第17話 3日目⑥おっさんはJKに蒸留酒の密造の仕方を教える

文字数 3,455文字

 時刻は昼を回り、昼の分の飲料水を二人で分け合ってチビチビと飲む。しかし、喉の乾きが辛くなってきた。

「食べれないことより飲めない方が辛いっすね」

 空のコッヘルを恨めしそうに見ながら美岬がつぶやく。

「そうだな。コッヘルは夕方までは使わないからちょっと蒸留実験をしてみるか。美岬ちゃん、ペンケースを見せてくれ」

「……? 了解っす」

 がさごそとスポーツバッグを漁った美岬が大きめのペンケースを取り出す。昨日はペンケースの中身まではチェックしなかったが、中は女子高生らしく色とりどりのペンや消しゴム、修正テープやテープ糊や定規、コンパス、カッターナイフなどが入っている。

「おお、なんだよ、中身チェックしてなかったけど宝の山じゃないか」

「え? そっすか?」

「工作に使えるカッターや定規やコンパスはありがたいな。だが、今はボールペンのペン軸だ」

「ペン軸?」

「欲しいのはストローみたいな細い筒だ。ボールペンなら先と後ろの部品を外してインク芯を抜いたら筒状になるだろ」

「はあ、そっすね」

「あとはエチケット袋と食品用ビニール袋が一枚ずつあればいい。エチケット袋を一枚くれ」

 美岬から受け取った黒いエチケット袋の1/4ぐらいまで海水を入れ、袋の口に差し込んだボールペンの軸の端を隙間が出来ないように麻紐で結び、袋の中に息を吹き込んで軽く膨らませる。
 そしてペン軸の反対側を何も入っていない食品用の透明なビニール袋に差し込んで、こっちも隙間が出来ないように麻紐で結んで完成だ。片方は海水と空気の入った黒いビニール袋、もう片方は何も入っていない透明なビニール袋でボールペンの軸が二つを繋いでいる状態だ。

「これで水の蒸留ができるんすかぁ?」

 美岬が疑わし気な半眼で簡易蒸留器を見る。

「……おう、たぶんな。かなり簡易版ではあるが……いけるはずだ。……とりあえず実験ということでまずは1つやってみよう」

 そう言いながら簡易蒸留器を日当たりのいい場所に置き、黒い袋の方はそのままで、ペン軸で繋がっている透明なビニール袋の方は海水を半分ぐらい入れた大コッヘルに入れ、蓋を被せて影になるようにする。


 そのまましばらく待っていると直射日光を浴びている黒い袋がだんだん膨らんできてパンパンになってくる。
 影に入れてある透明な袋の方をチェックしてみれば、黒い袋からの湿った温かい空気が流れ込んできて少し膨らんでいるものの、袋が浸かっている海水に冷やされて空気中の水分が凝結し、袋の内側に水滴となって溜まり始めている。

「ほれ。なんとかうまくいってるだろ?」

「はー、こんな簡単な方法で真水が作れるんすねぇ。どうなってるんすか?」

「水の循環サイクルは中学校ぐらいで習っただろ?」

「んー、海水が太陽熱で熱せられて蒸発して雲になって、冷やされて凝結した水分が雨になって陸に降って、地中で濾過された雨水が川になって海に戻るってやつですか?」

「100点満点」

「わーい! 先生あざーす!」

「まあその水の循環サイクルの太陽熱での蒸発と冷却による凝結の過程をここで再現してるわけだな」

「なるほど、なんとなく分かったっす」

「暑い日の冷たい飲み物を入れたグラスに付く水滴、鍋の蓋の内側に付く水滴なんかも原理としては同じだな」

「うーん、じゃあ、先が尖ってるタジン鍋の先っぽに穴を開けてそこからホースというか管を出せば効率的に水蒸気を集められそうっすね」

「おう、まさにそのまんまの形の蒸留器があるぞ。モルトウイスキーなんかの単式蒸留に使うポットスチルがそれだ」

「おおうマジすか。ってゆーか、おにーさんって酒作りの知識まであるんすか?」

「いや、これは必要に迫られてというか、例のパンデミックの時に消毒液が手に入りにくくなっただろ?」

「あったっすねー。転売ヤーとかマジ死ねって感じだったっす」

 美岬がそこはかとなく黒いオーラをまとっているのは気付かない振りをする。

「……まあそれで家にある酒を蒸留して高濃度アルコールを作れんかな、と色々勉強と実験した結果だな」

「出来たんすか?」

「まあ作るのは簡単だな。酒税法とかアルコール事業法とかに引っ掛かるから法的に問題があるだけで」

「ちなみにどうやるんすか?」

「圧力鍋の蓋の蒸気の出る部分に耐熱のシリコン製のホースを付けて、そのホースを途中で氷水に潜らせて冷却して、ホースの出口にガラス瓶を置いておく。あとは圧力鍋にアルコール飲料を入れて弱火にかければ、水よりアルコールが先に沸騰するからまず濃いアルコール液が蒸留できるって感じだな」

