第42話 5日目⑪おっさんは魔法少女と悪巧みをする

文字数 4,177文字

 まずはみぞれ鍋のスープを一口(すす)る。カメノテの出汁の濃厚な旨味と大根おろしの辛みの刺激が口の中に広がり、適度な塩加減と葉ものから出た僅かな苦味が絶妙のハーモニーを奏で、互いの個性を引き立て合う。

「……ほぅ、やっぱりカメノテの出汁は旨いなー」

 一般に流通するような食材じゃないから口にするのはずいぶんとひさしぶりだが、カニともエビとも貝とも違う独特の風味がたまらない。
 次にしんなりとしたハマボウフウの葉を噛み締めてみれば、セリ科独特の香味が爽やかに鼻に抜けてさらに食欲を刺激し、カメノテの剥き身は味は抜けているもののぐりぐりとした歯応えがたまらない。

 美岬の方はと見てみれば、スープを一口啜った瞬間、目を見開いて驚いた表情で固まり、それからもう一口啜り、目を閉じて味をじっくりと確かめるように味わい、思わずといった様子でつぶやいた。

「………………ばぁちゃん」

「は?」

 思わず聞き返した俺に感極まった様子で目を潤ませた美岬が言う。

「……この味、小さい頃に死んだばぁちゃんの家のお出汁(だし)の味と一緒っす! ばぁちゃんちのお出汁の味はうちのとは全然違ってて、でもあたしは小さかったからなんで違うのか分からなくて、だんだん記憶も曖昧になってたっすけど、やっと分かったっす。これ、カメノテの味だったんすね」

「ふむ。小さい頃の味の記憶って意外と馬鹿にできないからな。良かったな、長年の謎が解けて」

 俺がうなずくと美岬は照れ臭そうにへへっと笑い、コッヘルを置いて目尻の涙を払った。

「へへっ。ついしんみりしてしまったっす。やー、あたしの封印されていた記憶を呼び覚ますとは、ガクさんのお料理は魔法のお料理っすねぇ。テクマクマヤコン♪ テクマクマヤコン♪……記憶よ、よみがえれ~♪」

「…………ぶふっ! げほげほっ」

 ひとさし指をクルクル回しながらおどけたようにとてつもなく古いネタの呪文を唱え、最後に何を思ったかウインクしながら両手の指で作ったハートマークをぐいっとつき出す美岬。なんかもう色々混ざりすぎだ。
 予想もしなかった魔法少女の攻撃に怪人ガクトは飲みかけのスープが変なところに入ってダメージを食らう。
 美岬もさすがに盛大に自爆したことに直後に気づき、顔を真っ赤にして両手で覆った。

「…………い、今のは……わ、忘れてほしいっす」

「……お、おう。冷めるから早く食え」

 忘れられるか! 脳内フォルダに永久保存確定だ。

「……はいっす。……熱っ! はふっはふっ!」

 照れ隠しにハンバーグの塊をそのまま口の中に入れてしまった美岬が口を押さえて目を白黒させる。俺が差し出したペットボトルの水をがぶ飲みしてやっと落ち着く。

「口の中、火傷しなかったか?」

「……はうぅ。だ、大丈夫っす。スープが普通に飲めたから、こんなに熱いとは思わなかったっす。想定外に熱くて驚いたっす」

「あー、スープの方は仕上げに入れた大根おろしでちょっと冷めてたが、直前まで煮込まれてたハンバーグはそうすぐには冷めんからな」

「それでっすかぁ。……あ、今あたし、めっちゃ水飲んじゃったっすけどストック大丈夫っすか? 料理の時も茹で汁一回捨ててたからだいぶ減っちゃったっすけど?」

「ああ、そういえば言ってなかったか。さっきの偵察で水場を見つけたからもう基本的に水の心配はしなくていいぞ。生水で飲めるかはまだ分からんが、ろ過でも蒸留でもいかようにもやりようはあるからな」

「おお。なら一安心っすね。……あ、このツナ和えも美味しいっす! 大根葉のしゃきしゃき感とハマボウフウのちょっと癖のある風味をツナとドレッシングがまろやかにしてて、パリパリの実ダイコンのピリッとした辛さが爽やかで……ちょっとこれ箸が止まんないっす」

 喋りながらもツナ和えを一口食べた美岬は、すっかり気に入ったようでひょいパクひょいパクと続けて食べている。
 俺もツナ和えを食べてみたが、適当に作ったドレッシングが良い仕事をしている。適度に形の残った大根の種を噛み潰した時のプチっとした食感も良いアクセントになっている。

「うん。ツナ和えは簡単だけど旨いよな。すりごまもあればさらに旨くなるんだが」

「あ、じゃあ胡麻(ごま)育てましょう! 胡麻は割と育つの早いっすよ」

 育てる以前に胡麻なんてどこに、と考えた瞬間に思い出す。

「あ、そうか。そういえば胡麻の種も持ってるって言ってたな」

 美岬が今度は箸で小さく切り、息をふうふうと吹き掛けて冷ましたハンバーグをはふはふと頬張りながらうなずく。

「はふっ! 胡麻は三日ぐらひで芽が出て、はふはふ、三ヶ月ぐらひで収穫でひるっすひょ。……ごくん」

「……口に物が入ってる時に無理に返事しなくていいからな。ちなみに胡麻以外の持ち込んだ種や苗はどうだ? しばらくは採集がメインになるとは思うが、育てられるものがあるなら育てたいな」

「ああ、そっすよね。……んー、とりあえず豆類は全部やっちゃいましょう。豆を収穫した後の土には窒素化合物が多く残されるんでその後も畑として使いやすくなるっすし。アイスプラントはこの浜の海浜植物ゾーンに地植えしたら勝手に増えると思うっす。あと、やっぱり最優先はさつま芋っすね」

