第20話 閑話①:父の苦悩

文字数 3,214文字

 人口300人の小さな島には高校が無い。島の子供たちは中学の分校を卒業するとそのまま島で就職するか、本土の高校に進学するかのどちらかだが、ほとんどの場合、本土の高校に進学し、そのままそっちで定住して就職して結婚して、島にはたまに顔を出す程度になる。

 だがそれも仕方の無いことだ。若者は自分の可能性に挑戦したいものであるし、島に残ったところで仕事にも結婚相手にも事欠く現状なのだから。若者の島離れは人口の7割以上が65歳以上の超高齢社会の離島の宿命ともいえる。

 だが、このままではこの島は衰退の一途を辿ることになる。何とかして島の魅力を発信して若い世代の移住者を誘致せねば、と青年団のリーダーである俺(50代)が中心になって島の産業振興に取り組み、釣り場や海水浴場やサーフィンスポットを整備し、宿泊施設や商業施設、食事処を増やし、昨今もてはやされているスローライフ応援企画として、人の住まなくなった古民家をリフォームして、移住希望者に格安で貸し出すようにしてきた結果、少しずつ島への移住者が増え始めてきた。

 そんな俺の背中を見て育った娘──美岬は、将来は俺の仕事を手伝いたいと言い出した。島の産業振興に役立つ知識と技術を学ぶために本土の農大付属高校に進学することに決めたのだ。

 娘の決定を嬉しく思いつつも俺の内心は複雑だった。なにしろ島には娘と歳の近い独身の男がいない。一番歳が近い独身の男といえば漁師仲間の厳さんとこの健坊だがそれでも40は過ぎている。もし美岬が島に戻ってくるならほぼ間違いなく健坊との縁談を周りが推し進めることになるだろう。

 だがなぁ、健坊は中卒で島に残った奴だが、とにかく鈍くさくて覇気がない。こんな奴にうちの可愛い娘をやりたくないのが本音だ。厳さんとは親友だがそこはそれ、これはこれ。
 美岬が本土でいい男を捕まえて一緒に帰って来てくれるならそれが一番なんだが、少し前に島に帰省する折に買ってきて欲しいものを電話した時に話した限りだと、まだいい相手はいなさそうだった。

 まあそれはともかく、学校が夏休みに入り、ようやく美岬が島に帰省することになった。
 高校に進学した一年目の夏は向こうの生活に慣れるのに四苦八苦していて忙しくて帰る余裕がなく、その後、新型肺炎のパンデミックが始まり、年寄りの多い島に万が一にもウイルスを持ち込むわけにはいかないと冬休みもゴールデンウィークも帰省を自粛していたから、今回が美岬が高校に進学して初めての帰省となる。俺も母ちゃんも首を長くして待っていた。

 背は伸びただろうか? 少しは女らしくなっただろうか? 体調を崩したりはしていないだろうか? 実家には夏休みが終わる8月末まで滞在するとのことだからめいっぱい甘やかしてやろう。

 そんなこんなで美岬が帰って来る日、俺は軽トラで港まで迎えに行っていた。母ちゃんは家で美岬の大好物のごちそうをたくさん用意して待っている。
 夕方の5時頃に到着予定のフェリーに乗っているはずで、波止場には俺と同じく出迎えの人間が集まっていた。

 だが、予定時刻を過ぎてもフェリーが到着せず、まあ遅れることもあるわな、と悠長に構えていたが、さすがに予定時刻を1時間以上過ぎてもフェリーの姿が水平線上にも現れないとなるとやや不安になってくる。周りもざわざわし始める中で、馴染みの駐在が大慌てで港に駆け込んできた。

「おう、そんなに慌ててどうしたんだ?」

「浜崎さん!? あんたがここにおるっちゅうことはフェリーに美岬ちゃんが乗っとったんか!?」

「その予定なんだがフェリーが中々来なくてな。あんた何か知ってるか?」

 その場にいた全員の視線が集中した駐在はひどく狼狽しながら最悪の情報を言い放った。

「フェリーが事故で沈んだと連絡があった! 救助は進められとるらしいが、乗客の安否はまだ分かっとらん。そもそも誰が乗っとったかも分かっとらんから海上保安庁の方から乗船予定者の情報提供を求められてここに来たんじゃ!」

 それからは蜂の巣をつついたような大騒ぎになり、とにかく美岬がフェリーに乗っているはずだという情報を駐在から海上保安庁の方に伝えて安否確認をしてもらっている間に俺は母ちゃんが心配になって家に帰った。

 案の定、つけっぱなしのテレビからはフェリーの事故のニュースがエンドレスに流れ続け、美岬のために準備の調った食卓が妙に寒々しく俺を出迎え、母ちゃんは台所の隅にしゃがみこんでガタガタ震えていた。俺の姿を認めた母ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。

