第55話 6日目⑪おっさんはお洒落な料理を作る

文字数 4,348文字


 かまどの火が安定してくるとあまり煙が出なくなり、熱量が上がってくるので料理に使いやすくなってくる。

「ガクさん、こっちの火はそろそろいい感じっすよ」

「おっけ。じゃあ先に美岬が穀を外してくれたジュズダマを煮てもらおうか。この大きいコッヘルを空けるから」

 俺は大きいコッヘルから赤貝、カサガイ、カメノテ、アサリをまな板の上に出し、残った海水と小石をそのへんにひっくり返して空けた。かなりの砂も混じっていたので、アサリの砂抜きは十分だと判断する。
 
 この一番大きいコッヘルの直径は18㌢でかまどの火口の直径が20㌢なのでこのままでは火にかけられない。だがこのコッヘルにはバケツの取っ手のような吊り下げ用のハンドルがあるので、かまどの火口の直径よりも長い棒を吊り下げ用のハンドルに通して火口を跨ぐようにして引っ掛けて吊り下げればいい。

 美岬が殻を剥いてくれたジュズダマの麦粒はざっと2合分ぐらいはありそうだが、そのうちの1合分ぐらいを水から煮始める。ジュズダマは米のように炊くよりも煮た方がいい。

「これってどれぐらい煮たらいいんすか?」

「そうだな。とりあえず沸騰させて10分ぐらいでちょっと味見してみて柔らかく煮えてたらそれでいいぞ。もし煮過ぎてもこれはそんなに煮崩れしないから気楽にやってくれ」

「了解っす」

 美岬に煮炊きは任せて俺は赤貝とカサガイを捌いていくことにする。こいつらは刺身だな。

 まずは簡単なカサガイからだ。カサガイ──漢字では笠貝だが、昔の浮世絵に描かれている旅人が被っている笠のような形の殻を持つ巻き貝の仲間で、港の岸壁やテトラにもよく張り付いているのでお馴染みの貝だ。ちなみに今回採ってきたのは殻長10㌢ぐらいの大物2個だ。

 巻き貝といっても殻は巻いていないので、ちょっと力を込めれば素手でも身を殻から引き剥がすことができる。そのようにして引き剥がした身の背の部分、ちょうど殻の裏にあたる部分に楕円形の黒っぽい内臓が姿を見せる。
 この内臓を破ってしまわないように気を付けながら、ナイフの刃を内臓と身の境界に入れ、そこから丁寧に剥がすようにして身と内臓を分離していく。ある程度外れてきたら、頭部にV字に切り込みを入れて口と神経系と一緒に内臓を一気に取り除く。もう1個のカサガイも同様に処理する。

 残った腹足(ふくそく)の身の部分が生食可能部位となるので、新たに汲んできた綺麗な海水で残った汚れを洗い落として薄くスライスして牡蠣の皿に並べていく。やや黄色みがかったクリーム色の綺麗な身だ。

 カサガイの刺身を盛り付け終わったところに美岬からお呼びがかかる。

「ガクさん、ジュズダマがだいぶ柔らかくなったっすけどこれぐらいでいいっすか?」

「んー、どれどれ……うん、こんなもんだな。じゃ、これは一旦小さいコッヘルに取り分けておいて、この大きいコッヘルでは次にカメノテを茹でて出汁(だし)取りをしてもらおうか。昨日、俺がやってたけど分かるか?」

「えっと、茹でながら灰汁(あく)取りをして、茹で上がったカメノテの殻を剥いて身を出汁(だし)に戻すんすよね?」

「そうそう。やれそうだな」

「やってみるっす」

 ふんす、とやる気をみせる美岬にカメノテの塊を渡して、俺は次に赤貝の処理に取りかかる。
 殻の蝶番(ちょうつがい)をナイフで切って殻を少し開き、その隙間からナイフを差し入れて貝柱を切ればあっさりと殻が外れる。4個ある赤貝を全部同じように処理して剥き身にするが、この時点でまな板の上は血まみれの大惨事だ。