「なるほど。それって別に圧力鍋じゃなきゃダメってわけじゃないっすよね?」

「そうだな。とにかく蒸気さえうまく回収できればいいから、例えば細口のケトルの口にホースを繋いでもいけるな。ただ家にある道具では圧力鍋が一番ロスがなかったけどな」

「勉強になったっす。もしまた消毒液が足りなくなったらあたしもそうやって作るっす」

「ちなみに、ちゃんと酒税法とアルコール事業法に引っ掛からない方法もあるからな。
酒税法的には飲める高濃度アルコールを作ることに問題があって、アルコール事業法的には90度以上の超高濃度アルコールを作ることに問題がある。だから飲用に適さない90度未満のアルコールなら自分で蒸留しても法的に問題ないんだ」

「でも、飲めないアルコール……メタノールは毒っすよね? エタノールなら飲めるっすし、トンチっすか?」

「例えばだが……カフェオレに寿司酢とか入れられたら飲みたいと思うか?」

「おぇ、想像したくもないっすね。でもそういうことっすか」

「そう。人体には無害だが飲用に適さない添加物を混ぜたアルコール飲料を原料にした高濃度アルコールは酒税法的には問題なくなるんだ。だから市販の消毒用のアルコールには基本的にクエン酸なんかの添加物が加えられている。あと、単式蒸留という方法はどうしても少し水がアルコールに混ざるから、普通にアルコール飲料を蒸留しただけなら90度以上のアルコールにはならないからアルコール事業法的にも問題ない。
やったら不味いのは、一度蒸留してできたアルコールをもう一度蒸留して度数を高めることだ」

「なるほど。おにーさんと一緒にいると勉強になるっす」

「ちょっと難しい話もしてしまったが、蒸留はサバイバルへの応用が利きやすいから知っておいた方がいい知識だからな」

「確かに。濃いアルコールは消毒以外にも燃料とか食べ物の保存とか色々使えるっすもんね」

「そのとおり。あと、海水から水分だけを抜いて蒸留水を作れるってことは、どういう応用もできると思う?」

「え? えーと、塩水から水分を抜くってことは……塩を作れる?」

「まあそれも一面ではあるが、海水をそのままでは飲めないものとして考えてみたらどうだ?」

「……はっ! 例えば汚染されてる泥水とかからも飲める水を作れるってことっすか?」

「大正解! それこそ岩場に貯まった雨水なんかは真水ではあるが、染み出した鉱毒、鳥のふん、虫の死骸なんかで汚染されててそのまま飲むのは危険だし、ろ過器を通しても毒は抜けないが、蒸留すれば飲めるようになる。これを知ってるかどうかは大きいぞ」

「おおっ! 確かに! 蒸留すごいっす」

「知識はあるだけじゃ意味がない。それを応用できて初めて価値を発揮する。俺は美岬ちゃんに知識とそれを活用できる知恵を教えたいと思ってるんだ」

「こういう勉強なら大歓迎っす。あ、元々勉強は好きっすけどね」

 屈託のない笑顔を見せる美岬は本当に勉強が好きなんだろう。なんとしてでも無事に生還して、美岬が再び学校で勉強できるようにしてやりたいものだ。












【作者コメント】

 圧力鍋の蒸気出口にシリコンチューブを繋いだ簡易蒸留器でのアルコール蒸留は、コロナ禍の初期に消毒液が不足していた時に作者が実際にやっていた方法です。
 作者はリアルでは飲食店の経営者なので消毒液不足には本当に困り、法的に問題なく高濃度アルコールを精製する方法を模索した結果、ホワイトリカー(35°)に添加物としてクエン酸を混ぜ、それを単式蒸留で80°ぐらいまで濃度を上げて消毒液として使っていました。
 蒸気は非常に高温になるので普通のゴムホースやビニールホースでは溶けます。ホームセンターで耐熱性の高いシリコンチューブを2㍍買ってきて使っていましたが、2㍍だと蒸気が駆け抜けるスピードが速すぎて冷却が追い付かないので、3㍍ぐらいあった方が良かったなーというのが実際にやってみての感想です。
 



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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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