「確かに豆と芋は栄養学的な見地からも欲しいな。いけそうか?」

「さつま芋はもう今の時点で何ヵ所からか芽が出てる種芋っすからうまくやればかなりの量を収穫できるはずっす。まずは芽の数に種芋を分割して、それぞれから苗を育てて、(つる)が伸びてきたらその蔓を切って新しい苗として別の場所に埋めて……ってのを繰り返していけばどんどん増やせるっすよ。痩せてて水はけのいい土の方がよく育つんで、そのへんをちょっと耕せばすぐに条件は整うはずっす」

「それはいいな。さつま芋は芋蔓(いもづる)も食えるから増えてくれればかなり助かる。どれぐらいで収穫できるんだ?」

「通常は植え付けから4ヶ月っすから8月の今植えたら12月っすね。この島の冬がどれぐらい寒くなるかにもよるっすけど、うちの実家の島でも冬に10℃以下まで下がるなんてまずないっすから、たぶん大丈夫だと思うっすよ。ちょっと早く掘っても芋が小さいってだけで食べれないってわけじゃないっすし」

「4ヶ月か。まあそれぐらいはかかるよな。とりあえず、さっきも言ってた(くず)さえ見つかれば食料問題はほぼ解決できるから、美岬が持ち込んだ作物は駄目で元々ぐらいの気構えで全部植えてしまおう。上手くいけば俺たちの食卓が豊かになるし、駄目でも今から備えておけば冬になっても飢え死にはせんさ」

「そっすね。……そういえばガクさんって玄米持ってるっすよね?」

「おう。3(ごう)分だけだけどな。陸に上がったから炊いてやれるがそろそろ食うか?」

「いや、駄目で元々ついでにその米も発芽させて植えてみないっすか?」

「……玄米って籾殻剥がしてあるけど発芽できるのか?」

 思わず小声で訊ねてみると、ノリのいい美岬が神妙な顔で辺りを見回して内緒話をするようにコソコソっと耳打ちしてくる。

「……ここだけの話、実はできるんすよ。精米してない玄米は水に浸けておけば2、3日で発芽するっす。で、浜の反対側の葦が繁ってる湿地帯っすけど、たぶん葦を伐採して根を掘り起こして整地すればそのまま田んぼとして使えるっすよ」

「マジか。どうせ3合の米なんて二人で食えばせいぜい3日分しかないんだ。増やせる可能性があるなら使っていいぞ。ちなみに、稲ってどれぐらいに増えるんだったか?」

「普通の稲作の場合っすけど、一粒の米粒から1本の苗が生えるっすけど、これを5本で1株としてまずは田植えするっすね。でもこの1株が最終的には25本に増えて稲穂が25本実ることになるっす。そしてこの稲穂1本につき米粒は約70粒ぐらい出来るっす」

「……ってことはまず苗が5倍に増えて、それぞれから70粒取れるってことは、350倍になるってことか。この3合が丸々実ったら……」

「3合×350で1050合っすね。1合ってどれぐらいでしたっけ?」

「だいたい180ccだな。尺貫法だと10合で1(しょう)、10升で1()、10斗で1(ごく)と10倍毎に単位が上がっていくから、1050合は1石と5升……体積だと189㍑だな」

「たしか米俵(こめだわら)が4斗だったはずっすから、1石は2(ひょう)半っすね。1俵が60㎏だから……1石って150㎏っすかぁ」

「……うーむ。350倍に増えるって、米って改めて考えるとすごい作物だな」

「農家がどんどん減ってる上に減反政策までしてるのに米の自給率が高い理由を垣間見た感じっすね」

「普通に食べたら3日分の米が上手くすれば3年分になるってんなら増やすしかないよな。全部無駄になってもたった3日分ならローリスクハイリターンすぎる投資だ」

「くっくっく。ガクさん、ぬしも悪よのぅ」

「いやいやいや、米を増やそうと言い出した美岬様ほどじゃありやせんぜ? ぐっふっふっふ」

 俺と美岬は悪い顔をして笑い合う。しかし、今後の話し合いに集中しすぎて鍋がすっかり冷めてしまった。火が弱まってきた焚き火に薪を足して火力を上げ、鍋を再び火に掛けて温め直す。

「おかわりはいるか?」

「もちろんっす!」

 満面の笑みで空のコッヘルを差し出してくる美岬。温め直した鍋を俺と美岬のコッヘルに等分に注ぎ分けて空にする。

「晩メシを食い終わったら、玄米とか豆とか、地植えする前に発芽させておいた方がいい種をビニール袋で水に浸けておくか?」

「そっすね、いいと思うっす。明日からちょっとずつ畑作りとか田んぼ作りもしていって、発芽して準備が出来た苗から順次植えていったらいいっすね」

「畑や田んぼをどこに作るか、どう準備するか、植え付けのタイミングをいつにするか、そのあたりを決めるのは美岬に任せるぞ。俺は農業は素人だからどう動いたらいいか美岬が指示してくれ」

「了解っす」

 そうして今後の食料生産の計画を詰めつつ、俺と美岬は食事を続けるのだった。





【作者コメント】

 日本独自の度量衡単位である尺貫法は、日本人の生活に密着していて何かと使う機会が多く、特に料理の世界ではそれが顕著なので覚えておいて損はないですね。

 玄米は水に浸けて冷蔵庫にしまい、2、3日すれば発芽玄米になりますが、そうなれば普通の炊飯器でも普通の白米と同様に柔らかく炊き上がります。栄養価も高いのでおすすめですよ。

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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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