第67話 7日目⑧おっさんは漁師の秘技を教わる

文字数 3,430文字

 20匹ほどのタコが塊になって蠢いているのはなかなか凄い絵面だが、一匹一匹が小さい穴ダコだからまだマシだな。これが大きい真ダコとかだったら完全にホラーだ。
 波打ち際の干上がった砂の上に穴ダコの塊を下ろしてもタコたちはお互いに絡み合っているので逃げることができない。いずれはほどいて逃げ出すだろうから、その前に(しめ)ておく必要がある。
 タコもイカも目と目の間が急所なので、そこを鋭利な刃物や針で突けば簡単に〆ることができる。

 まずは1匹、塊から引き剥がして急所にナイフを刺すと一瞬だけ全身の色が変わり、くたっと脱力する。これだけだ。
 タコを次々に〆ていき、砂の上に並べていく。

「ガクさん、(すみ)袋だけ先に取っておいた方がいいと思うんすけど」

「んー、それは簡単にできるものなのか?」

 美岬がついでのように提案してくるが、俺とてどんな食材でも扱ってきたわけではない。真ダコなら〆て調理した経験もあるが、墨袋は捌くときに他の内臓と一緒に除去したと記憶している。
 確かに墨が残っていると洗うのが大変だから先に取っておけるならその方がいいのは分かるのだが。

「簡単っすよ。まず、タコが水や墨を吐き出す水菅(すいかん)を見つけるっす」

 そう言いながら美岬がタコを一匹手にとって実演しながら説明してくれるので俺も同じようにする。

「うん。ここだな」

「水菅の根元に墨袋があるんで、そこに親指の爪を立てて引っ掻くようにすれば薄皮が簡単に破れて墨袋が露出するっす」

 言われるままに水菅の根元の薄皮に爪を立ててみれば、あっさりと破れてプリッとした墨袋が露出する。

「ほほぅ」

「あとはこの墨袋を押し出して摘まんで引きちぎるだけっす」

 皮膚から角栓を押し出すにも似た感覚で墨袋を押し出して摘まんで引っ張れば、墨袋と一緒に他の内臓もズルッと引っこ抜ける。

「おお。……なるほど、これはめっちゃ簡単だな。こんなやり方があるとは知らんかった」

「あたしはこのやり方しか知らないっすけどね。島の漁師たちはみんなやってるっすし」

 調理学校で習うようなある意味行儀のいい捌き方とは違い、漁師たちには素材の特性を理解しているからこその大雑把ながらも効率的な捌き方があるが、これもその一つだろう。
 美岬が次から次に墨袋と内臓を引っこ抜いていくので俺も同じように黙々と作業する。

「目玉とクチバシはまな板の上で切った方がいいっすね。その前に洗って砂を落として、普通なら塩で揉んでヌメリを取るんすけど……塩は今作ってるとこだからまだ無いっすよね。どうしましょ?」

「ああ、おっけ。そっちは俺の専門だな。タコのヌメリ取りならダイコンでもできるからハマダイコンを使おう」

「へえ、そんな方法もあるんすね」

 ひとっ走り拠点に行って、中を空にしたクーラーボックスを取ってくる。

「とりあえず洗って砂を落としたやつはこの中に入れていこうか」

「了解っす」

 海水で砂と汚れを洗い落としたタコをクーラーボックスに入れ、俺と美岬は一旦拠点に戻った。そして、その足でハマダイコンを採りに行く。

 今回はあくまでヌメリ取り用で食用ではないので、そのまま食べれるカイワレや実大根は採らず、まだ枯れずに青さを残している(とう)や葉の部分を採ってきた。硬くなりすぎて食用には適さずとも、その成分までが失われたわけではないから、細かく刻んでタコと混ぜれば大根卸しと同様にヌメリ取りはできるはずだ。
 取ってきたハマダイコンの董と葉をなるべく細かく刻み、さらに叩いてペースト状にして、クーラーボックス内のタコと混ぜる。このまましばらく置いておいて洗えばヌメリは取れると思う。

「……ということでこれはこのまましばらく放置だな。潮が引いている今のうちに先に貝を捕りに行っておくか。その後でちょっと休憩しようか?」

「あ、いいっすねー! 泳ぐのは涼しかったっすけど、体は疲れてるっすからちょっとお昼寝したいっす」

「おっけ。じゃあそうしよう」

 大コッヘルとスコップを持って再び干上がった海に降りる。
 貝掘りを始める前に、確実に捕れるであろうアサリの砂抜きのために、大コッヘルの底にあらかじめ小石を敷き詰めておき、海水で満たしておく、という準備をしていると感じる美岬の視線。

