第9話 無理じゃ父上

文字数 932文字

 信長の天下統一はいよいよ締めくくりに入っていく。
 天正6年(1578年)4月。北畠信雄の元に父信長から大坂への出陣命令が下る。和睦していた石山本願寺の息の根を止める戦である。この戦に出陣した信雄は、兄信忠とともに父に代わって石山本願寺を屈服させている。さらにその後、信長は西国の雄、毛利輝元と決着をつけんがため、中国に攻め入る。滝川一益、丹羽長秀、明智光秀ら重臣が播磨に出陣し、次いで長男信忠、次男信雄らが尾張、美濃、伊勢の軍勢を率いて出陣。追って信長も出陣するが、豪雨により帰還。
 が、息子たちの活躍により、6月、播磨国印南郡の神吉城を信忠が、同じく印南郡の志方城を信雄が落城させている。しかし、敵も然る者。芸備防長雲石六ヶ国を支配する大大名。この戦は長期戦の様相を見せる。
 そこでこの年の夏。信長は安土の城内で1500人もの力士を集め相撲大会を催している。一時戦地から帰陣した息子信忠、信雄の兄弟を信長は相撲で労っている。
 この催しにも伊賀では忍びを送っている。伊賀忍術十一名人に数えられる下柘植小猿(しもつげこざる)、下柘植木猿(しもつげきさる)親子を百地丹波ら上忍三家は送った。もちろん狙いは信長の首である。この親子はのちに真田十勇士の猿飛佐助のモデルとなる忍者である。この忍術に優れた二人の親子が相撲大会に紛れ込んでいたのだ。
 土俵から離れることおよそ50間。小猿は商家の隠居旦那に変装して力士たちの取組を城下の人々に混じって見ている。土俵近くまで入れるのは家臣と力士だけだ。それ以外の者は柵の外から遠目に見物することしか許されていない。
 城内では息子の木猿が二の丸城に作られた特設観覧舞台に座している信長、信忠、信雄をすぐ近くの壇下から様子を窺っている。木猿は地方力士の一人としてこの大会に参加していた。
 褌(ふんどし)姿の木猿が柵の外の父小猿に手で合図を送る。この距離では虫の声など音の手段では意思疎通の符牒として使えない。よって彼らは彼ら独自の意思伝達手段を用いた。今で言う手話である。ただ怪しまれぬよう二人は首から上の僅かな動きや表情に意味を持たせ手の動きを補足した。つまり上半身の動きだけで伝えたいことを相手に伝えられたのだ。
(無理じゃ父上)
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