「ちょ、ガクさん! 手を切っちゃったんすか!? 血だらけじゃないっすか!」

「あー、これは俺の血じゃなくて赤貝の血だから気にするな。これが赤貝の名前の由来でな、人間と同じで赤貝の血にはヘモグロビンが含まれているからこの通り捌くと真っ赤になるんだよ」

 赤貝の剥き身をさっと洗い、まな板にも水を掛けて綺麗にしてから作業を再開する。
 まずは外套膜(がいとうまく)いわゆる貝ヒモを切り離す。これはこのまま食べられるのでそのまま牡蠣の皿に盛り付ける。
 次いで身と内臓を分離する。寿司ネタとして使うのはこの身の方で、真ん中から開いて握り寿司にしたら最高だが、残念ながら酢飯が無いので刺身にして盛り付ける。
 4個分の赤貝の刺身を盛り付け終わり、仕上げにカイワレを添えて牡蠣の皿2枚それぞれにクリーム色のカサガイと朱色の赤貝の刺身の2種盛りの完成だ。なんとか完全に暗くなる前に終わったな。

 美岬は今まさに下茹でをしたカメノテの殻を剥くのに一生懸命になっているので、刺身の盛り合わせを皿ごと一旦クーラーボックス内に仕舞い、汚れたまな板とクーラーボックスの外装を洗って綺麗にしてから美岬の応援に回る。
 二人でカメノテの殻を剥き終えて、身を出汁に戻し、そこにさらに刺身を取って残った赤貝の内臓部分と殻付きのアサリを投入し、鍋を再び火に掛けて加熱していく。ちなみにカサガイの除去した部分は食べずに捨てる。
 鍋が煮立ってくると、次々にアサリの殻が開いていき、出汁が白っぽく濁り始め、大量の灰汁が浮いてくるのでそれを丁寧に掬っていく。

 灰汁があまり出なくなったところで一度味見してみれば、カメノテとアサリと赤貝の出汁が混ざった濃厚な旨みのスープになっていたが、塩味が薄いので海水で味を調整し、先程茹でて取り分けてあったジュズダマを投入してさらに煮る。
 やや煮崩れしはじめたジュズダマから溶けだしたデンプンの影響で少しとろみのついたスープを火から外し、細かく刻んだハマボウフウを仕上げに薬味として散らして完成だ。

「わぁー! これは美味しそうっすねぇ! 何ていう料理っすか?」

「料理名はないぞ。うーん、そうだなー『ハトムギの海鮮リゾット。ハマボウフウ仕立て』とでもしておくか?」

「おぉ、いいっすね! いかにもお洒落な海辺のレストランで出てきそうな名前っす。もう食べれるんすか?」

「おう。だいぶ暗くなってきたから灯りのためにちょっと火勢だけ強めてから食べようか」

 すっかり熾火(おきび)になっているかまどに小枝を何本か入れて再び炎を燃え上がらせ、太めの薪もくべてしばらく燃え続けるようにする。
 かまどからのオレンジ色の火灯りで照らされる場所にテーブルがわりのクーラーボックスを移動させ、中から貝の刺身の盛り合わせを取り出して上に並べる。
 熱い鍋を直接置くことはできないから、平べったい小石を何個か並べて鍋敷きの代わりにして、リゾットの入った大きいコッヘルをクーラーボックスの真ん中に置く。

「リゾットを掬うお玉が欲しいっすね」

「ああ。ちょっと即席で作るからちょっと待て」

 昼に食べたハマグリの殻と適度な太さの小枝を1本。小枝にナイフで切り込みを入れ、ハマグリの殻の蝶番があったあたりを挟み、麻紐で締めて固定して即席のお玉を作る。長くは使えないだろうが今夜使う分としては十分だろう。

 牡蠣の皿は全部で4枚ある。2枚は刺身に使っているので、残る2枚にリゾットをよそう。あまり多くは入らないが、鍋はここにあるのでこまめにおかわりすればいい。
 刺身にちょっとずつ醤油をかければ食事の支度が整う。

