第77話 8日目⑤おっさんは野鍛冶で釣り針を作る

文字数 4,551文字

 俺たちの拠点とは反対側の崖下には長い年月の間に崩落した石や岩が積み上がっており、その岩場全体が葛の蔓に覆われて緑色になっている。そして、岩場近くの地面にも葛が蔓延り、近くに自生している木々にも巻き付いている。

「……いやー、こうして見ると本当に葛ってタフっすよねぇ」

「グリーンモンスターとアメリカでは呼ばれてるぐらいだからな」

「この状態なら、採りすぎを心配せずにいくらでも採って良さそうっすね。むしろ周りの木への影響を考えると間引くために伐採するぐらいでちょうどいいかもっすね」

「そうだな。放っておけばいずれは林の方まで葛に覆い尽くされるだろうからな。美岬は絞め殺しイチジクを知っているのか?」

「絞め殺しイチジクっすか? 物騒な名前っすね。聞いたことないっす」

「そうか。熱帯地方のジャングルによく生えてるんだがな、絞め殺しイチジクは別の木に巻き付くようにして成長していって、宿主の梢より上に葉を広げて光を奪い、宿主の幹を締め上げて成長を阻害して、地面の栄養と水を奪って最終的に宿主を枯らしてしまうんだ」

「こっわ! ほんとに絞め殺しちゃうんすね」

「熱帯地方の絞め殺しイチジクの大木の幹の中にはかつての宿主の残骸とか、それが朽ちた後の空洞なんかもよくあるが……葛についても似たような事例は報告されてるみたいだな」

「ああ、それで絞め殺しイチジクの話になったんすね。野生の葛が他の作物や木に与える悪影響は学校でも扱われてるっすからね」

「本当に有用な植物ではあるんだが、現代日本ではほとんど利用されないからただの厄介な雑草なんだよな。まあ俺たちにとってはありがたい存在なんだが」

「今の日本でももっとちゃんと管理して積極的に利用すればいいと思うんすけどね」

「それな。葛粉は高級品なんだから長芋みたいに根の成長をちゃんと管理すればさつま芋で作る片栗粉みたいにもっと手軽になると思うんだけどな。……ま、いいや。とりあえず掘っていこう」

「あいあい。いい葛芋はどういうところにあるんすか?」

「場所というより蔓の状態が大事なんだ。……こんな感じの地面を這ってる蔓は次々に根を下ろしながら伸び進んでいくから、根が分散されて大きい葛芋は出来にくい」

 説明しながら地面を這っている蔓を持ち上げてみれば、プチプチッと蔓の下から地面に伸びはじめていた根が千切れる。

「なるなるっ! 蔓が伸びながら根を下ろすとかそりゃあ広がるはずっすね」

「前進基地を作りながら進軍するようなもんだからな。逆に岩場に這ってる蔓とか、木に巻き付いてる蔓は途中に根が出せないから、大元の根が大きくなりやすいんだ」

「よくわかったっす。途中で根を下ろしにくそうな場所の蔓の根元が狙い目ってわけっすね」

「そういうこと。ただし、根元が岩場だと掘り出すのはほぼ無理だから、土の地面から生えてるやつな。で、さっき加工した蔓はあえてそういう場所から採ってきたやつで、その根本に目印の小枝を挿してあるからそこをまずは掘っていこう」

「了解っす」

 目印の場所には俺が途中で切ってある蔓があるので、その根元をスコップと鍬を使って掘っていく。土の質は拠点近くと同じで砂混じりの脆い土なのでそんなに掘るのは難しくない。
 程なくして太くなった葛芋が見えてきたので、その周りの土を退けるようにして掘っていく。
 横方向に伸びているので露出させることそのものはさほど難しくないのだが、さつま芋やジャガイモのようにサイズがある程度決まっているわけでもない。ぶっちゃけ太くなった根がずっと続いていく感じだ。繊維も多いので芋というより太い(つな)、運動会の綱引き用のアレをイメージすればだいたい合ってる。
 露出させた根の特に太くなっている部分だけを鋸で切り離して取り出したが、サイズは俺の腕一本分ぐらいになった。

