第29話 4日目⑨おっさんはヒーローマントを纏う

文字数 4,690文字

 台風はカルデラの南側から近づいてきているようなので、大きくなってきた波やうねりがカルデラの南側の外縁山に絶え間なく打ち寄せている。俺たちが入ってきた夫婦岩の間の礁門から流れ込んでくる水量も勢いも増しているようだ。正直、今の水の勢いだと俺たちが無事にカルデラ内に入れたとは思えない。今俺たちが無事にこの場所に居れるのはタイミングが良かったんだな、とつくづく実感する。

 このカルデラを時計に例えれば、夫婦岩は6時にあり、そこから流れ込んできた水流は文字盤の数字に沿って時計回りに流れていき、2時の位置にあるもう一つの礁門からある程度流れ出し、残りの水流は勢いを落としつつ時計回りに回って最終的に6時から流れ込む水流に合流することになる。円の外側を水が回っているので円の中心付近は比較的穏やかだ。

 俺たちの筏は礁門からカルデラ内に入ってすぐに水流から円の中心に向けてはじき出され、そこでシーアンカーが暗礁に引っ掛かってそのまま停泊する流れになったが、位置的には5時と6時の間の文字盤の数字よりもやや内側ということになる。

 そしてこの場所は水流がぶつかり合うところなので小さく渦巻いており、礁門から流れ込んできた漂流物が一時的に留まる場所でもあるようだ。流木の欠片や発泡スチロール片なんかが波間に揺れているのが見えているが、俺と美岬は現在、そんな漂流物から使えそうな物を拾い集めている。すでに2㍍ぐらいの竹の棒を1本と俺の腕ぐらいの太さの1㍍ぐらいの流木を1本回収できている。

「お、ガクさん、またなんか流れてきたっすよ。……んー、これは漁網のフロートっすね。どうするっすか?」

「とりあえず回収してみよか」

「らじゃっ!」

 美岬が糸を外して代わりに針金のフックを先端に付けた釣竿でオレンジ色のフロートを筏に引き寄せて拾い上げる。

「ほい。特には破損してないっすね」

 美岬に手渡されたそれはロープを通せるように中空構造になったラグビーボールみたいな形をしていて、サイズは夏ミカンぐらいのプラスチック製だ。用途はすぐには思い付かないがとりあえずしまっておこう。俺はフロートを自分のリュックに入れた。

「次はなんか板らしきものが近づいてきたっすね」

「あ、それは(オール)の材料に使えそうだから拾ってくれ」

「いえっさ」

 美岬に回収してもらった板状の流木は長さ30㌢ぐらいの楕円形で厚さは3㌢ぐらいの丈夫な一枚板だった。これなら柄を付ければ良いオールになりそうだ。ただ流されるだけではなく、筏の方向転換をしたり進みたい方向に向けて漕いで移動できるようにオールはやっぱり必要だ。今日の朝だって暗礁帯を抜けるにあたってもしオールがあったらどれだけ楽だったか計り知れない。

「美岬、俺はこのままちょっと工作するから引き続き回収頼むな?」

「了解っす」

 漂流物の回収は美岬に任せ、ようやく手に入った板をオールに加工していくことにする。
 まずはさっき拾った竹を鋸で切って1㍍ぐらいにした。この竹の棒を柄にする。そして板と繋げる方法だが、板の端を削って棒状に加工して竹の筒の中に差し込むスタイルにしようと思う。
 鋸を使って板を杓子状の大まかな形に切り落とし、ナイフで削って棒つきキャンディみたいな形に整えていく。整形した棒を竹の筒に差し込み、回ったり抜けたりしないように針金を使って固定してオールが1本完成する。