「用意周到っすねー」

 顔を上げると何故か呆れ混じりのチベスナ顔の美岬。解せぬ。

「先を見越した段取りは大事だぞ。先にこれをしておけばアサリを入れておけば勝手に砂抜きが終わるんだから」

「いや、それは分かるっすよ。ガクさんが何を意図して動いてるかは分かってるっすよ。……でもその、ガクさんは常に先を見越して段取りを組んで動いてるっすから、それが出来ない凡人のあたしはなんちゅーかモニョるんすよ」

「モニョるなモニョるな。こんなのは経験値の差だ。少なくとも俺が美岬の歳の頃には先を見越して動くなんてことはしてなかったぞ」

「むぅ、そんなもんすかねぇ。……でも、あたしがガクさんみたいに動けるようになる未来なんて想像もできないっすよ」

「……次回からは美岬も貝を掘る前にこれをするだろ?」

 と小石と海水の入ったコッヘルを掲げてみせる。

「……まあ、すると思うっす」

「そういうことの積み重ねでだんだん段取りが良くなっていくんだよ。大事なのはただ漫然と動くんじゃなくて、自分より早くて上手な人間がいるなら、自分とどこが違うのかをよく監察して理解しようと努めることだ。そうして悟った理解は確実に自分の財産になるからな」

「なるほど。仕事は目で盗めってことっすか」

「それは一つの真理ではあるな。もちろん訊いてくれたら教えるけど、自分で意味を悟る方が確実に自分のモノになるのは間違いないからな。だから、好奇心のアンテナの感度を上げておくのは大事だし、新しいことにチャレンジすることを恐れないことも大事だな」

「色んなことに関心を持って、チャレンジ精神を忘れずに積極的に取り組む姿勢が大事なんすね」

「その通り。それに、それまで知らなかった新しい知識や技術を学ぶのは楽しいからな。俺も穴ダコの灰吹き漁や墨袋の取り方を新たに習得できて楽しかったぞ。だから美岬も勉強しなきゃとか固く考えずに新しいことへの挑戦を楽しんだらいいと思うぞ。それがいつの間にか自分の財産になってるんだ」

「分かったっす。……なんかガクさんは教師にも向いてそうっすね。ガクさんが先生だったら生徒たちは楽しそうっす」

「そうか? じゃあとりあえず美岬相手にマンツーマンの個人授業だな」

「先生と生徒の禁断の関係」

「そういう個人授業じゃないからな?」

「あたし、先生に初めて恋を教えてもらって、一人の女として愛される喜びを知ってしまったっす」

「その言い方!」

 つい今しがたまでの真面目な雰囲気は一瞬で霧散して、ふざけあいながら俺と美岬は貝掘りを進めていく。
 すぐにアサリとハマグリでコッヘルは一杯になり、ついでにたぶんワカメと思われる海草も拾って、再び潮が満ち始めた頃に拠点に戻った。
 アサリとハマグリのコッヘルは日陰に置いておいて夕方まで砂抜きしておくことにして、海草は干し網に広げて天日干しにする。あと製塩用の干し砂にも海水を撒き足しておく。

 さて、今ある食材は、殻剥き済みのジュズダマが一合、殻剥き前のスダジイの実がおそらく三合ぐらい、穴ダコが20匹、ハマグリが8個とアサリが20個、アク抜き中の葛の芽が20本、40㌢ぐらいの長さのワカメっぽい海草、それと保存食のヨコワジャーキーと高カロリー携行食ってところだな。
 余裕があるとは言えないが、今日明日で困るほどでもない。明後日からはモヤシも食べれるようになるとのことだし、浜野菜のハマヒルガオ、ハマダイコンのカイワレ、ハマボウフウは必要に応じて常時手に入る。

 今日はこれ以上食材集めは必要ないから、残った時間をクラフトや他の作業にも当てられそうだな。少し休憩してから、とりあえず美岬の農作業用に(くわ)を作って、時間に余裕がありそうなら釣り針を作るという予定でいいかな、と考えたところで美岬に呼びかけられて思考を中断する。

「ガクさん、どしたんすか? 急に考え込んでるっすけど」

「ん、今ある食材の在庫と休憩後の予定をちょっと考えてた。美岬の鍬と釣り針は出来れば今日中に作っておきたいと思ってな」

「鍬はもしあればってぐらいなので急がなくて大丈夫っすよ」

「そうだな。その辺は休憩後に考えるか」

 せっかく少し余裕ができたのだからちょっと身体と頭を休めるとしよう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み