「なかなか立派な葛芋っすね」

「そうだな。わりと手頃なサイズだな。これぐらいだと一番使いやすいが、でかいやつだと直径30㌢とかのもあるからな」

「うえ? そんなにでかくなるんすか!?」

「おう。葛芋はほっとけばずっと成長し続けるからな。そこまで成長した葛はもう除草剤を撒いても全然効かんから重機でも使わないと除去できんな。数十年単位で休耕しているような耕作地に葛が蔓延っていたら、もう一度使えるようにするのは相当大変だぞ」

「うーむ。農家からすると厄介極まりない存在っすね」

「敵に回すと恐ろしいな。さあ、せっかくだからあと2、3本ぐらいは掘っていこうか」


 2時間ぐらい芋掘りをして、全部で3本の葛芋と、次の繊維取りのための蔓を4本集めて拠点に戻る。途中で小川で葛芋とスコップと鍬の土を洗い落とし。俺たちも手や顔を洗ってさっぱりした。

 まずは採ってきた葛芋の細めの部分を切り取ってスライスして、干し網に並べて乾燥させていくところから始める。カチカチに乾燥させれば長期保存ができるようになるし、それを煮出した汁が漢方の風邪薬の葛根湯(かっこんとう)になる。
 残りの葛芋からはデンプン──つまり葛粉を取るつもりだが、それは後回しでいいので一旦置いておく。当然の事ながら葛芋は芋として食べることはできない。とにかく繊維が多いので食えたものではないし、そもそも苦くて不味い。葛芋から取り出したデンプンは何度も水に晒して雑味を抜いて、ようやく葛粉として食べれるようになるのだ。

 採ってきた葛の蔓から葉や芽をむしり、大きい葉はトイレットペーパーとしてトイレに運び、小さい葉はお茶用に干し網の空きスペースで干し、芽と蔓の先端の柔らかい部分は食用に取り分けて昨日と同じく木灰をまぶして煮立った湯を注いでそのまま木灰液に漬け込んでアク抜きをしておく。
 大コッヘルで別に木灰液を沸かし、リース状に巻き直した葛の蔓を茹でていくが、この作業は美岬に任せ、俺は懸案事項の釣り針作りに取りかかることにした。

 拠点から針金とペンチと砥石を取ってくる。
 ペンチのニッパー部分で針金を5㌢ぐらいでとりあえず1本切り出す。まずは1個だけ試しに作ってみて、うまくいけば量産する方向だな。

 魚の口に刺さった針が抜けにくくする『返し』が無い針──いわゆるスレ針なら別に試すまでもなく簡単に作れるのは分かっているが、スレ針だとどうしても魚を逃がしやすくなってしまうので、もしできるなら返しのあるちゃんとした釣り針を作りたいのでそのための試作だ。……うまくいかなければ諦めてスレ針を作るとしよう。

 まず、切り出した針金の先端の2㎜程度をペンチで曲げて折り返して密着させる。この先端部分だけを加熱して軟らかくした状態で叩いて伸ばし、尖らせることで返しのついた釣り針の先端を作るというわけだ。

 美岬が葛蔓を茹でているかまどのそばには昨夜ピッチを作るのに使っていた小かまどがそのまま残っているから、そこを火床として使うことにしよう。
 小かまどのそばに金床石とハンマーを持ってきて、小コッヘルに水を満たしておく。

「美岬、ちょっと火をもらうぞ」

「どうぞどうぞっす。てゆーかあたしも興味あるんで見てていいっすか?」

「おう」

 かまどから真っ赤に燃えている熾火をいくつか小かまどに移し、それを扇いでしっかり火力を上げたところで、針金の折り返した先端部分だけを火の中に差し込む。
 針金程度の細い鉄なら20秒も加熱すれば真っ赤になるので、そうなったら金床石とハンマーで先端の赤熱部分を手早く叩いて伸ばす。

──コンコンコンコンコン!

