第41話 5日目⑩おっさんは彼女にチベスナ顔をさせる

文字数 4,113文字

「とりあえず、さっきの要領で火を起こしてもらっていいか?」

「了解っす」

 すっかり火が消えてしまった焚き火跡に美岬がファットウッドを削り、ファイアースターターで着火し、松ぼっくりと小枝で火を大きくし、太めの薪で火を安定させていく。横で見ていたが普通に問題なく火起こしができている。
 美岬が汲んできた海水は半分ぐらいを味付け用として別のコッヘルに移して取り分けておき、残った分にペットボトルの水を足して薄めたものを火の上に掛けて沸かし始め、その間に食材の下ごしらえをしていく。

 まずはハマダイコンだ。
 ハマダイコンはアブラナの仲間の越年草なので秋に芽が出て冬に旬を迎え、春になると(とう)が立ち、菜の花によく似た花を咲かせ、やがて小さな種の詰まった豆の莢のような実を付ける。夏の時期にはその実が成熟し、実に栄養を取られて枯れるというのが1年のサイクルだ。
 大根もそうだが、こういう根菜類は薹が立つとそちらに栄養を取られてスカスカになって美味しくなくなる。そうなると根より葉や花や若い実の方に食材としての役割は移るわけだが、花が終わり実が成熟してきている今の時期にもなるとこっちも食べ頃を過ぎている。
 狂い咲きの一株はまだなんとか根と葉、あと若い実は食べられそうなのでその部分を取り分ける。
 1本だけ採ってきた立ち枯れた薹の部分には成熟した実の入った莢がいくつも付いているのでそれごと美岬に渡す。

「美岬、これの種だけ出して小さいコッヘルに集めていってくれ。さすがにそれ以外は硬くなりすぎて食えんから処分で」

「了解っす。この莢めっちゃ堅いっすからペンチ借りていいっすか?」

「いいぞ」

 美岬が硬くなった莢をペンチで割り、中から出てくる茶色い種をパラパラとコッヘルに落としていく。

「これは水耕栽培でカイワレにもできるっすし、生薬の萊菔子(らいふくし)としても使えるっすけど」

「カイワレか、それもいいけどとりあえず今日はそのまま炒ってみようかと思ってる。ライフクシってのは聞いたことないけどどういう効能があるんだ?」

「萊菔子は胃腸薬っすね。胃もたれとか整腸に使われるっす」

「ほー、それならちょうど今がハマダイコンの種の収穫期だし、たくさん生えてるから集めておいてもいいな」

 そんな会話をしつつも、俺は俺でハマダイコンの葉をナイフで刻んでいく。相変わらずクーラーボックスの蓋をまな板がわりにしているがそろそろちゃんとしたまな板が欲しいな。
 葉の処理が終われば次は根だ。大根といっても普通の栽培種のような立派な根ではなく、朝鮮人参のように細くて枝分かれしている物だ。ひげ根を落とし、皮を剥けば残るのはゴボウぐらいの太さの僅かな可食部。それを、拾ってきた表面のゴツゴツした石ですりおろして大根おろしにしておく。ちょっとひとつまみ味見してみれば、かなり辛いがちゃんと大根おろしの味がした。
 未成熟のハマダイコンの実は、実ダイコンと呼ばれ、そのまま生で莢ごと食べられる。パリパリとした食感のカイワレみたいな感じだ。
 最後にハマボウフウの葉を適当に切るが、ハマダイコンの葉よりはかなり柔らかいので、切った後の二者が雑ざらないようにしておく。とりあえず下処理はこんなところだな。

「この島では採集でそこそこ食材調達できそうだから、簡易レトルトのヨコワハンバーグと油漬け(ツナ)は今日で使い切るぞ」

「おお、なんか豪華になりそうっすね」

「無事に島に上陸できた祝いだな」

「結婚記念日じゃないんすか?」

「それは帰って婚姻届を出す時まで待て。誓った以上逃げたりはしないから」

「ふふ。楽しみにしてるっす。あ、ハマダイコンの種の回収終わったっすよ」

「おう。じゃあそれをそのまま空煎りしていって満遍(まんべん)なく火を通してくれ」

「はーい」

 湯を沸かしている焚き火から真っ赤に燃えている炭をいくつか転がし出して固めた所で美岬がコッヘルに入った種を揺すりながら煎っていく。

 美岬の作業を横目に見ながら、俺は沸いた湯にアク抜きの為に木灰を混ぜ、まずは大根葉を投入して茹で始めた。かなり硬くなっているからなるべく長めに茹でてしっかりと柔らかくする。大根葉がある程度柔らかくなったタイミングでハマボウフウの葉を投入して一緒に茹でる。時間差で投入することで同じような柔らかさに仕上げるのだ。
 ハマボウフウが鮮やかな緑色に茹で上がったタイミングで鍋を火から下ろし、茹で汁を捨て、ペットボトルから水を鍋に注いで大根葉とハマボウフウを洗ってすすぎ、冷ましていく。素手で触れるぐらい冷めたら、手で握って水分を絞り、適当に二つに分けてクーラーボックスの上に仮置きする。片方はツナ和え、もう片方はみぞれ鍋にするつもりだ。

