第58話 言語道断! 親子の縁を切る!

文字数 1,063文字


 しかし、倒された後、伊賀衆が柘植軍の陣を探したが、いずこにも大膳の骸はなかった。
 斥候は言った。
「大膳殿は見つかりませぬが、柘植軍の残りは溺死体となり中出川下流で発見されておりまする」
 信雄の眉間がさらに深く寄る。
「溺死?」
「左様でござります」
「こちらからは動かぬ策ではなかったのか?」
「くノ一に川へおびき寄せられましてこざります」
「わからぬ。何故(なにゆえ)、女子(おなご)如きに易々とおびき寄せられる?」
「若き娘ら皆、素っ裸で川を泳いでおりました故、兵らは次々と川に飛び込み・・・」
「なんと」
「山は素っ裸の女どもに崩され、柘植保重殿も裸同然になり申した。そこを敵方に・・・」
「愚かな」
 くノ一にまで諮られ敗北したとあっては、信雄はますます父に会わせる顔がなくなった。

 忍びの仕事は戦働きばかりではない。諜報、或いは敵にとって知らせて欲しくない情報を流布させるのも大事な仕事である。
 この時、摂津に出陣中であった信長の耳に、「息子信雄伊賀衆に大敗」の報せが届いたのは、織田家の伝令より、忍びの情報伝達の方が早かった。
 伊賀衆はいち早く、信長の布陣する宿場町の辻あちこちに勝手なお触れ書きを立て、町人に化けた伊賀忍者が噂を広めた。「伊勢国司北畠信雄、一方的に伊賀国に押し入り、乱暴狼藉働くも伊賀の良民に散々に打ち負かされ、重臣柘植保重が首まで取られ大敗喫す」、と縷々伝えられた。
 そしてこれが織田軍の神仏敬わぬ悪行に対する天から報いであり、天に代わって天誅授けた伊賀国にこそ大日如来の御加護があったのだと、口々に広められた。
 信長が激怒したのは言うまでもない。
「なんだとぉ!」
 伝えたのは明智光秀であった。光秀は小猿を通じこの報せをいち早く得ていた。光秀と小猿の美濃地侍時分からの秘めやかな関係あればこそである。
 しかし、光秀は伊賀を支持しているわけではない。
「仄聞(そくぶん)には伊賀の工作が含まれておりましょう」
 光秀はわかっている。
「されど、信雄様が負けたことは紛れもなき事実」
 この余計な一言が信長の逆鱗に触れた。
「戯け!」
 光秀の横面を殴りつけた。
「左様な勝手、誰が許した!」
 それは光秀の指矩(さしがね)ではない。がしかし、自分に相談もせず伊賀に攻め入った信雄への怒りは目の前の小賢しい光秀に向けられた。
 光秀の瞳にも怒りが灯る。しかし、ここは信長の怒りに飲まれることを光秀は甘んじて受け入れた。
 光秀を殴りつけても怒り収まらぬ信長は言い放った。
「信雄に申し伝えよ! 此度のこと言語道断! 親子の縁を切る、とな」
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