「それじゃ、食べるか」

「わぁい! いただきまーす!」

 両手を合わせた美岬が一瞬悩む素振りを見せ、まずは赤貝の貝ヒモに箸を伸ばす。箸先からぷらんと垂れ下がる貝ヒモが落ちないように下に左手を添えながら急いで口に運び、次の瞬間目を見開く。

「んんーっ!! おいひぃ!」

「赤貝の貝ヒモは旨みも濃くてぐりぐりとした食感がたまらんよな」

「…………っ!」

 口をもぐもぐ動かしながら無言で何度も頷く美岬。貝の刺身はなんといっても鮮度が大事だからな。回転寿司の貝は冷凍品の解凍だが、これはついさっきまで活きていたやつだ。そりゃあ旨かろう。

 俺はリゾットから口をつける。赤貝の内臓はおまけみたいなものだが、アサリとカメノテの出汁がしっかり利いてて実に旨い。香味のために最後に入れた刻みハマボウフウもいいアクセントになっていて、疲れきった身体に染み入るようだ。

「…………あー、旨え」

 開いたアサリの殻を箸で摘まみ、中の身をちゅるっと吸い出す。いちいち面倒ではあるが、まあこれが貝の醍醐味でもある。だが次回は剥き身にしてみようとも思う。

 そろそろ醤油の残りが心許なくなってきたから、貝出汁を煮詰めた旨味たっぷりの濃厚スープで醤油|嵩増(かさま)して出汁醤油にしておくのもありだな。そんなことを考えながらジュズダマも食べてみる。
 長く煮たので表面はだいぶ溶けているが、噛むと芯はまだしっかりしている。米のような粘りけのある食感ではなく、ぱさっとした感じはやはり麦に近い。噛み締めるほどに出てくる甘みの感じは米っぽいが。

 美岬は、と見ればちょうどカサガイの刺身を口に入れたところだった。

「……ほわぁ。同じ貝の刺身でも食感も味も全然違うんすねぇ。赤貝は柔らかくて甘かったっすけど、こっちはすごくしっかりした歯応えがあって磯の味も強いっす。カイワレと一緒に食べると最高っすね!」

「そうだな。そもそも二枚貝と巻き貝って全然違う生き物だからなー。正直なところ同じ貝という括りにすることに俺は違和感を感じるぞ」

「言われてみればそっすよね。このカサガイが巻き貝っていうのもちょっと無理があるとは思うっすけどね」

「それな。カサガイとかアワビとかトコブシなんかは一枚貝という別のカテゴリーでもいいような気はするよな。ただそれを言いはじめるとキリがないし、生態や味の系統はやっぱり巻き貝だから今の分類に落ち着いてるんだろうな」

「ふむふむ。あ、お刺身だけじゃなくてリゾットも食べなきゃ。…………おぉ、これはホッとする味っすねぇ」

「貝で出汁を取るならやっぱり二枚貝の方が旨いんだよなぁ」

「お昼のハマグリやムール貝も美味しかったですもんね。……あー、ハマボウフウを香味付けに使ってるのもいいっすねぇ」

「昨日は茹でて和え物にしたがやっぱりちょっと癖が強かったからな。こうしてちょっとだけ使う方が今の時期のハマボウフウには良いと思ってな」

「昨日の和え物もあれはあれで美味しかったっすけど、確かに今日の方が自己主張が強すぎなくてバランスが取れてる感じっすねぇ。……あ、ジュズダマも美味しい。なるほど、こんな味なんすね。お米とは違うっすけどこれはけっこう好きな味っす」

「そうか。それは良かった。殻剥きが面倒臭いけどな」

「うーん、確かに。銀杏を小さくしたような感じっすもんね。労力の割りに取れる量少ないですし。なんとか良い方法ないっすかね?」

「んー、そうだなー。……すぐには思いつかんからそれはまた考えてみる。リゾットおかわりは?」

「欲しいっす!」

 そんなこんなで和やかに食事の時間は流れていくのだった。



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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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