第89話 9日目⑥おっさんは藤蔓と粘土を手に入れた

文字数 3,378文字

 なぜか美岬の最推しであるというスズメウリの愛好協会の副会長職への就任が決まってしまった。まあそれはさておき、この雑木林にはスズメウリなどのマイナーな蔓植物だけでなく、そこそこメジャーな蔓植物もそれなりに自生している。
 とりわけ、特徴的な細長いハート型の葉が対生している蔓は間違えようがない。

「おお、自然薯(じねんじょ)っすね」

「だな。ヤマイモがあるのは嬉しいな。といっても今は時期が悪いが」

「自然薯の収穫期は晩秋っすもんね。……そういえばこの時期の自然薯がどんな状態になってるかは知らないっす。ジャガイモやサツマイモみたいな1年草と違って自然薯は同じ芋が何年もかけて育つんすよね? 今の時期は食べられないんすか?」

「まあ食えるけど痩せててあまり旨くはないってのが答えだな。春から夏にかけて芋に蓄えられたでんぷん質を使って蔓と葉が成長していって、秋に成長が一段落したところで葉で作られたでんぷん質が芋に戻り始めて、晩秋に蔓と葉が枯れる頃に芋が成長しきって冬を越すんだが、今の時期はまだ成長期で芋のでんぷん質を吸い上げて蔓や葉が育っているところだから、芋はかなり細くてパサパサになってるだろうな」

「なるほど。じゃあやっぱり今は掘らない方がいいっすね」

「そうだな。俺もそう思う。本当に食べるものがなくなったら芋が細くても気にせず掘るんだが、今は食べる物は十分にあるんだから勿体ないぞ」

「そっすね。これは秋のお楽しみってことでいいっすね」

「それまでにすり鉢を作っておけばとろろにできるな」

「とろろ! あー、いいっすねぇ。食べたいっす。とろろ以外の用途でも、すり鉢はあると助かるっす。薬研(やげん)替わりに薬草を磨り潰したり、穀物を粉にするのにも使えるっすし」

「確かに。椎の実やジュズダマを粉にするにも本当は石の挽き臼が欲しいところなんだが、挽き臼なんてそう簡単には作れんからな。さしあたってはすり鉢で代用するのが一番現実的だろうな。今回採集した粘土で試しに作ってみるか」

「そういえば、すり鉢の内側のギザギザってどうやって作るんすか?」

「ああ。あのギザギザは『くし目』っていうんだけどな、成型した鉢の内側の粘土を『めかき』という金属製のノコギリの刃みたいな道具で掻き取ることでできるんだ。俺たちがここでやるなら尖らせた木の棒で1本ずつ溝を掘る感じになるかな」

「あ、そうなんすね。色が違うからてっきり後からあのギザギザ……くし目の部分だけ張り付けてるのかなって思ってたっす」

「なるほど。実際は、あの色が違う部分は水分が染み込まないためのコーティングである釉薬(ゆうやく)を塗っているだけだな。釉薬を塗らないで焼いた素焼きだと水分を透過してしまうから調理器具としては不味いからな。ちなみに内側のくし目にもギザギザが埋まらない程度に薄く釉薬は塗ってあるぞ」

「ほーん。でも釉薬なんて箱庭(ここ)で手に入るんすか?」

「もちろん。釉薬の正体は水で溶いた粘土と灰だからな。灰の材料になった植物の種類によって焼き上がりの色が変わるから狙い通りの色が出せるかは知らんが、釉薬としてだけは問題なく準備できるさ」

「へぇ……ほんとに灰って色々なことに使うんすね」



 自然薯に関しては時期が来るまでは見逃すことにしたが、ほどなくして見つけた(ふじ)(かご)の材料として是非とも欲しかったので採集していくことにする。

「蔓植物が色々ある中で、篭の材料としてあえて藤にこだわるのはなんでっすか?」

「藤はよく曲がってなおかつ折れにくいから加工しやすいのと、採集してからすぐに加工できるのと、完成した篭をしばらく乾かせばカチカチに固まってかなり頑丈になるのが主な理由だな。ようは篭の素材として理想的なんだよ」

「なるほど。それでどういう蔓がいいとかはあるんすか?」

「そうだな。木に巻き付いてるやつじゃなくて地面を這ってるやつの方が変な癖がついてないから篭作りには使いやすいな」

「了解っす」

 (くず)ほど成長速度は早くないとはいえ、藤も放っておけばそこかしこに蔓延(はびこ)って際限なく殖える侵略的な植物だ。実際に林の一角が藤に占領されていたので、篭の材料としてかなりまとまった量の蔓を採集することができた。
 採集した蔓は葛の時と同じく、小枝や葉を取り除いてリース状に丸めてリュックに詰めていく。

