第24話 4日目④おっさんは雨に遭遇する

文字数 3,762文字

「そういえば、漁師が海で嵐に遭遇したらどうするか知ってることってないか?」

 と俺が尋ねれば、美岬は思案しつつ答える。

「……そっすねぇ、漁具や艤装(ぎそう)が落ちないように縛ったり、収納するのは必須として、船が流されないように錨を下ろしたり、水深が深くて錨が使えない場所では波に船首を向けれるようにシーアンカーを流したりって感じっすかね?」

「シーアンカーという言葉は初めて聞くな。どういうものだ?」

「日本語だと海の錨って書いて海錨(かいびょう)とも言うっすけどね、簡単に説明すると海中で開いて抵抗になる小さいパラシュートみたいなもんっす。船って船首方向からの波には強いっすけど、横からの波には弱いんで強い横波食らうと転覆する危険があるんすよね」

「そうだな」

「それで嵐の時は特に船首を常に波が来る方向、風上に向けておかなきゃいけないんすけど、シーアンカーを船首に結んで海中に落としておくと、船が風に流されても海中のシーアンカーが抵抗になって船首を引っ張ってくれるんで常に船首が風上に向くようになるんす」

「あー、なるほど。なんとなくイメージできた。それだけで横波を食らいにくくなるのはいいな。聞いた限り構造も簡単だし、さっそく作ってみるか」

「そっすね。この状況だと絶対あった方がいいと思うっす」

 この筏は動力も舵もなく、ただ潮流に流されているだけなので筏そのものが常に回転しており、さっきまで右側に見えていた太陽が気付いたら正面にあったり後ろに来ていたりしていたりしている。当然、波も全方向から来るので縦揺れ横揺れ斜め揺れと不安定極まりない。
 そして何よりも嵐が近づいている今、横波への対策は急務だ。今はまだうねりも大したこと無いからいいが、このままうねりが大きくなり、筏の横方向からあおられたら転覆する危険は大いにある。

「美岬、シーアンカーのサイズはどれぐらいにしたらいい?」

「んー、あんまり大きすぎるとシーアンカーの抵抗が強すぎて、流されない代わりに船首から波の圧力をもろに受けることになっちゃうっすから、かなり小さくていいと思うっすよ。あたしらの筏は強力なシーアンカーで無理に海域に留まるよりも、適度に流されつつ船首だけは常に風上に向いてるって程度でいいと思うんで、せいぜいハンカチサイズぐらいの傘で十分かなって感じっす」

「そんなに小さくていいのか。とはいえ、材料は何を使うか……ある程度は丈夫じゃないとすぐダメになるよな」

「あ、じゃあ、あたしのジーンズでどうっすか? 七分丈の膝から下を切って、その筒の片方を綴じて袋状にして、パラコードで結べば強度はたぶん十分っすよ」

「いいのか?」

「あたしはガクさんのレギンス使わせてもらってるっすし、筏の上じゃどうせ穿かないっすからいいっすよ。あとで反対側も長さを揃えてハーフパンツにでもするっす」

「そうか。じゃあ遠慮なく使わせてもらおう。美岬も手伝ってくれ」

「あいあいっ」

 美岬のジーンズの右足部分を膝下から切り離し、切り口をそのまま糸と針で縫い合わせて袋状にし、反対側の裾に対角線になるように6つの穴を開け、それぞれの穴に3本の30㌢に切ったパラコードの両端を通して結び、パラコードの交差する場所を3㍍に切ったパラコードで結んで完成だ。
 3㍍のパラコードの端を筏の船首に固定し、シーアンカー本体を水中に投下すれば、水中でシーアンカーが鯉のぼりのように膨らんでその場に留まる一方で筏は風に流され、パラコードがピンと張ったところでシーアンカーが水中から筏を船首方向に引っ張るようになり、期待通りに船首が風上に、うねりの来る方向に向くようになった。結果として、筏の横揺れが無くなって縦揺れだけになったので筏の安定性が抜群に良くなったのが実感できた。何しろこの筏の形状は縦長の二等辺三角形だから横からの揺れは安定が悪かったのだ。本格的に海が荒れてくる前に対策できて良かった。

 シーアンカーを用意している間にも雲がどんどん厚くなり、もう太陽は昇っているはずなのにどの方向かも分からない。少し離れた海上の視界がぼやけているのは雨が降っているからだろう。このあたりももうすぐ降りだすはずだ。

「雨が来る前にちょっと荷物をチェックして、濡らしたくないものはビニール袋にしまっておこう」

「そっすね。といっても食べ物とか乾かした服類なんかはもうビニール袋に小分けしてるっすし、アイスプラントの苗は濡れてもいいっすし、あたしの荷物は濡れちゃ困るものはあんまし無いっすね」