 まずはみぞれ鍋から作っていくか。コッヘルに水とカメノテを入れて火にかけて煮ていく。カメノテは海辺の岩場に群生する生物で、その生態から、牡蠣(かき)のような貝の一種かと思われがちだが、実はエビやカニのような甲殻類の仲間で、茹でるとすごく旨い出汁が出る。
 鍋がグツグツと煮立ち始め、茹で汁は白っぽく濁り、灰汁(あく)が浮き始める。スプーンで丁寧に灰汁を掬っていき、灰汁が出なくなれば鍋のベースとなるカメノテスープの完成だ。
 細枝で作った箸で鍋からカメノテ本体を取り出して冷まし、指で皮を剥いてピンク色の身を取り出して、その剥き身をそのまま鍋に戻していく。ちなみにカメノテの身はグリグリとした歯応えがあり、食感としては鶏の首肉(セセリ)に近い。
 次に、ヨコワハンバーグを袋から出して、市販の肉団子サイズに切り分けてこちらも鍋に投入。海水で塩味を調製しつつそのまましばらく煮込む。

「美岬、そっちはどうだ?」

「ある程度は全体的に火は通ったと思うっすけど、どうっすか?」

「どれどれ」

 煎った種を一粒摘まんでちょっと力を込めてみればプチュとあっさり潰れて透明な汁が出る。その汁を舐めてみればさらっとした癖のない油。思った通りだ。

「うん。いい感じだな。アブラナの近縁種だからたぶんいけると思ったが、やっぱり大根の種からも菜種油って採れるんだな」

「ええ? これそういう実験だったんすか」

「おう。やっぱり食用油は欲しいからな。といってもアブラナに比べると種の量も少なすぎるし取り出すのも面倒だから量産は無理そうだな。とりあえずこれはこのまま晩メシに使うぞ。このスプーンで今煎ったそれを軽く潰していってくれるか?」

「はーい」

美岬がスプーンでプチプチと種を潰しているコッヘルに、ツナの絞り汁を加える。この汁はオリーブオイルとヨコワの肉汁が混ざったものだ。それを手持ちのハーブソルトで味を整えればドレッシングの完成だ。

「よし。とりあえずドレッシングはこんな感じでいいだろ。ちょっと味見してみ?」

「どれどれ……うまっ!? なんかこれ上手く表現できないっすけどめっちゃ美味しいっすよ」

「よしよし。じゃあ次にこの汁を絞った後のツナを袋の外から揉んで細かくほぐしてくれ」

 美岬がツナの入った袋を外から揉みほぐし、いい感じに細かくなったところで、さっき湯がいて絞ってあったハマダイコンとハマボウフウのうちの半分、そして生のままの実ダイコンをツナの袋に入れる。

「この茹で野菜と実ダイコンとツナを軽く混ぜて……これにさっきのドレッシングを入れて和えればツナ和えの完成だ」

「おおー! パチパチパチ! これ絶対美味しいっすよね。味見していいっすか?」

「それは後の楽しみでちょっと待て。こっちの鍋もすぐに仕上がるから」

 火にかけたままグツグツと煮立っている鍋に残りの野菜を投入し、再び煮立つまで待って火から下ろし、仕上げに大根おろしを投入して軽く混ぜればみぞれ鍋の完成だ。

「さあできたぞ。さっそく食べよう」

「わぁっ! 美味しそうっす! ……料理が二つともほぼ同時に完成したのはやっぱり狙ってやってるんすか?」

「そりゃできたてを食べたいだろ?」

「そうなんすけどっ! ガクさんのやり方を見て覚えようと横で見てても、ガクさんが同時進行で作業を進めていくから気がついたら出来上がってて結局よく分かんないんすよ」

「ああ、今回は教えるつもりでやってなかったからなー。作業の隙間時間を活用する“ながら作業”は俺にとっては癖みたいなもんだが、確かに見てるだけじゃ分からんよな」

「ガクさんのステータスのスキル欄に“並列処理”とか普通にありそうっすよね」

「別に特別なことでもないけどな。仕事として客に料理を出す調理師には必須技能だし」

「あたしには理解できない世界っす。……て、また気づかないうちに料理をよそい終えてるし!?」

 話しながら皿がわりのコッヘルの蓋2枚に和え物を取り分け、小さいコッヘル2個にみぞれ鍋を注ぎ分け、汚れを拭き取ったテーブルがわりのクーラーボックスの上に並べ、細枝の箸を添えたところで美岬が俺の手元を見て愕然とする。

「客としゃべるたびに手を止めてちゃ対面キッチンの店はできんからなー。さあ、まあとりあえず食おうか? せっかく今が一番旨いんだから」

「……」

 美岬がチベットスナギツネみたいな表情でクーラーボックスを挟んだ向かい側に移動して座るが、目の前のコッヘルから立ち上る湯気の香りに顔を綻ばせ、行儀良く手を合わせる。切り替えの早さは美岬の美徳だな。

「いただきますっ!」

「おう、おあがり。みぞれ鍋はおかわりもあるからな」










【作者コメント】

 磯で簡単に手に入る食材のカメノテは、皮と一体化した細かい鱗で覆われた本体の先に手のような形の硬い殻がついた、見たまんま亀の手みたいな生き物で、コロニーを作って岩に張り付いて生きています。海中にある時に手のような殻の内側からネット状の触手を出して水中のプランクトンを取って食べるだけの人畜無害生物です。
 食用になるのは細かい鱗に覆われた本体の方で、茹でたり網焼きにして火を通した後、皮を剥いて食べます。皮は手で簡単に剥けます。私は網焼きの方が好きですね。味はカニと貝の間ぐらいのメチャクチャ濃縮された旨味の固まりで、食感はほぼ肉です。ミル貝の水菅にもちょっと似てるかも。ちなみに、剥き身を干して乾物にしておけば長期保存の利く出汁用素材になります。


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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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