第39話 見限るべきであろう

文字数 815文字

 有岡城は落城。しかし、村重の抵抗は続いた。尼崎城、花隈城に立て篭り信長軍と対峙した。だが、有岡城の轍を踏まぬよう、残った一族や非戦闘員を漸次退去させていた。戦況は次第に信長軍に傾いていった。
 信長はその間も謀反人の成敗をやめなかった。退去した一族を追っては見つけ、漸次公開処刑にした。
 後に、高野山金剛峯寺に匿われていた村重の家臣を追って信長の追捕人がやってくる。しかし、この追捕人を村重の家臣と寺側が謀って殺したため、信長の怒りは高野山に向けられた。神仏を恐れぬ天下人だからである。
「真言も我が敵じゃ。石山の次は高野じゃ」
 そして、信長は高野山の僧数百人を捕らえ、血祭りに上げている。
 この頃になると、伊賀の里の方でも俄かに風向きを意識し始めた。
 伊賀忍者代表が集まる評定では、
「頃合いじゃ。見限るべきであろう」
 上忍三家の藤林保正が毛利、石山本願寺、荒木村重への加担撤退を持ち出した。
 これに同調するかように服部正成も、
「村重もはや力なし。呼び戻せ」
 小猿、小太郎、衣茅三人の帰還を言っている。
「すでに衣茅から知らせがあった。村重が息子と共に花隈城に逃げる際、小猿たちの同行を求めたが、小猿は断ったそうじゃ」
 百地丹波が懐手で呟く。
「曰く、村重に戦意なしと」
 保正は言った。
「毛利はどこまで本気なのじゃ。つまり信長との戦に」
 丹波が呟く。
「衣茅は言いよったわい。毛利の日和見は最大の防御。本気で覇権を奪いになど来ぬと。それを知った村重が自身も元来が日和見。毛利のもとに亡命するのは時間の問題。花隈城もじきに捨てるだろうと」
 事実、この後、村重は花隈城を出て単身尾道に身を寄せている。信長が本能寺の変で衣茅の予言した因果応報を受けるまで。
 その後、村重は尾道を出て堺に赴く。道薫(どうくん)と名乗り、茶人津田宗及(つだ そうぎゅう)が主宰する茶会に出席している。一族郎等が非業の死を遂げるなか、五十二歳まで天寿を全うしている。
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