや、よっぽど痩せた土地ならともかく、ここみたいにいい腐葉土がたくさん手に入る環境なら使わなくて大丈夫っす。そもそも人糞肥料ってそのまま使うとかえって植物に有害っすし、ちゃんとした堆肥にするのにめっちゃ手間がかかるんであんまりメリットないんすよ」

「そうなのか。じゃあ汲み取りは考慮しなくていいんだな」

 とりあえず、トイレ用の穴として、縦40㌢、横20㌢の長方形の穴を掘っていく。ある程度深くなってきたら俺が地面に腹這いになって穴の中に手を伸ばしてスコップで掘り進めていくが、それで掘れる深さはせいぜい1.5㍍ぐらいまでだ。
 肥溜めの容量を増やすために穴の底の方はスコップが届く範囲で掘り広げて、ちょうど花瓶が地面に埋まっているような空洞を作る。

 肥溜めが掘り終われば、穴の入り口を左右から挟むように、まな板を切り出した丸太の残りから作った角材を置き、前と後ろからも挟むように置くことで、トイレ穴を囲む木枠にする。
 いくら草の根があるといってもただ掘っただけの穴では使っているうちにだんだん縁が崩れてくることは否めない。だが、トイレ穴を囲む木枠があればトイレの穴が広がって使いづらくなることを避けられるだろう。

「あ、なるほど。このために先に板を作ってたんすか」

「まあな。あくまでまな板の副産物ではあるが、こういう使い方もできるかな、とは考えてはいた」

「板だけに?」

「違うわっ!」

 とにかく、トイレの穴まわりさえ出来れば後はさほど難しくはない。
 トイレの穴を囲むように四方に1㍍ずつ間隔を空けて柱を地面に差し込んで立てていく。これは地面に穴を掘り、柱を立て、隙間に石を詰め込むことでしっかりと立たせることができる。
 柱は、崖側の2本を2㍍に、残る2本を180㌢で切り揃えてある。屋根をつけた時に片流しにして、雨が降った時に出入り口である崖側に水が流れないようにするためだ。
 次いで、柱を補強するための横木を麻紐で縛って取り付けていく。崖側は出入りの邪魔にならないように横木は上の方の1本だけにして、残る三方にはそれぞれ3本ずつ横木を取り付けたのでかなりしっかりした骨組みになった。

 屋根は幅1㍍、長さ1.5㍍で枠を作り、補強用の横木を2本つけて漢字の『目』のようにして、その上にさっき刈ってきた葦を並べて固定して茅葺きにした。
 出来上がった屋根を丸太の椅子を足台にして美岬と二人で持ち上げ、骨組みの上に載せて固定し、片流し屋根が完成する。

「おー、ここまでくるとだいぶ建物らしくなってきたっすね」

「そうだな。東屋ならこれでもいいけどトイレだからあと目隠しの壁を作って完成だな」

「壁はどんな感じにするんすか?」

「とりあえず出入り口になる崖側は開けといて、それ以外の三方は地面から1.5㍍ぐらいの高さの横木に葦の束を『稲架掛(はさが)け』にして並べていく感じだな。美岬の実家が米を作ってるなら、刈った稲を稲架掛けにして干すのはイメージできるよな? 上まで完全に塞いでしまうと中が暗くなりすぎるから、上の方は採光窓として開けておくんだ」

「ふむふむ、なるほど。なんとなくイメージ出来たっす。……あの、あたしからも要望出していいっすか?」

「おう。どうしたい?」

「えっとっすね、今までさんざん断熱シート被っただけでとか、岩陰とかで普通に排泄しときながら何を今さらって思われちゃうかもしれないっすけど……やっぱり、こうしてちゃんとした個室のおトイレになるなら、出入り口がオープンなのは嫌っす。上の採光窓は気にならないっすけど、おトイレしてる時に後ろが全開っていうのは絶対に落ち着かないっす!」

「……あぁ、そりゃそうだな。ちょっと想像して納得した。んー、じゃあどうするかな。……とりあえず目隠しの壁を先に完成させて、そのあとで葦で(すだれ)を作って出入り口に垂らすのでどうだ?」

「おぉ! それはいいと思うっす。じゃあさっそく壁作りやっちゃいましょう」

「おう。とりあえず材料の葦がこれだけじゃ足りないから、美岬には壁作りを進めてもらって、俺は追加の葦を伐採しに行くな」

「はーい。とりあえず壁の作り方のお手本を一度見せて欲しいっす」

 俺は屋根を作って残った3㍍ぐらいの葦をハサミで真ん中で切って、1.5㍍を2本にする。それを20本ぐらい準備する。

「こういう時に安物でもいいからハサミは重宝するんだよな。美岬が持ち込んでくれててよかったよ」

「そっすね。こういう時にハサミは便利っすね」

 20本の1.5㍍の葦を束にして、片方だけを麻紐で縛り、トイレの柱を繋ぐ横木に稲架掛(はさが)けにする。

「こんな感じだな。横木に葦を稲架掛けにして、どんどん並べて隙間ができないように詰めていくんだ」

「うんうん。なるほど。これなら簡単っすね。了解っす」

「おっけ。じゃあ俺はこのまま葦を伐採に行くから、ここにある分の葦を使い終わったら取りに来てくれ」

「あいあいさっ!」


 葦の群生地の向こう側に葛の群生地があるので、葛採集のための道作りも兼ねて、葛の群生地へのルート上に群生している邪魔な葦を意識的に刈り取っていく。
 鋸で葦を根本付近から切り、細長い葦の葉を軍手をはめた手で引きちぎって真っ直ぐな竿状にするまでは俺がやる。美岬は材料が足りなくなったら取りに来て、ある程度まとまった量の葦竿を持っていき、向こうで適度な長さに加工して壁を作っていく。
 そんなことを繰り返し、トイレ小屋の壁が完成したという報告を俺が受けたのは夕方の5時半頃のことだった。
 その時には細いながらも葛の群生地へと至るルートは開通していたので、とりあえず繁茂する葛のなるべく大きな葉っぱを選んで集めて拠点に戻ることにした。


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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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