「ふぃー、けっこうたくさん集めたっすね。ガクさんのリュック、藤蔓でかなりの容量を使っちゃってるっすけど、もしや採りすぎちゃったっすか?」

「いやいやそんなことないぞ。俺にとって今回の探索で篭の材料になる蔓の確保は優先順位高かったからな。正直、もうちょっとあってもいいぐらいだ。篭作りにはかなりの量の蔓が必要になるからこれぐらいならすぐに使い切るしな」

「あー、確かにカゴがあったらいいのになーと思うことはちょくちょくあるっすね」

「だろ? 拠点の床は砂の地面剥き出しだし、まともな収納場所はクーラーボックスだけだから藤篭(とうかご)があればなにかと便利だ」

「同感っす」

 ここ最近で特に不足を実感しているのが容器類だ。アイテムが増えてきたのでそれらを保管しておくための容器が切実に欲しい。
 とりあえず現状では俺が持ち込んだ厚手の食品用ビニール袋が大活躍してくれている。当然、使い捨てではなく何度も再利用しているので今のところロスは出ていないし、未使用品も十分に残ってはいるが、補充ができない以上、ビニール袋はなるべく温存したい。それにビニール袋だと都合が悪いものもある。

 例えば魚や貝やタコや海草を干した乾物は、ビニール袋に入れて密封してしまうと湿気がこもって傷みやすくなる。むしろ篭に入れて吊るしておいた方が乾燥状態が維持されてかえって長持ちする。
 塩や乾燥させた茶葉や穀類やナッツや豆類の保管も、素焼きにした陶器に入れておけば湿気が適度に抜けて良い状態が保たれる。

 あと、単純に用途の問題もある。粘土や腐葉土や木炭などの汚れる物を運搬したり保管するためには俺のリュックや美岬のスポーツバッグよりも藤篭や葛の粗布袋を使う方がいいに決まっている。現状では他に使えるものがないから腐葉土を運ぶのにも使っているが、土を運んだバッグには着替えは入れられないので、バッグから出した着替えは今では拠点内の乾いた砂地の上に直置きしている。ここにもやはり篭が欲しい。

 調理に関係することでも篭があるかないかは大きい。
 アサリの砂抜きだって篭があれば、アサリを篭に入れた状態で海にしばらく沈めておけば勝手に終わるし、生け()として利用することもできる。
 葛の根から葛粉を取り出すのも篭があれば簡単だ。
 土が付いたままの食用の植物を洗って水気を切るにも篭は便利だし、出汁を濾すにも篭があれば楽になる。
 篭があれば今まではできなかった蒸し調理も可能になる。

 アウトドア用の調理器具にもステンレスザルは当然あるし俺も普段から使っていたのに、今回に限って家に忘れて出てきたことをこの状況になって何度後悔したことか。とりあえず調理用のザルの代用になる篭は絶対に欲しい。

「それなら、今回の探索はここで打ち切って拠点に戻ってそのまま篭作りをするのはどうっすかね? 保管庫に使う(うろ)を探すのは別に急ぎでもないっすし、あたしも早くカゴが欲しいっす」

「それもそうだな。よし、そうしよう。時間ももう4時ぐらいになってるし、今回の探索はここまででも十分な成果はあったからな。あとは薪だけ集めて帰るか」

 美岬の提案に乗り、今回の探索はここまでにして戻ることにした。





【作者コメント】
陶器の表面を美しく彩る釉薬(ゆうやく)は水で溶いた粘土と草木灰を混ぜたものですが、なぜ灰で艶やかな色が付くのか不思議ですよね。

そもそも、灰ってなんなんでしょう? 調べてみると、燃焼によって有機物が燃えて残った無機物らしいですね。あのふわふわした灰が実はミネラル類や金属の混ざったものだそうです。

植物の種類によって含有する無機物の種類と割合は変わるので、どの植物の灰を使うかで出来上がりの色が変わります。

作者は石垣島に工房のある荒川焼きがお気に入りですが、サトウキビの灰を使った独特の色合いが素敵です。

ちなみにすり鉢の内側のギザギザ──くし目ですが、今でも一個一個職人さんがめかきを使って手作業で刻んでいるそうですよ。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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