第52話 旨そうな餌を与える

文字数 1,174文字

 伊賀の統治は伊賀十二人衆と呼ばれる有力な領主たちによる評定でもって取り仕切られている。その筆頭が上忍三家の百地丹波、服部正成、藤林正保であるが、ここに伊賀十二人衆のひとり下阿波荘領主、植田光次が評定をひっくり返し、後に第一次天正伊賀の乱と呼ばれるこの戦で華々しい武勲を挙げる。
 が、その影にはくノ一衣茅の存在があった。
「本軍は峠を降りて撤退しておるとのことじゃ」
 百地丹波が評定衆に伝えた報せは伊賀衆の圧勝であった。三方からなる敵の侵攻を完全に食い止め、本軍を撤退させたのであるから圧勝と言ってよい。
 評定衆を代表して上忍三家の服部正成がさらに具な戦況を問う。
「して、あとの枝軍はいかがした?」
 丹波は今し方小猿よりもたらされた報せをそのまま語った。
「滝川雄利軍は初手でそうそうに撤退、すでに伊勢国に帰還しておるとのことじゃ」
「腰抜けじゃな。で、裏切り親子は?」
 正成は福地宗隆、柘植保重父子のことを問うたが、今回福地宗隆は行軍には加わっていない。
 丹波は言った。
「保重が日置大膳を伴って此度殿(しんがり)を務めておるが、長野峠口を固めて微動だにせぬとのこと」
「動かぬと? 伊勢に戻る退却戦ではないのか?」
「信雄を逃すための大膳の策とのことじゃ。即ち不動如山」
 すると正成は悟ったように言った。
「なるほど、時を稼ぐか。ならば、その裏をかいて我らは別口から峠を越え信雄軍を側方から奇襲してはどうじゃ? 動かぬのなら」
 これに藤林正保は反論する。
「いや、長野峠を封鎖されればいかに我らの足が速かろうが、本軍には追いつかぬ。それが柘植保重の狙いじゃろ。我らを足止めにする」
 そこで丹波が評定をまとめにかかった。
「動かぬなら放うておけばよかろう。無駄な消耗はせぬに越したことはない。すでに我らの勝利は決まったのであるから。どうじゃ皆の者、ここは戦を終結ということで」
 しかし、これに異を唱える者があった。植田光次である。
「なんの、裏切り者は成敗せねばなりませぬ」
 丹波の眉が動く。
「光次、この戦は伊賀の私怨ではあるまいぞ。織田との義戦じゃ」
 然もありなんと光次は頷きつつも、引き下がらなかった。
「承知しております。されど追っ払うだけに留まればまたすぐに織田の侵略を受けまする。義戦と言えど、此度の戦で相手方の将首くらいは取って戦果を世に示さねば、我らは舐められましょうぞ。それには、あの裏切り者の首、柘植保重がうってつけでござる。なにしろ信雄の重臣でござるからな。屠れば戦勝の価値が上がりましょうぞ」
 これを聞いて服部正成が興味ありげに尋ねる。
「光次、何か策でもあるのか?」
 植田光次がにんまりと笑う。
「動かぬ兵を動かすには旨そうな餌を与えるのが一番でござる」
「旨そうな餌じゃと?」
 光次は衣茅から授けられた天才軍師も考えもつかぬ奇策を思い浮かべていた。
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