第4話 2日目①おっさんはJKと朝チュン? な関係になる

文字数 3,532文字

 ゆっくりと上下左右に不規則に揺れ動く寝床。寝ぼけた頭は自分がハンモックで寝ていると錯覚させる。しかし、不意にパシャッと冷たい水が顔に飛んできて急激に意識が覚醒する。

「……え?」

 瞼を開くと、目の前に若い女の子の寝顔があって一瞬脳がフリーズした。……が、彼女の向こうに見える夜明け前の星の残る空や、波によって絶え間なく揺れ動くエアーマットレス、さっき顔に飛んできた波飛沫の塩辛さによって昨日の出来事を思い出し、ああ、そうだったと納得する。

 昨日、俺の乗っていたフェリーが沈没して、俺と彼女──美岬(みさき)は俺が持っていたエアーマットレスで漂流する羽目になったのだった。
 できれば夢であってほしかったが残念ながら現実だ。

 昨夜は疲れていたので日が沈んでほどなく、それこそ8時半かそこらで寝てしまったのだが、今はもう周囲がだいぶ明るくなっている。
 腕時計で確認してみれば朝の4時半を回ったあたり。普段なら6時間も寝れば自然に目を覚ますのに、今日はおよそ8時間も熟睡してしまった。よほど疲れていたのだろう。おかげですっかり疲労感も抜けている。

 これがもし、救命浮き輪にしがみついて海に浸かったままでの漂流だったら、海水に体温を奪われて低体温症になり、今頃は極度の疲労で衰弱死していた可能性も高い。いくら夏で水温が高いといっても人間の体温より低ければ熱は奪われる。そのことを考えると、このエアーマットレス上で断熱シートに身を包み、二人で身を寄せあってヌクヌクと熟睡できる状態というのはなかなか贅沢だ。この状況を想定していたわけではないが、キャンプ道具にエアーマットレスを含めた過去の俺を褒めてやりたい。

 首を動かして辺りを見回せば、朝霧が出ていて見通しは悪い。有視界はせいぜい30㍍といったところか。ただ、風もなく、うねりも昨日よりは小さいので、時化(しけ)になる可能性が低そうなのがせめてもの救いだ。こんなちゃちなエアーマットレスの筏で嵐に遭うとか……うん。詰むな。

「ほわっ!?」

 すっとんきょうな声に振り向くと、美岬が目をまん丸にして驚愕の表情を浮かべていた。これはさっきの俺と同じで状況が把握出来てない感じだな。

「おはよう、美岬ちゃん。昨日のこと覚えてるか?」

「えっ? えっ? ほわぁぁあっ!?」

 慌てて起き上がろうとした美岬が勢い余って海面に手を突っ込んで悲鳴を上げる。だが、それでどうやら完全に目が覚めたようだ。

「あ、あー……はい。ちゃんと思い出したっす。取り乱してすいませんっす」

「気にするな。俺もさっき目が覚めたら、目の前に女の子の寝顔があって驚いたからな」

「ちょっとこの距離は心臓に悪いっすね。一瞬、頭が真っ白になったっす」

「それな。特に熟睡してると状況が分からなくてパニクるよな」

 そんな会話をしながらマットレスから体を起こす。断熱シートは簡単に(たた)んでおく。これはまたすぐに出番があるだろうからリュックには戻さない。筏の横に繋いであるリュックは半ば海中に沈んでいる状態なので中に入れたら濡れるし。

「んあぁぁあ……。おにーさん、今って何時っすか?」

 女の子座りで大きく伸びをする美岬。

「朝の4時半過ぎだな」

「マジっすか。普段なら完全に熟睡してる時間っすけどけっこう明るいんすね」

「夏だからな。もし寝足りないならもう少し寝ててもいいぞ?」

「いや、昨日は寝るのがめっちゃ早かったからけっこうスッキリしてるんで起きるっす。それよりも……」

 ぐぅ~ぎゅるぎゅる……と美岬のお腹が盛大に鳴る。

「あうぅ……やっぱメロンパン半分だけだとお腹空くっすねぇ。そのせいか実家でご飯食べてる夢見ちゃったっすよ」

「なんとも分かりやすい夢だなぁ」

「島は本土より稲刈り早いんで、盆前には新米が出始めるんすよ。狭い島なんでせいぜい自家消費分っすけど、うちの実家は米も味噌も醤油も手前で作ってるんで、この時期は忙しいんすよね。……夢の中で父ちゃんとおにーさんが肩組んで酒呑んでて、あたしは炊きたての新米と味噌汁と父ちゃんが捕ってきた鯵の塩焼きに醤油垂らして食べてたっす」