「父ちゃん! 美岬が! 美岬の乗ったフェリーが!」

「ああ。俺も港でその知らせを聞いてきた。詳しいことはまだ分からんが救助は進められてるそうだ。大丈夫。きっと無事だ」

 俺はただ母ちゃんと一緒に美岬の無事を祈ることしかできなかった。

 一夜明け、救助された人間の身元が判明したが、その中に美岬の名前は無かった。ほぼ海中に没しているフェリーに閉じ込められている可能性があるとして海上保安庁の潜水士が二日かけて船内捜索を行ったが幸いにして変わり果てた美岬が見つかったとの報告はなかった。

 やがて、救助された人間からの目撃証言により、事故の前に美岬が甲板で大きな荷物を背負った男と談笑していたということが明らかになり、どうやら美岬は海に投げ出されたらしいということが分かった。その大きな荷物を背負った男も救助されていないので、その男も一緒に海に投げ出されたと思われ、この時点で、美岬の生存はほぼ絶望視されつつあった。なにしろ、事故発生当時、フェリーの周りを多くの鮫が泳いでいる姿が目撃されているからだ。

 そんな中、一縷の望みが繋がったのは、美岬と共に海に投げ出された男の正体が判明した時だ。俺の愛読誌であるアウトドア雑誌『バックパッカーズ』に以前コラムを掲載していた有名なバックパッカー、サバイバルマスターとも呼ばれるシェルパ谷川こと谷川岳人だと。
 あのシェルパ谷川がこんなにあっさり死ぬだろうか? 彼なら美岬と一緒に生き延びているのではないか?
 そんな希望を胸に抱き、俺は二人を探しに行くことに決めた。現場海域は俺たち地元漁師の馴染みの漁場だ。そこからの潮流の流れはある程度頭に入っている。

 ただ、なぜもっと早く行動しなかったのかと悔やまれてならない。協力を申し出てくれた有志の漁師仲間たちと共に数隻の漁船で事故現場海域に向けて出港した時点で事故の発生から3日が経過してしまっていた。早い潮流に乗ってしまうと3日もあれば100㎞ぐらい移動してしまう。
 おまけにマリアナ沖で発生した新しい台風がまっすぐにこっちに近づいて来ている。この時期の台風にしては珍しく足が速くて一気に北上してきている。あまり時間の猶予はない。
 それなのに捜索範囲はあまりにも広大で、しかも日を追うごとにそれはますます広がっていく。

 俺にはもうただ美岬の無事を祈ることしか出来ない。今もどこかで生きていると信じて探し続けることしか出来ない。この先に美岬がいると信じることしか出来ない。
 シェルパ谷川! いや、谷川岳人! もし一緒にいるならどうか娘を頼む!
 美岬、どうか無事でいてくれ!
 俺は歯を食いしばり、真っ直ぐに前だけを見据えながら舵輪を握る手に力を込めるのだった。











【作者コメント】
 美岬の父親視点の閑話でした。主人公コンビの呑気さとは裏腹にフェリーの沈没事故は大事件となり、未だ行方不明の2人の捜索が昼夜行われています。
 どうでもいい裏設定ですが、美岬の両親もかなりの年の差婚で父親が50代で母親が30代後半で岳人より少し上ってところです。岳人は現在36。
 美岬の母親の実家が網元の家系で、父親は婿養子です。
 超高齢社会かつ年の差婚当たり前な過疎島なので、誰とは言いませんが仮に美岬がかなり年上の彼氏を連れて帰ったところで年齢ゆえの反対はまずないでしょう。


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登場人物紹介

■名前/谷川 岳人(たにがわ がくと)

■年齢/36歳

■職業/調理師、ジビエレストラン経営者、バックパッカー、コラムニスト、山岳ガイド、遭難者捜索ボランティア

■別名/シェルパ谷川、サバイバルマスター

■人物紹介/僻地の別荘地でジビエレストランを経営する傍ら、山岳ガイドや遭難者捜索ボランティアをしている。以前はバックパッカーとして世界中を旅してシェルパ谷川というペンネームでアウトドア雑誌に紀行文を連載していた。サバイバルマスターという呼び名はその頃についたもの。家族や親しい人たちを全員亡くし、失意の中で一人旅をしている時に美岬と出会う。



■名前/浜崎 美岬(はまざき みさき)

■年齢/17歳

■職業/高校生、農大附属高校2年、コンビニ店員、有用植物研究会所属

■人物紹介/離島出身で本土の農大附属高校に一人暮らしで下宿しながら通っている。仕送りが少ないのでコンビニでバイトしている。過疎化、高齢化が進む故郷の島の村おこしのために名物になりうる作物を研究するために農大附属高校に入った。大学生メインのサークル『有用植物研究会』に所属しており、パイオニア植物が専門。中学までは歳の近い子供がいない島の分校で学んだため、同級生との接し方が分からず、クラスでは孤立しており、ややコミュ障。盆休みに実家の島に帰省する途中の船で岳人と出会う。岳人のコラムは昔から愛読していた。

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