第9話 2日目⑥おっさんはナイフをちらつかせながらJKにイジワルをする

文字数 4,099文字

 干していた衣類を片付け、手が空いてからは俺と美岬で交互に釣竿を握り、ルアーを水中で踊らせたりして魚にアピールしてみたが一向に釣れないので、さらに魚へのアピール力を上げるために拾ったサンドイッチに挟まっていた酸っぱい臭いのハムを細く切ってルアーの針に追加で刺してみたりと工夫してみる。

 そして日が暮れて薄暗くなってきた頃──魚がよく釣れるいわゆるマズメ時に突然、美岬が握っていた竿がグイッと大きくしなった。

「っしゃあ! きたっすよ!」

 美岬が竿を振り上げてフッキング。上手く針が魚の口に引っ掛かったようで、魚が右に左にと激しく走るが針が外れる様子はない。
 この元気に走り回る感じからして青物っぽいな。

「美岬ちゃんはそのまま弱るまで無理せず走らせて、相手が弱った頃に引き寄せてくれ。俺は糸が絡まないようにプランクトン採取器を筏に引き上げるから」

「了解っす! お任せられ!」

 おまかせられ? 変わった言い回しだけど島の方言かな。そう思いながらも海中に漂わせていたプランクトン採取器を引き上げる。

 美岬は竿を両手でしっかり握ったまま、筏の周りをぐるぐる逃げ回る魚が弱るまで辛抱強く待ち続け、徐々に筏の近くに寄せてくる。
 糸が3㍍ちょっとしかないこともあり、すぐ近くで魚影が暴れるのが見える。ぱっと見、40~50㌢ぐらいの銀色の魚だ。

「いいサイズだ。美岬ちゃん、そのままいけそうか?」

「やっ、ちょっと暴れまくってるんでもうちょっと待ってほしいっす。でも、最初に比べると弱ってきたっすよ」

「分かった。しんどかったら交代するからな」

「あいあいっ!」

 美岬と魚のバトルはもうしばらく続いたが、魚が弱った隙に美岬が一気に竿を振り上げて海面から顔を出させ、空気を吸わせたところで急に抵抗が弱まる。
 俺が両手に軍手をはいて、筏に腹這いになって待ち受けているところに美岬が魚を寄せてきたので、開いた口と尻尾の付け根を掴んで一気に魚を筏の上に引き上げる。
 当然ビッタンバッタンと大暴れするが鞘から抜いたサバイバルナイフで頭の付け根付近に切り込みを入れて頸動脈を切ることで決着がつく。
 ビクンとなって抵抗が弱まった魚をさっき拾ったばかりのクーラーボックスに海水と一緒に入れる。エラ蓋から流れ出した血がたちまち海水を真っ赤に染める。活け(じめ)成功だ。
 釣れた魚はおおよそ50㌢で重さは2㎏程度だろう。良いサイズだ。

「やったー! 捕ったどー!」
「おう! やったな!」

 俺と美岬はハイタッチを交わす。

「これ、カツオっすか? ちょっと模様が違う気もするっすけど」

 美岬が首を傾げる。確かに形はカツオによく似ている。だが店に並ぶカツオよりも胴回りが太く、模様もカツオ独特の腹部の渦巻き模様はなく、胴体に黒い輪をいくつもはめたような縞模様が入っている。

「島育ちの美岬ちゃんでも知らなかったか。まあ割りとマニアックな魚ではあるからな。これはヨコワだな。クロマグロの仔マグロだ」

「おぉ! マジっすか! クロマグロなんて超高級魚じゃないっすか!」

「あー、言っとくけどクロマグロの仔マグロは、味は全く別の魚だからな?」

「え? そうなんすか?」

「こいつはサイズ的には普通のカツオと同じぐらいだが、ぶっちゃけこのサイズならカツオの方が脂が乗ってて市場価値は高い。ヨコワは脂っけがほとんどない淡泊な味の魚なんだ」

「マジっすか? だってクロマグロっすよ? トロっすよ?」

「うん。魚ってのはその種の平均的なサイズに成長するまでは身にあまり脂が乗らないからな。こいつがクロマグロと呼ばれずにあくまでヨコワと呼ばれてるのもまぁそういうことだ」

「あー、つまりまだクロマグロと呼ばれるには値しないってことっすか」

「そういうことだ。それでもクロマグロには及ばずともあっさりしてて旨い魚だしこれはこれで俺はけっこう好きだぞ。ましてや釣ってその場で活け〆にした考えうる限り最高の鮮度だ。旨いに決まってる」

 そんな会話をしながらも、俺はクーラーボックス内の赤く染まった海水を捨てて新しい海水を満たし、ヨコワの血抜きと冷却を進めていた。釣り上げる際に暴れた魚は自らの体温で身に熱が通ってたんぱく質が変質し、いわゆる身焼けという状態になりやすく、身が太いマグロの類は特にそれが顕著だ。
身焼けしたマグロは不味い上にすぐに腐る。江戸時代においてマグロが猫すら跨いで通るというネコマタギと呼ばれて雑魚扱いされていたのもその身焼けが原因だ。

