第74話 8日目②おっさんは塩を完成させる

文字数 3,827文字

 まずは塩作りの続きだな。昨日、何度も海水を振りかけては天日で乾かした干し砂は現在いくつかのビニール袋に小分けしてある。そんなビニール袋の一つに海水を入れてよく混ぜる。
 次いでビニール袋の口を軽く結んで、大コッヘルの上で逆さにして持てば、緩い結び目から濃い食塩水だけがボタボタと落ちていって、ビニール袋には砂だけが残る。この砂はまた天日干しして塩作りに再利用する予定だ。
 同じことを干し砂を入れたすべてのビニール袋で同じようにやって、大コッヘルが濃い食塩水――鹹水(かんすい)で一杯になる。
 ちょっと指先につけて舐めてみれば、吐き出すレベルで塩辛くて苦味とエグみもある。この苦味とエグみがいわゆる『苦汁(にがり)』だ。成分としては塩化マグネシウムや硫酸マグネシウムや塩化カリウムなどのミネラルとなる。塩作りの後の工程で苦汁の除去を行うが、それをしないと苦味の強い不味い塩になる。

 苦汁(にがり)のことはとりあえずさておき、まずは鹹水(かんすい)を煮詰めていこう。
 水に溶ける塩の飽和量は約20%。この鹹水の塩分濃度は分からないが、もし飽和量だったら2㍑からおよそ400gの塩が取れるということになる。もちろんロスは出るからそこまで取れるとも思わないが。
 鹹水がたっぷり入った大コッヘルをかまどの火にかける。だいたい1/5ぐらいまで煮詰まるまでは放っておいていいので、別の作業に取りかかろう。


 美岬はハマエンドウの豆剥きをすでに終わらせて今は焼き畑の方を耕しているので、美岬が使い終わった断熱シートを持ってきて昨日と同じように砂浜に広げ、その上にビニール袋内に残った砂を広げて干し始めた。濡れたままビニール袋に入れっぱなしだと海水に含まれる有機物が腐ってくるから、使い終わった砂はその都度、干して乾かしておけば次の塩作りの時にそのまま使える。
 
 それから岩場に行って、鍛冶作業に使う金床(かなとこ)に使えそうな上面が平らで安定感のある石を拾ってくる。
 熱して溶かした金属を加工するための叩き台である金床は鋳物(いもの)製が普通だが、古代の遺跡からは石製のものも見つかっている。石製は割れやすいからあまり大きな物の加工には使えないが、釣り針程度なら問題ないだろう。
 拾ってきた金床石をかまどの近くに設置し、上面を別の石でガリガリと擦り合わせて表面の凸凹を馴らしていく。金床として使う為には平らであればあるほどいい。

 時々かまどに薪をくべながら、金床石を根気強くガリガリと整形していき、最後はダイヤモンド砥石で仕上げてなんとか金床として使用出来そうな状態に整ったのは午前10時頃だった。すでに太陽は真上にあり、じりじりとした焼けつくような暑さがある。

 帽子代わりに頭にセームタオルを巻き、水筒に入れた水でこまめに水分補給はしているとはいえ、数時間火の傍で作業していたのでさすがに暑い。水筒の水がちょうど無くなったし、作業的にも切りがいいから、水の補充がてらちょっと小川まで行ってクールダウンしようと立ち上がる。
 ついでに鹹水(かんすい)を煮詰めているコッヘルをチェックしてみれば、すでに鍋の半分ぐらいまで煮詰まり、塩もかなり結晶化してきていた。
 苦汁(にがり)の混じったピンク色の鹹水の中で結晶化した白い塩が踊っている。もう少し煮詰まればさらに塩の結晶が多くなり、生セメントみたいなザラザラドロドロになるからそこまでなれば次の工程に進める。この様子だと昼ぐらいにはいい感じになりそうだな。

 空になっている水筒やペットボトルを集めて小川に向かって歩いていると、俺と同じく頭にセームタオルを巻いて焼き畑を耕していた美岬が俺に気づいて駆け寄ってくる。

「おぉ! ダーリン、ヨメ分が足りなくなって補充に来たんすか?」

「いや。足りないのはヨメ分じゃなくて水分かな」

「むぅ……。水に負けたっす」

 ぷぅと頬を膨らませる美岬の頭を撫でて宥めつつ小川に誘う。

「水に対抗意識燃やすなよ。ヨメ分はさっき十分補充させてもらったからまだ枯渇してないだけだ。せっかくだから美岬も一休みして一緒に小川に涼みに行かないか?」

「行くっす!」

 美岬もだいぶ中身の減っている500ccのペットボトルを取ってきて一緒に小川に向かう。

「パッと見だがかなり耕せているみたいだな」

 美岬が朝からずっと耕している焼き畑は(うね)も出来てかなり畑らしくなっている。

「むふんっ! 頑張ったっす!」

 どや顔の美岬の頭を撫で撫で。

「えらいえらい。鍬の使い勝手はどうだ? 不具合はないか?」

「えへへ。鍬もいい感じっすよ。長さもちょうどいいんで短いスコップよりも断然はかどるっすね。元々、砂混じりで水はけが良すぎる土なんで雑草の根もあまり無いからそんなに耕すのも難しくはなかったっすけどね。ただ、土の保水力が低いのが気になるんで(うね)を作って土を盛り上げることで少しでも保水力を上げたいなって感じっす。それでも植えてしばらくはこまめな水やりは必要だと思うっすけど」