 赤熱するのも早いが冷めるのも早い。ほんの数秒の作業で冷めて硬くなってしまうので、その度に火の中に差して赤熱させてまた叩くのを繰り返す。もうちょっと苦戦するかと思ったが、意外と簡単にほんの5分ぐらいで先端の折り返し部分を密着させながら叩き伸ばすことができた。
 その叩き伸ばした部分から余分な分をペンチのニッパーで切り取っていく。釣り針の返しは2㎜もいらないので、0.5㎜ぐらいに切り詰める。
 そして先端を砥石で磨いで尖らせる。

 先端部分がなんとか形になったので、針金の反対側の端をペンチで曲げて小さな環にして糸を結べるようにする。
 それから先端部分を『返し』を内側にしてカーブさせていき『J』の形のフックにする。形のイメージはワームフックだな。

 一応、形だけは釣り針になったが、このままではまだ使えない。これは現状ではまだ釣り針の形をした、手で曲げられるぐらい軟らかい針金でしかないから、魚が暴れたら針が変形してあっさり逃げられるだろう。そうならない為にも焼き入れをしてしっかり硬くする必要がある。

 火床の熾火の上に成形した釣り針を置き、風を送って火力を上げ、少し待てば釣り針全体が赤熱してくる。あまりやりすぎると熔けてしまうので、一旦これぐらいにしておこう。
 熱への対策の為に革手袋を填めた左手で握ったペンチで火の中から釣り針を拾い上げ、金床石の上でハンマーでコンコンと軽く叩いて鍛える。今度は変形するほど強く叩く必要はない。
 この赤熱状態で叩くことで、鉄の組織を圧着させて硬さと粘り強さが生まれるのだ。

「なんのために叩くんすか?」

「品質を均一にするのと、鉄は少し延ばすと強度が上がるからそのためだな」
 
 何回か叩くと冷めてしまうので、その度に火の中に戻して再加熱しては満遍なく叩いていく。全体的に均等に叩き終えてから、もう一度しっかりと再加熱して真っ赤になっている釣り針をそのまま小コッヘルに満たした水に落とす。

──ジュッ

 冷めた釣り針の硬さをチェックするために指で曲がるか試してみるが、もう指の力では曲がらない。強度としては十分だろう。

「最後に熱してから水に落としたのはなんでっすか?」

「これは焼き入れという作業でな、高温に熱したまま急激に冷ますことで鉄の組成が変化して軟らかい鉄が硬くて曲がらない鉄に変わるんだ。ただ、このままだと硬すぎて折れやすくなるから、少しだけ軟らかく戻す『焼きならし』もついでにやっとくかな」

 釣り針を再び火の上に置き、赤みがかってくるまで加熱してから火から下ろし、後は自然に冷めるのを待つ。これが焼きならしだ。
 そして自然に冷めて硬さと弾力を兼ね備えた釣り針の先端を砥石でもう一度研ぎなおせば、返し付きの釣り針の完成だ。

「以上。……ちゃんとした鍛冶の工程だと他にもたくさんやることはあるんだが、今作ってるのはあくまで消耗品の釣り針だし、材料も細い針金だからこの程度で十分だろ。葛蔓を茹で終わったらテストも兼ねて釣りに行こうか」






【作者コメント】

通常の鍛冶では焼き入れの後に『焼き戻し』という工程を入れます。水で一気に冷ました焼き入れ直後の鉄は内部の状態にムラがあり、強い部分と弱い部分が混ざっています。『焼き戻し』とは、焼き入れよりも低めの火力でじっくりと加熱し、その後180℃ぐらいの油にしばらく漬け込むことで、強度の偏りをなくし、品質を均等化させて安定させる工程です。ただ、釣り針のような細い針金で作ったものは加熱時も冷却時もほぼ均等に熱が通り、焼き入れによる強度の偏りは無視できるレベルなので焼き戻しは必要ありません。何度か加熱と冷却を繰り返しながら硬度と弾力を調整しつつ、最後は自然に冷ます焼きならしだけで十分です。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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