「出来たぞー」

「おー! これは良い感じっすね」

 美岬がぱちぱちと拍手してくれる。

「同じようなのをもう1本作りたいけどなー。そっちに何か良さげなのはないか?」

「こんなんどうっすか? ちょっとさっきのより小さいっすけど一応オールに使えるかな、と拾っておいたんすけど」

 そう言いながら美岬が自分の近くに積み上がっている流木の中からさっきよりも一回り小さい似たような形のものを抜き出す。

「いいな。じゃあそれを使ってもう1本作るな」

「はーい。よろしくっす」

 美岬から受け取った板を同じように加工してもう1本のオールが完成した頃には潮がかなり満ちてきていて、礁門だけでなく水中に没した外縁山の岩の間からも波がカルデラ内に流れこむようになりつつあった。カルデラ内の潮の流れも複雑化し、さっきまでのように筏の周辺に漂流物が集まるということもなくなり、波も高くなってきて筏の揺れも大きくなっている。

 美岬が拾い集めた流木は束にして麻紐で縛り、筏の舳先に縛って固定している。錨綱のおかげで常に船首を波に向けることが出来ているので、この流木の束は正面からくる波避けというわけだ。

 オールは必要になったらすぐに使えるように縛ってはいないが、流れていかないように長めにとった麻紐を柄に結び、筏に繋げてある。 
 コッヘルやシングルバーナーといった調理器具類も全部リュックに仕舞ってある。
 雨への対策としては、美岬はポンチョを着ており、俺は断熱シートをマントにしている。子供の頃に風呂敷でやったヒーローごっこを彷彿させる見た目だがこれはこれで実用性は悪くない。手足は濡れるが体が濡れないだけでも十分ありがたい。
 落水への対策として、朝の時点ではそれぞれの荷物と足をパラコードで繋ぐだけだったが、これから夜に向かい別行動をしなくなることから、俺と美岬も腰のところでお互いをパラコードで繋いである。
 今の時間は夕方の5時。陽はまだ高いはずだが分厚い雲に空が覆われているのでかなり薄暗い。風も強くなりつつある。雨は降ったり止んだりを繰り返しているが、そろそろ雨の割合の方が多くなってきているのがわかる。このままいけば明日は大嵐だろう。

──バラッ……バラバラ……

 遠くから聞こえてくるこれは雷の音か?

「なんか聞こえるっすね?」

「そうだな。遠雷か?」

──バラバラバラ……バラバラ……

 だんだん近づいてきて明瞭になってきた規則正しいローター音に同時にその正体を悟る。

「ガクさんっ! この音!」
 
「ヘリコプターだ!」

 まだ遠いが雲の下をこちらに向かって飛んでくるヘリコプターの前照灯の光がはっきりと見えた。だが、この薄暗い海にいる俺たちはこのままではきっと気づいてもらえない。俺たちの存在をアピールしなければ。

 俺はすぐにリュックをあさって美岬にLEDライトを渡す。

「美岬、ライトをヘリに向けてアピールしてくれ! 俺はもっと明るい松明(たいまつ)を準備するから」

「了解っす」

 美岬がライトでヘリコプターに合図を送っている間に、俺は松明を用意する。美岬が漂流物を引き寄せるのに使っていた釣竿の先端にはまだ針金のフックがそのまま付いている。プランクトン採取器に使った靴下のもう片方をリュックから出して釣竿の先端に針金フックを利用してしっかりと括り付ける。

「ガクさん、ダメっす! 全然気づいてもらえないっす!」

「諦めるな! ちょっとでもこっちに違和感を感じてもらえばいい! こっちももうすぐできる!」

 シングルバーナーやオイルライター用の予備燃料であるホワイトガソリンを釣竿の先端の靴下にたっぷり染み込ませる。

「よし、準備できたぞ!」

 周囲に燃え移らないように気を付けて、筏から海の上に出した燃料のたっぷり染み込んだ靴下にライターで火を着ける。

──ボワッ!