「それで、このヨコワはどうするんすか?」

 さっきからしきりに腹を鳴らしている美岬につい意地悪したくなる。

「もう暗いし明日だな」

「そ、そんなぁ!?」

「なんて冗談だ。LEDライトもあるからもうちょっと冷ましたら捌いて食わせてやるからもうちょっと待ってな」

「……うう、おにーさんがイジワルっす」

 そして、ヨコワの身が十分に冷えるのを待って水から引き上げ、美岬にLEDライト内蔵型のモバイルバッテリーを持たせ、クーラーボックスをまな板の代わりに使ってサバイバルナイフで捌いていく。
 まず頭を外して内臓を抜く。ついさっきまで泳いでいたやつの新鮮な内臓だから捨てずに取っておく。
 頭と内臓を抜いたいわゆるドレスという状態になったヨコワをまず3枚卸しにして、その身の部分を背身と腹身に切り分けて5枚卸しにする。

「おぉ、さすがプロっすね。あっという間に(ふし)になったっす」

「本当はこの一番良い節は全部刺身にしたい所だが冷蔵手段がないからな。これから食べる分以外は保存食に加工だな」

「仕方ないっすよね。でも今日は刺身が食べれるんすね? めっちゃ楽しみっす!」

「今日は傷みやすい内臓を優先して食べるから刺身は一節分だけな」

「了解っす。内臓はどうやって食べるっすか?」

「すぐ食える内臓は心臓(ハツ)肝臓(レバー)ってとこだな。竹の枝に刺してバーナーで炙って串焼きだな。それ以外は加工に回そう」

 首の付け根辺りにある直径5㌢ぐらいの心臓を二つに割り、中に残った血を海水で洗い流して竹の枝を尖らせた串に刺し、内臓の中で一番大きな肝臓は、癒着している胆嚢(ニガダマ)を破らないように丁寧に外して海水で洗い、輪切りにして串に刺していく。見た感じ寄生虫はいないようだ。
 それ以外の内臓は消化器系になるので処理を後回しにする。

 4本の節のうち、腹身の1本を選び、皮を剥いで骨を取り除き、刺身にしてコッヘルの皿に盛っていく。リュックから取り出した愛用のシングルバーナー、スウェーデン・オプティマス社製の『ハイカープラス』の火を着けて、2本の竹串に刺した内臓を軽めに炙って軽く塩を振る。

「よし、じゃあ残りの処理は一旦後回しにして先に食うか」

「わーい! 待ってました! でも醤油が無いのが残念っすね」

「あるぞ、醤油」

「おぅふっ! マジっすか」

 醤油、塩、胡椒、カレー粉、ハーブソルト、オリーブオイルは少量ずつではあるが調味料として携行している。コンビニで売ってる50ccのミニボトルだが持っていれば野外料理の幅が広がるので重宝している。実際に今回もこの通り役に立った。

「ほれ。そのまま手掴みでいっちまえ」

「いっただきまーすっ!」

 刺身に醤油に一垂らし掛け、そのまま手掴みで一切れ摘まんで口に運ぶ。脂の少ない赤身は味そのものが濃い。醤油の香りと塩味が刺身の甘味と混じり合ってなんとも言えない絶妙の味のハーモニーを奏でる。

「……うん、旨い!」

 美岬はと見れば、目を閉じてこれ以上ないぐらい幸せそうな表情で咀嚼していた。ゴクリと喉を鳴らし、ほぅっと息を吐く。

「ほわぁ……。美味しい魚は食べ慣れてるつもりだったっすけど、これは格別っす」

「そうだな。これ以上ないぐらい新鮮だし、この空腹感も相まってもはや暴力的ですらあるな」

 続いて串焼きを手に取る。外側を軽く炙っただけなので串焼きというよりタタキに近いがこうすればビタミンを熱で破壊することなく摂取出来るのだ。正直、あまり味は期待していなかったが……。

「うわっ!? なんすかこの串焼き! めっちゃ旨いっすよ!」

 と歓声を上げる美岬。確かに期待以上に旨い。
 ハツは魚肉とは思えないぐらいコリコリとした歯応えがあり、それでいて生臭さも全く無く、適度な塩味が肉の旨味をしっかりと際立たせている。対するレバーはとにかく味が濃くて柔らかい。血の味は多少あるものの十分に血抜きがされているので気になるほどではないし、何より新鮮なのでいやな臭みもなく食べやすい。
 魚の内臓は基本的に生で食べるものではないので俺自身食べるのは初めてだが、こんなに旨いとは知らなかった。もちろん、これは釣りたて〆《しめ》たての新鮮な物に限るだろうが。




【作者コメント】
 スウェーデンのオプティマス社のシングルバーナー『ハイカー+』は弁当箱のような小ささで収まり、ホワイトガソリンだけでなく、灯油、軽油、ジェット燃料などあらゆる石油系燃料が使えるマルチ燃料バーナーで、その信頼性でNATO軍にも採用されています。……欲しいなぁ

 魚の内臓、特に消化器系は時間が経つと自己消化でドロドロに溶けてくるので、新鮮でなければこういう食べ方はできませんが、新鮮な魚の胃袋や腸はグリグリとした歯応えが美味しいので、チャンスがあれば是非お試しください。肝臓は、ある程度以上の大きさの魚(長く生きた個体)になるとビタミンAが蓄積しすぎて人体に有害になっている場合があるので注意が必要です。ヨコワはそこそこの大きさはあるとはいえ幼魚なので大丈夫だろうという判断です。成魚のマグロはやめた方がいいでしょう。

 コンビニで売っている50ccのミニボトル醤油はちょっとしたアウトドア用に持っておくと便利ですよ。開封しなければかなり長く保ちますし、醤油があるだけで料理の幅が広がります。
 ガチのサバイバル用にストックしておく調味料だと、岩塩、ホールの胡椒、氷砂糖、蜂蜜なんかが長期保存が可能かつ汎用性も高いのでオススメです。蜂蜜は怪我した時の軟膏にもなります。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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