第51話 動かざること山の如し

文字数 1,118文字


 保重は眉を潜める。
「そなたの考えを聞きたいのじゃ」
「考えたところで相手の奇策には及びますまい」
 保重は困ってしまった。
「さればいかがすればよい」
「柘植殿、何をご所望か?」
 大膳から問われて保重は考えた。我が命ではない。しかし大膳の問いはそういうことではない。
 保重は言った。
「時以外になかろう。他に何がある?」
 大膳が頷く。
「左様、この戦にそれ以外はござらん。相手を足止めて時を稼ぐ。簡単でござる」
「それを尋ねておるのじゃ、いかがすれば時を稼げるのか」
「遅らせればよいだけでござる、敵の動きを」
 保重は甲冑の目庇の奥から発せられている大膳の鋭い眼光を見た。この武者は何を考えているのか。
「即ち、動かぬこと、下手に」
「動かぬ?」
「奇襲に動じて動いた結果、信雄様の軍は同士討ちを始め、我らも山中に迂回して徒らに兵を減らした。伊賀衆の戦術は我らの動揺を巧みに利用しておりまする。よって、時を稼ぐのであれば動いてはなりませぬ」
 保重は尋ねた。
「じっとしておれというのか?」
 大膳は目を閉じて、ある兵法の一説を吟じた。
「疾如風(はやときことかぜのごとく)、徐如林(しずかなることはやしのごとく)、侵掠如火(しんりゃくすることひのごとく)、不動如山(うごかざることやまのごとし)」
 伊勢から甲斐は尾張、三河、遠江、駿河を隔ててかなりの道のりがあるが、さすがに保重も甲斐の虎と異名された最強軍団のことは恐れ知っている。
「信玄か」
 あの信長さえも恐れた武田信玄は、六年前に死去している。
 しかし、大膳の意図は違った。
「孫子でござる」
 先の一説は甲斐の武田信玄の軍旗に書かれていた兵法であるが、これはもともと中国春秋時代の軍事思想家孫武が作った兵法書孫子から取ってある。
「知っておられるか、信雄様が滅した北畠家が六韜(りくとう)の軍学を奉じていたことを。これに対抗せんがため信玄が孫子を用いたのでござる」
「何のために?」
「己の方が戦を知っていることを誇示するためでござる」
 六韜は中国の代表的な兵法書であるが、孫子の方が古(いにしえ)より読まれており戦に勝つための戦略・戦術に富んでいる。信玄が孫子を用いたのは他の戦国大名への威嚇でもあった。
「信玄ともあろう者が衒学(げんがく)趣味か」
 保重が笑う。
「笑い事ではござらぬ。これで相手は考えまする、何故(なにゆえ)動かぬか」
「なるほど時を稼ぐには、動かざること山の如し、そういうことだな」
 大膳が頷く。
「して、何をする? ここで山のようになっておればよいか?」
「それもよろしいが、いっそ宴でも催されてはいかがかな」
 日置大膳の奇策ともいえる不動如山に、伊賀衆はさらなる奇策で大膳と保重を慌てふためかせる。
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