 オレンジ色の巨大な炎が一瞬で燃え上がる。俺は竿の根元を持って大きくゆっくり振ってヘリコプターに合図を送った。
 さすがにこれだけ大きな炎は上空からもよく見えたようで、通り過ぎていきそうだったヘリコプターは速度を落とし、高度を下げてこちらに近づいてきた。旋回した時に見えた胴体にはDoctor-Heliの文字。

「ドクターヘリっすか?」

「だな。……残念ながら今は助けてもらえそうにないな」

「ええ!? 助けてもらえないんすか?」

「ドクターヘリはあくまで空を飛べる救急車だからな。海上から遭難者を救助するための装置も無ければそれができる訓練を受けた人間も乗ってない。それにおそらく離島か船からの救急搬送中だろうからここにも長くは留まれないはずだ」

「そんなぁ」

「大丈夫だ。あのヘリが今頃はこの場所の正確な位置情報を報告してくれているはずだ。今までの俺たちはフェリーが沈没してから安否不明の行方不明だったが、ここにいるということさえ分かってもらえれば、俺たちを助ける能力がある自衛隊や海上保安庁が来てくれるはずだ」

「あ、そっか。ならもうちょっと待ってれば助けてもらえるっすね」

「そういうことだ」

 とはいえ、これからさらに空と海が荒れることを考えると、早々すぐには救援は出してはもらえないと思う。もうちょっと待つというのはおそらく美岬の思ってるよりは長くなるだろうが、今はあえてそれを言う必要はないだろう。

 近づいてきたドクターヘリは低空で俺たちのそばでホバリングしていたが、今の彼らにできることは俺たちの無事を報告して、救助の手配をするぐらいだ。
 それでも要救助者である俺たちをこのまま嵐の海に置いたまま立ち去るにも葛藤があるようでパイロットと医者が何やらやり取りをしているのが分かる。

「美岬、ヘリにハンドサインを送るぞ。ピースサインの人差し指と中指をクロスさせてヘリに見えるように」

「グッドラックっすね?」

「知ってたか。俺たちをここに残していくことに彼らが後ろ髪を引かれないようにな」

 俺と美岬のグッドラックサインは正しく伝わったようで、ヘリのパイロットたちもグッドラックサインを返して高度を上げ、北西の方向に飛び去って行った。

 さて、救助してもらえるまでどれぐらいかかるだろう。今より風が強くなるとさすがに自衛隊の救難ヘリでも飛べなくなると思うんだよな。救難飛行艇の離着水にはこのカルデラは狭すぎるし。
 最悪、あと2日ぐらいはここで辛抱することになるかもしれんな。

 美岬の予想通り、夕方6時過ぎが満潮のピークだった。外縁山はほとんど水没し、カルデラ内にもうねりがどんどん入っていて大荒れになった。
 小さな筏は上がったり下がったりとさんざん翻弄されたものの、なんとか転覆もせずに乗り切れた。水中に没しているとはいえ外縁山の暗礁が消波ブロックの役割を果たしてくれたのと、夫婦岩の風裏にいたので真正面からのうねりから守られていたのが大きいだろう。
 満潮のピークを過ぎ、再び潮が引くにつれ、水中に没していた外縁山の岩が次第に姿を現して外洋とカルデラ内を仕切り始め、それに伴ってカルデラ内の波も穏やかになっていき、日付が変わる頃に俺と美岬はようやく一息つくことができた。とはいえ、比較的穏やかなのはカルデラ内の波だけで、思っていたよりも台風の足が速いのか、風と雨はすでに横殴りの嵐になっており、俺と美岬は全身びしょ濡れになりながら、身を寄せあってただ耐えるのだった。







【作者コメント】

 アウトドアで使う燃料も色々ありますが、それぞれの特性を理解して使い分けるのが大事ですね。
 ガソリン、アルコールは気化しやすいのですぐに火が着きますが引火もしやすいです。
 アルコールの炎は無臭でススが出ないので料理向きですが、目立たない青い炎なので灯りには不向き。
 灯油は安定していて引火しにくく炎も明るいですが、石油臭がすごいのでランプ向き。
 ガソリンを使うバーナーは、気化しやすい特性を生かして液体燃料をそのまま燃やすのではなく、気化ガスを燃やすことで石油臭を抑えて料理に使いやすくしています。液体ガソリンに直接火を着けると爆発的に燃え上がるので、作中で岳人がしたように緊急時に手っとり早く相手に合図を送りたい時でもなければ非常に危険なのでやめましょう。
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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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