「……おぅ、それはマジで旨そうだな。ってか俺も登場してたのか」

「んー、なんか、無事に生還して二人であたしの実家に行ったって設定だったような気がするっす。夢なんで細部かなり適当っすけど。だから父ちゃんと呑んでたはずのおにーさんが朝起きたら一緒に寝てて超びっくりしたっす。いつの間に朝チュンな関係に!? って感じっす」

「あー、そらびっくりするわな。……ま、安心しろ。俺は絶対に美岬ちゃんに手は出さんから」

「……そ、そっすよね。あたしみたいなデブスに魅力なんか感じないっすよね」

 スンッと目からハイライトを失う美岬の反応に俺は頭を抱えたくなる。

「あーもう、なんでそうなる!? そもそも、そういう外見的な問題じゃないからな? まず、こんな状況で事に及ぶほど俺は馬鹿じゃないし、父娘で通用するほど年下の女の子に手を出すほど飢えてない! 俺にとって美岬ちゃんはあくまで年の離れた妹とか親戚の子的なポジションだから女性としての魅力がどうこういうような対象じゃないし、それに、昨日も言ったけど美岬ちゃんは将来は間違いなく美人になる! ぶっちゃけ今だって特に容姿が劣ってるわけじゃない、というかまぁ俺的にはそこそこ可愛いと思ってるからいちいちネガティブになるんじゃない!」

「ほわっ! お、おにーさん的にはあたしは可愛く見えるんすか!?」

「一緒にいてそれなりに理性を必要とするぐらいには可愛いと思ってる。だから俺に対して自分はブスだとか悲観するな! これ以降はネガティブ禁止! 分かったか?」

「わ、分かったっす!! すいませんでした!」

「よし。じゃあとりあえず今日の分の食糧と飲料水を支給するぞ」

 勢いで強引に話をすり替えて、水筒から400ccの水をコッヘルに出し、200ccの海水と混ぜて今日の分の二人分の飲料水600ccを準備する。容量2㍑の水筒の中身が1.5㍑まで減ったので、ポカリ500ccを水筒に移してペットボトルを1つ空にして、それに飲料水400ccを入れる。残った200ccを小さいコッヘル2つに等分する。

「とりあえず朝の分はこれだけな。一気に飲むんじゃなくて、ちびちび舐めるような感じで摂取すれば無駄なく身体に吸収されるし、喉の渇きに苦しむこともないから」

「分かったっす」

 次いであんパンを2つに割って片方を美岬に渡す。

「今日1日分の食糧だ。消化はかなりエネルギーを消費するから、こいつはちびちび食べるより一度で食べきった方がいいな」

「……これ、あきらかにあたしの方が大きいっすよ?」

「問題ない。十代の体は三十代の体に比べると必要とするカロリーがかなり多いからな。それに生理中は貧血になるから遠慮しないで食っとけ」

「……おにーさんって本当に……いや、なんでもないっす。ありがとうございます」

 美岬の目元が潤んでいることには気付かない振りをしてあんパンにかぶりつく。どこにでもある普通のあんパンなのにこれだけ腹が減っていればむちゃくちゃ旨く感じられる。
 ガツガツと貪りたい衝動を抑えて、一口ずつしっかりと咀嚼(そしゃく)して飲み込む。こうすれば消化吸収にいいので少ない食糧を最大限に吸収できるし、自分の消化に使うエネルギーも節約出来る。
 俺の食べ方を見て、美岬も一口ずつ時間をかけて咀嚼するようになる。

「しっかり噛んで飲み込む方がいいんすね?」

「ああ。固形食と流動食のどちらが消化で胃腸に負担を掛けないかは自明の理だろう? それにゆっくり食べる方が満腹中枢が刺激されて満足感を得られるんだ」

「なるほどっす」

 二人でじっくりと時間をかけてあんパンを食べ終える頃には、辺りはだいぶ明るくなっている。相変わらず霧は濃い。陽が昇ってくればいずれは晴れるだろうが、それまでは周囲の状況は分からない。ただ、飛行機や船の音は聞こえないので近くに救助が来ているとは考えにくい。

 ちなみにあまり期待はしていなかったが俺だけじゃなく美岬のスマホもやはり水没でオシャカになっていた。そもそも携帯電話の電波なんて陸地からせいぜい20~30㎞ぐらいしか届かないからたとえ使えても圏外だろうが。







【作者コメント】
 しゃべると喉乾くので、本当に漂流することになったらなるべくしゃべらない方がいいんですけどね。ただ、物語でそこのリアリティ追求しちゃうと話が進まないんで、そこはそういうものと割り切ってください。
 救助が来る気配もない大海原を漂流する小さな筏の二人はどうなってしまうのか? 気になる方はどうぞ続きへお進みください。あ、その前にいいねボタンをポチッていただけると嬉しいです。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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