 昨日はよく晴れていたから、午後の蒸留実験をしている間にも汚れていた服を海水で洗って干したり、乾いた服が再び濡れないようにビニール袋に小分けしたりもしたので雨で濡れて困るものはほとんどない。強いて挙げるとすれば──。

 俺は自分の荷物からレインポンチョを取り出して美岬に差し出す。

「これは美岬が着ておくといい」

「え? でもガクさんはいいんすか?」

「俺は下着も含めて速乾素材だからな。雨に濡れるリスクは美岬の方が高いから着ておいてくれ」

「了解っす。ありがとうございます」

 素直にレインポンチョを受け取った美岬がそれを着るとさながら大きなてるてる坊主だ。

「うん。てるてる坊主みたいで可愛いな」

 つい思ったことをそのまま口に出してしまうと、美岬が実に複雑な表情を浮かべる。

「……てるてる坊主って、断じて女子の服装への誉め言葉じゃないっすよね? でも可愛いと言ってもらえて嬉しいチョロい自分が情けないっす」

「まあそう言うな。見た目はともかく、サバイバル時の性能で選ぶならポンチョタイプが一番なんだから」

「そうなんすか? 雨合羽やレインコートはダメなんすか?」

「もちろん一長一短あるけどな。まず、ポンチョはサイズが関係ない。だから本来俺用の大きいサイズでも違和感ないだろ?」

「そういえばそっすね」

「着るのも脱ぐのも簡単だし、リュックとかショルダーバッグとかの荷物を身につけたまま着れて、荷物ごと覆えるのも大きい」

「あー、雨合羽やレインコートだと着たり脱いだりするたびに荷物を下ろさなきゃいけないっすし、荷物は濡れっぱなしになるっすもんね」

「それに通気性が良いから蒸れにくい」

「それは地味に大事っすよね。ずっと降り続いているならともかく、降ったり止んだりの時だと蒸れにくいのはありがたいっす」

「デメリットは風に弱いってところだな。それでも俺はメリットの方が大きいと思うな」

「そっすね。風が強いとめくれ上がっちゃいそうっすけど、その時は身体に巻き付けるなり、安全ピンで留めるなりしておけば大丈夫っすよね?」

「そういうことだな」

「なるほど。うんうん。あたしもポンチョいいと思うっす」

 美岬がいい笑顔でサムズアップしてくる。その時、ついにポツリ、ポツリと大粒の雨粒が当たり始めてきた。

「……ついに降ってきたな。だが俺たちにとっては待ちに待った恵みの雨だ」

「水の補給っすね。どうするっすか?」

「まずは断熱シートを広げて雨を受け止めて、集まった水を大きいコッヘルに貯めていこう」

 俺と美岬がエアーマットレスの船首側と船尾側に別れ、断熱シートの四隅をつまんで広げる。空の大きいコッヘルは俺と美岬のちょうど中間地点にスタンバイさせておく。

 降り始めた雨はあっという間にどしゃ降りになり、俺たちの持つ断熱シートの中央部分に溜まり始める。

「が、ガクさん! そろそろ重くなってきて指先がしんどいっす!」

「おう。じゃあ一度溜まった分をコッヘルに移すぞ。ゆっくりな」

「はいっす!」

 断熱シートの端をコッヘルに近づけ、少し下げれば、中央部分に溜まっていた水が流れてきて端からこぼれ落ち、その下のコッヘルに流れ込む。
 軽くなった断熱シートで再び同じようにして雨水を受け止めて、溜まってきたらコッヘルに移す。このサイクルを3回で2㍑のコッヘルが満杯になった。

「コッヘルが満杯になったから一旦ストップして保存容器に移そう」

 雨水を集める作業を中断して、コッヘルの水を水筒とペットボトルに移していく。2㍑水筒、2㍑ペットボトル、500ccペットボトル2本がいっぱいになり、それでもまだ余った分を美岬と分け合って一気に飲み干す。

「ほわぁ! 塩味のしない水なんて久しぶりっすね! しかもがぶ飲みできるとか嬉しいっす!」

「この状況だと最高の贅沢だな! さあ、雨が止む前に水を集められるだけ集めるぞ。食品用ビニール袋を使えば水のストックを増やせられるから、モヤシにも回せるようになるぞ」

「了解っす!」

 一瞬だけの休憩を挟んで俺と美岬は雨水を集める作業を再開し、雨足が弱まるまでに更に2㍑の水を集めることができたのだった。











【作者コメント】

 アウトドアグッズに含める雨具としてはやはりポンチョがおすすめです。着脱のしやすさ、そして荷物ごと覆えるというメリットはめっちゃ大きいです。
 そして、ボートやカヌーなどの小型船舶で漂流することになってしまった場合のシーアンカーの有用性もぜひ覚えておくといいです。シーアンカーがあれば転覆の危険が下がりますし、流されにくくなるので早期に救助してもらえる可能性がぐっと上がります。錨が使えない深い海でも使えるのは大きいですね。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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