第42話 怪しきかな、怪しきかな

文字数 957文字

 北畠信雄(織田信雄)の家臣、滝川雄利は伊勢国司北畠家の木造家の出身であるが、若くして出家し源浄院の僧主玄と称していた。
 永禄12年(1569年)。信長が北畠家に攻め入った際、雄利は当主木造具政を信長方に寝返らせ、織田軍の勝利に貢献している。この働きに滝川一益が痛く惚れ込み「我が家中に召抱える」と還俗させ、娘の婿とし滝川の姓を与えている。
 その後、雄利は信長の命により、息子信雄の家老に抜擢され、数々の武功を上げている。
 その雄利が伊賀を裏切ってきたという下山甲斐にこんな嫌疑を投げかけている。
「怪しきかな。何故(なにゆえ)、あの城が拠点になるというのじゃ?」
 下山甲斐を雄利は信じていない。すると甲斐は言った。
「畏れながら、あの城は伊賀盆地の丘陵に屹立し、あたりをよく見渡せます。周囲には比自岐川と木津川があり、天然の堀としての機能を果たしております。攻めるにも守るにもこれほど適した城はござらん」
 しかし、雄利は訝る。
「それほど攻守に優れた城なら、何故(なにゆえ)伊賀側は奪い取って己の砦とせぬ。四年も放うておいたのじゃぞ」
 丸山城は北畠家が伊賀国への攻め口として天正3年に築城し始めたが、途中作業が中断され、天正7年まで捨てられていた。
「伊賀は元来土豪の集まりの国、力のある統率者がおりませぬ。築城には大層な銭と人夫が要ります。いまの伊賀にはその余力がござらぬ」
「怪しきかな、怪しきかな。誠にそうか? 嘘偽りはござらんか?」
「誠でござります」
「ならば偽り無きを示せ。それまでは儂は信じぬ」
「分かり申した。しからば」
 そう言って甲斐が懐から出したのは、血判を押した誓文だった。それを受け取った雄利は顔を顰めて呟く。
「鼻血が落ちたか如き斯様な紙片に、真(まこと)が示せると思うとるか?」
 甲斐は暫し無言だった。そして出した答えは、
「そうまで申されるのならば、いま我が躯体に流れる真(まこと)の血潮をご覧に入れましょう」
 甲斐はその場に座した。そして小袖の襟を大きく広げ胸元から腹までを晒した後、短刀を鞘から抜き刀身の切っ先を腹に当てた。
(愚かな。猿芝居を)
 雄利は本気にしていない。すると甲斐は二念もなく刀身を腹に突き刺した。
 慌てたのは雄利の方である。
(誠か!)
 思わず叫んでいた。
「わ、わかった。もうよい」
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