「なるほど。その辺りはやっぱりさすが農業女子だな」

「ふふん。畑仕事はおまかせられ。ガクさんの方の進捗はどうっすか?」

「んー、鍛冶作業に使う金床石がなんとか形になったかな。あとはハンマーを仕上げれば簡単な野鍛冶はできると思う。塩はだいぶ結晶化してきてるからあともう少しだな」

「ほうほう。塩を煮詰めるのって意外と早いんすね。なんか一晩中煮詰めてるイメージっすけど」

「あー、あれは売るのが前提の大量生産だからだな。大鍋で大量に作るのと、小鍋で少量作るのでは煮詰めるのにかかる時間はぜんぜん違うさ」

「なるなる! そりゃそうっすよね」

 そんな会話をしているうちに小川に到着したので、まずはペットボトルをゆすいで水を汲み、それから濡らしたセームタオルで顔や身体を拭いたりしてクールダウンする。

「やー、やっぱり昼間だとこの冷たさが気持ちいいっすねー!」

「だなー。温度は海の方がちょうどいいけど、どうしても潮でベタつくのが不快だもんな」

 それからしばらく水辺で涼んでからそれぞれの仕事に戻る。

 俺はかまどの所で昨晩作りかけのまま作業を中断していたハンマーの仕上げに取りかかった。
 ハンマーの柄になる手頃なサイズの薪を一度縦に割り、割った内側にハンマーヘッドとなる石を挟み込める凹みをナイフで削って彫り、接着剤のピッチを塗って石を挟んで固定するところまでを昨晩のうちにやってある。
 すでにピッチは完全に乾いて硬くなっていてハンマーヘッドの石はビクともしなくなっていた。あとは柄の部分を握りやすい太さと形に整形すればいい。
 俺はナイフでハンマーの柄を削って仕上げていき、それからさほど時間もかからずに無事に石ハンマーが完成した。
 
 さっそく鍛冶作業を始めたいところだが、塩がもうかなり煮詰まってきていい感じなので先にこっちを終わらせないとな。
 そして、塩の次の工程には干し網を使うので、必然的にまずは干物(ひもの)を片付けることになる。

 昨日の夜から半日以上干しっぱなしの穴ダコとハマグリの剥き身とワカメはすっかり水分が抜けてカチカチになり、干物というより乾物になっている。少々干し過ぎかもしれないが、保存食としてなら特に問題ないだろう。
 本当は半生ぐらいに干してから煙で燻して燻製にしたかったのだが、燻製用はまた次の機会にでも仕込もう。
 乾物は種類毎にまとめてビニール袋に仕分けして拠点内に仕舞う。ただし、昼食に使う予定の穴ダコ2枚と干し貝2個は中コッヘルで水に漬け込んで戻しておく。

 拠点からノートの紙を数枚と革手袋を取ってきて、紙は干し網の上に互いに重ねながら隙間ができないように広げ、革手袋を装着して鹹水が煮詰まって生セメントみたいにドロドロになっている熱いコッヘルを火から下ろし、火傷(やけど)しないように気を付けながら、それを干し網の上に広げた紙の上にひっくり返す。

――ぼとぼとっ……ぼとぼとぼとっ……

 まだ水分が残っているので見た目は固めのピンクの泥だ。塊になって落ちた泥状の塩を小枝を使って紙の上に薄く広げていく。すると、塩に混ざっていた苦汁(にがり)が紙に吸われていき、ピンク色の染みが広がっていく。
 少し待ってから革手袋を外して指先で塩を触ってみると、まだ熱いが手で触れる程度には粗熱は取れていたので、紙の上で塩を素手でほぐしたり広げたり軽く紙に押し付けたりして苦汁を紙に吸わせて塩を精製していく。
 塩――塩化ナトリウムは、苦汁の成分であるマグネシウムやカリウムに比べると結晶化しやすいので、塩化ナトリウムが結晶化してマグネシウムやカリウムがまだ液状であるこのタイミングで分離すれば苦味の少ない使い勝手のいい食塩を精製できるのだ。
 ちなみに塩と苦汁の分離は布袋に入れて振り回す遠心分離の方が手っ取り早いが、適当な布袋がないから今回は手揉みでやっている。

 やがて、苦汁があらかた紙に吸収され、紙の上には白い塩が残った。
 試しに少しだけ摘まんで味見してみれば、もう苦味はぜんぜん気にならず、旨味が強い粗塩(あらじお)になっていた。
 出来上がった塩の目方は両手で山盛り1杯ぐらい。目算だが300g~350gぐらいはありそうだ。これだけあれば多少の醤油や味噌を仕込んでも俺と美岬が普段の食事に使える分はしばらくあるだろう。

 時間はすでに昼近くなっている。結局午前中は鍛冶まではできなかったが、かねてからの懸案事項だった塩作りが一先ず完成したから成果としては十分だ。さっそくこの塩を使って昼食を作るとしよう。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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